何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

なぜ渡辺竜王を処分すべきなのか

 

プロ棋士28人、将棋連盟の理事5人の解任求める 佐藤康光会長の就任会見(詳報)

新任以外の理事は当然辞任すべき。それは事の責任よりも渡辺竜王の話を鵜呑みにした部分や、第三者委員会を含む対応の杜撰さ等、根本的に組織運営ができていない部分にある。信頼回復や補償、改革は新任理事の仕事。

2017/02/07 11:13

 

よんだ。

 

記事についてはコメント以外には意見はありません。

ただ、他の方と同じように私は現役のそれもトップ棋士が理事を務めるというのはやはり無理があるのと、もっと言えば、ファンとしてもそこは別にして欲しいなとも思う。

その改革は今後の新任理事を含む新しい体制で是非検討をして欲しいと思う。

 

さて、この話題があがると比較的頻繁に渡辺竜王を処分すべき、という意見と、告発者だからといって処分すべきというのはおかしい、という意見の二つがあがります。

 

私は、渡辺竜王を処分すべき、と考えています。

が、それは「告発者としての責任」で処分すべきといっているわけではありません。

 

そもそも告発自体は必要であれば当然すべきです。

そもそも不正は不正者が自ら「不正しました!」などとは言わず、且つ、運営組織が確認する以外であれば、基本は対戦者以外にはわかりようもありません。

 

当然、疑わしいと思われたものの、実際には証拠もなく、真偽不明のまま告発が空振りに終わるというのはあってしかるべきです。

 

ですが、これは当然告発される側の名誉と立場を守りながら行われるべき事です。

告発した時点では、実際に不正があったのか、それともなかったのか、これはわかりません。

告発を受けた運営団体や管理団体が、手続きに則り対応を行い、その結果を告発者、被告発者の双方に告げるべきです。

そして、その結果が告げられるまではあらゆる事において、被告発者は自信の権利を保留される事はあっても、侵害される事はあってはなりません。

 

保留と侵害の違いは何か。

保留とは、その人が既に保有している権限や権利を一時的に行使する事ができない状態の事です。

例えば、竜王戦であれば、対戦者としての権利が一時的に凍結されるという事になります。

が、これは「失ってはいない」ので、当然権利がなくなるわけではなく、「保留」が解除されれば、その権利を行使可能になる事が前提です。

一方で侵害とは、その人が既に有している権限や権利を合理的な理由もなく一部または全部を剥奪する事です。

例えば、竜王戦であれば、本来は対戦者として決定していた棋士が真偽不明のまま自身が有する挑戦権を奪われた、まさに今回の事例がそれにあたります。

 

渡辺竜王が組織人としてやってしまった間違いとはこの部分にあります。

彼は竜王という位ではありますが、それは執行権限があるわけではありません。

棋士はあくまでも理事の選任や解任、そして理事会への訴えを起こす事ができるに過ぎず、棋士個人が自らの意思で同じ棋士を裁く事は許されません。

 

例えそれが本人からみて、明らかに黒であると判断してもです。

もっと言えば、周囲からみても明らかに黒であってもです。

 

どのような状態であれ、処分を下すのはあくまでも組織であって、組織が定めている規則であるべきです。

 

しかし渡辺竜王は、個人で情報を発信するという選択を行いました。

百歩譲って、個人の心情や考えを述べた、というのであれば、竜王戦の開催の有無や責任、スポンサーなどの話に触れるべきではありません。

そこに触れた瞬間に、その発言は、あくまでもスポンサーと契約をもつ組織の発言であり、その運営に関わる発言になってしまいます。

 

そもそも竜王戦について、竜王自身が、ましてや対局者についての話を週刊誌やその他メディアに組織の話よりも先行してどんどん情報を発信するというのはあってはなりません。

むしろ、竜王という立場であれば、「私は組織の判断に従って、対局に最善を尽くします」であったり、「ご迷惑をおかけしているファンの方に満足いただけるような対局となるよう万全を尽くします」のような話をすべきであって、率先して「彼は裁かれるべきだ」などのような話を吹聴すべきではありません。

 

本人は後に、そんなつもりではなかった、と言っておられますが、それで事が済むのであれば苦労はありません。

 

実際、対戦相手である三浦棋士は対局する権利を失っているわけです。

後に第三者委員会が「不正はなかった」と言ったところで、その権利は現時点でも回復していません。

 

彼が告発した事自体は必要であったとしても、それ以降の行動は、自己保身の発言含め、一切相手の事は考えておらず、正直理解に苦しむものばかりです。

 

こう言った身勝手な対応については、組織に属する限りは然るべき処分が下されなければなりません。

 

もしこういった部分で「まぁまぁ仕方ないよね」と有耶無耶にしてしまえば、今後発生する事例も前例に倣い個人が好き勝手に発言し、混乱を生じさせたとしても処分をする事はできないという悪例となります。

 

このように、処分の必要性は、告発の有無ではなく、組織運営を乱した事、については最低限行われるべきであって、それが行われないようでは、連盟は今後もだめな運営を繰り返すことになります。

 

ですので、私は、何らかの形で理事同様に処分が下されるべきだと考えます。

バグで失った僕の3時間

PS4とPSVRを購入してから、久々にゲームをやっとるわけですが、やり始めるといろいろと積みげーの消化をせねばと必死になります。

 

FF15の期間限定イベントをやる前に、とりあえず蒼き革命のヴァルキュリアをクリアせねばとちまちま進める。

 

途中いろいろと不条理(レベルが相手より圧倒的に高いはずなのになぜか即死するという奴)と戦いながらも、とりあえず最終章を迎えたわけです。

 

そして最終章では連続3戦セーブ不可なマップがあるわけですが、これが長かった。

ちなみに今死んだわけですが、死ぬまでの所要時間が3時間以上なわけです。

 

いや、ボス戦まではものの数分なので、ボスと約3時間ほど戦っていたわけです。

マップは3マップですが、強いボスがでるのはラストのボスだけなので、それ以外は基本さくっと倒せます。

通常マップですと、ボスが面倒なものであれば10分とか、そうでないと4分程度あればクリアできてしまいますから、それからして3時間以上というのがどの程度異常なのかということはわかりますね。

 

僕自身も今さっきまでは何が起こったかわからないのですが、あともう少しで死ぬ、という状態で、ボスがぜんぜん死なない・・・、いや、もう相手のゲージは削りきっている、もうあとワンコンボ、あと一撃、まだか、いやもう一度、もうワンチャンス・・・。

 

このゲームはアクションなので、操作キャラで必死にがんばると、AIは死ぬほど頭が悪いのですが、それでも全滅せずに延々と戦えます。

 

攻撃すると、いわゆる魔力みたいなものが回復するので、死んだ仲間も近づくことで組成でき、つまりは永遠に蘇生も回復も攻撃もできると。

 

当然、敵のAIが突然賢くなるわけでもないので、ある程度アクションに慣れている人だと、相手の攻撃見つつ、あとは作業を繰り返すだけなのですが、それでもさすがに疲れた。

 

3連続で途中セーブ不可のマップなので、やめるという選択肢もなく、あと少しだろう・・・とか、いや、もしかすると部位破壊を全部同時にやらなければ、とか、もはやパターンを考えながら、回避、攻撃、死なない、次のパターンを考えるを延々と続けていました。

 

途中、増援という名の弾幕モブがでてきますが、後半は全部無視し、ある意味弾幕ゲームと化しましたがそれでも必死に回避、攻撃、回避、蘇生、回避、攻撃・・・・。

 

さすがに途中のども渇き、トイレにも行ったわけですが、さすがにバグだとは思わなかった・・・。

 

さすがに手がちょっと疲れてきて、明日の仕事もあるので、もう寝ないと、と思い、ちょっと気が緩んだら、仲間の蘇生が間に合いませんでした。

 

自分が死ぬことはおそらくないのですが、仲間が死ぬというのは一応ストーリー上からその仲間が抹消されるらしい(まだ誰も死んでないので)ので、いやだなぁ、ということでここでギブアップ。

12時過ぎから初めて気が付けがもう4時過ぎてるわけです。

 

死んでから、いや、お前、これなんだよ・・・、なんか隠しフラグあるんじゃねーの、とか、ネットで探すと・・・

 

バグらしぃとの情報が・・・。

 

いやね、このゲーム、もう発売してからかなり立つんですよ・・・。

でもパッチも配信されてないんですよね・・・。

 

先日DLCの配信について告知されてたわけですが、そんなことよりさすがにこれ修正しなさいよ・・・。

 

それか途中セーブさせないと、3連続なんで回避もできないし、それ以前にもうやり直す気力も結構うせるんですが・・・。

 

アクションゲームだと、死ぬ、というのもなかなか大変で、なれると死なないので永遠に戦うことになります。

 

基本、ステージ後に仲間が復活するゲームだと、ぶっちゃけ、仲間無視できるケースもあります。

 

そういうゲームでさすがにこの手のバグはつらい・・・。

 

おそらく、このボスは一度HPを回復するようなのですが(戦ってるときには気にしてない)たぶん序盤で一気に削るとこのバグが発生しているような気がします。

 

一応このゲームのボスには弱点があり、その弱点を攻撃するためのいわゆるお勧めの手順的なものがあるわけですが、アクションゲームですと、その手の手順を合えてやらないほうがボスが倒しやすいこともあります。

 

このボスですと、多段でヒットする箇所が比較的多いので、正直範囲系の攻撃でごり押しすると、別に弱点無視してもいくらでも削れます。

強い、という書き込みも後で見ましたが、僕自身は比較的相手の攻撃が単純であった分、先ほどの多段ヒットを狙った攻撃でやることで、むしろ弱い相手であったように感じました、が、勝てませんでしたが。

 

で、たぶん私と同じようにそれに気づいた人はなんとなく全員漏れなく不幸になっているような気がします。

 

アクションゲームですから、必ずしも手順通りの攻撃をプレイヤーがするわけではありませんよ・・・。

 

攻撃可能部位があると、基本はもっともダメージ効率がよく、かつ安全係数が高い部分を攻撃するというのがセオリーで、そもそも四足を個々に撃破するとは限りません。

 

うーん。

 

クリアーしたいけど、これはわざわざ面倒な倒し方せんとあかんのかなぁ。

 

アクションゲームで、倒し方限定されるとか、結構ひどいと思うんだけど・・・。

 

アクションゲームの基本は、プレイヤースキルしだいで別にレベルさとか覆しちゃ得るところだと思うだけども、その逆を行かれるとは思わなかった。

相手が強いってのは普通に攻略方法を考えるわけだけど、こういう結末はね、やっぱりこたえる。

 

もともと今作はゲームシステムが変更されて、批判が多かったわけで、それでもまぁ、シリーズファンとしては噂はしらん!きっと体験版から改善されるはずだ、という思いで買っているわけですよ。

 

いろいろ大変なんだうけども、もう少しがんばってデバッグしてもらえんですかね・・・。

 

本当にお願いしますよ。

お互いの価値観を理解できないのは双方の問題

 

簡単でいいよって そんな簡単なご飯なんかないんだよう って言いたいわ。 ..

ん?冷凍うどんとうどんスープを買い置きしておけばいいよ。うちは疲れたときはこれ。連日で飽きるときは、なんでもいいので冷蔵庫の野菜を炒めてのせれば尚芳。アレンジだととろろ昆布とか乗せるものでも全然変わる

2017/01/25 09:47

 

よんだ。

 

背景がわからないので、記事主やその行動にも何かしら原因があるのか、それともパートナーに問題があるのか、その両方なのかわからない。

 

ただ、基本的にこの手の会話について「簡単な料理を勧めるとかそういうことじゃないんだよ」という意見については、単純には同意しかねるというお話。

 

そもそも「簡単でいいよ」という背景がわからない状況で何が最適解なのかなどわかるはずもない。

 

前提条件として、既に簡単なものを出したら怪訝な顔をされた、とか、料理しないのに出されるものには口うるさい、とか、そもそも共働きだ、とか、なにかしら前提条件があり、記事の内容が精神的負担によるもの、と判断されないかぎり全方位の可能性を考慮する必要がある。

 

で、個人的な意見として「簡単でいいよ(ね?)」というのは比較的よく見かけるフレーズのようにも思えるし、実際、我が家では妻からも私からも発せられるフレーズでもある。

 

重要なのは、我が家では、私からだけでなく、妻からも当然発せられると言うこと。

そしてそのフレーズがでた瞬間に我々夫婦の間では、ほぼ3択が確定する事。

それは「うどん」「らーめん」「冷凍食品」のいずれかとなる。

 

我が家はとも働きなので、基本は妻の仕事の状態により晩ご飯を決める。

もっとも、そもそも何を作るか、というのは当日以前に決まっており、Googleカレンダーに登録されているので、それが作れないという状況の場合「簡単なもの」または「外食」「お弁当」の何れかとなる。

 

で、そのどれであっても、そもそもお互い不満はない。

 

理由は単純で、そのフレーズがでる状況やその理由をそれなりに理解しているから。

 

そもそも「簡単でいいよ(ね?)」というフレーズがでるのは、何か理由がある。

例えば昼間に外出して疲れているであったり、パートナーの体調が悪いであったり、急な用件や仕事の影響などで時間が遅くなった又は時間がない、その他そもそも料理する気分ではない、など、何かしら理由がある。

 

少なくとも、我が家では料理は妻がしてくれるので、妻の状況により料理の品も前述の選択肢も変わるし、少なくとも私の事情で変わる事はない。

 

妻も恐らくは私に「簡単なものでいいよね?」というフレーズを使う事に、それほど不安や戸惑いはないと思うし、そもそも過去、その統べてで「いいよ」という回答になっているので戸惑う理由もない。

 

このフレーズを肯定して受け入れる人と、受け入れられない人の違いはなんだろうか。

 

それは「お互いの価値観の理解」の状況だと思う。

 

同じフレーズであっても、価値観を共有しており、その事を背景や状況を理解し受け止める家庭や組織では肯定して受け止めることができる。

逆に、価値観の理解ができておらず、背景や状況の理解もできていない場合、少なくともこの言葉を発する方も、受け止める方も、言葉通りの意味に受け止めることはできないだろう。

 

結局、言葉の意味や価値は、その言葉をやり取りする人間間の関係の成熟度によるのだと思う。

 

確かに、そういった成熟度に依存しないような万能で万全な言葉遣い、選択ができると言うことはもっと素晴らしいかもしれない。

 

ただ、関係が成熟している人間からすると、その配慮は、もしかするとお互いの負担になるかもしれない。

 

どちらがよいというものではないが、私は、言葉遣いに気をつける事は大切だが、それ以前に、例えば「簡単でいいよ」または「簡単でいいよね?」という会話がパートナーとの間で肯定できない関係であるというのであれば、まずはその関係についてもう少し成熟させることの重要について考えて欲しいと思う。

 

「簡単でいいよ」に限らず、夫婦、パートナー、組織、あらゆる状況でその言葉の意図を正しく理解すると言うことは大切である一方で、発する側と受け止める側が必ずしも同じ意図をくみ取れないという事は少なくない。

 

コメントにあった「デザイナーに対して“簡単なものでいいので”作って」という言葉」であったり「アプリを“簡単でいいから”作って」という例えがまさにそれにあたる。

 

発する側に悪意があるのか、と問われれば、恐らくはない。

が、受け手にとっては「ふざけんな」という気持ちになる。

当然、発する側がもっと考えれば良いのだが、発する側と受け止める側は同じスキルでもなければ、同じ情報をもっているわけでもないので、それには限界がある。

結局この場合も「簡単なもの」を作る負担や、そもそも作るというもののレベルがわからない(デモ程度のものを社内でみるだけなのか、それとも成果物として社外にもでていくものなのか等)し、それが一時的なものでよいのか、持続的な維持が必要なのかなどにもより負担は異なる。

そういった点を組織として理解していかなければ、ただ発しないだけでは改善しない、なぜなら「簡単なもの」を欲するというのは、何かしら理由があるので、その点についても同時に議論しなければ根本の課題は解決せず、それは「簡単なもの」に変わる、別な言葉やフレーズが登場するだけの事だから。

 

結局、どんな言葉であっても、フレーズであっても、それを発する側と受け止める側の関係によりその言葉・フレーズの意味や意図するところは変わるので、もし言葉やフレーズに違和感を感じているのであれば、それはその言葉を発する事を禁止するという事も一つの手段ではあるものの、その言葉やフレーズについて共通の価値観がもてるように関係を改善するというのも一つの方法ですよ、と言いたい。

 

昨今はなんでも「配慮」「正しく」「こうあるべき」という、凄く画一化された定義が蔓延しがちで、それがあたかも「絶対」であるような風潮が多く見られます。

 

確かに万人にとって、もっとも最適化されているというのは、不幸を減らす事は可能ですが、それは「最大」には到達しません。

 

二人の間、組織の中、でもっともよい「最適解」が見つけられれば、当然、他の人にとっては最適でなかったとしても、それは、その二人にとっては最適であり、結果、最大の結果につながるのではないのでしょうか。

 

この投稿に対するブコメのリアクションというのは、非常に昨今の社会の縮図を感じずにはいられませんでしたね。

 

生理痛に対して「じゃあなんで病院行かなかったんだよ!」は実はそれなりに正しい

 

私が怒っている理由

生理痛について僕は理解があると思うのだけれどその話と社会人として相手の状況や様子についても理解すると言うことは同じぐらい大事。彼氏であっても人間であり眠気や体調により感情の起伏もある。そこは理解すべき

2017/01/20 17:39

 

よんだ。

 

共感してほしいという気持ちはわかるが、同居した夫婦でもなく、同棲しているカップルでもないという前提条件だと、流石に相手の状況もわからないまま一方的に自分の都合だけで「彼女なんだから」というのは無理筋だと思います。

 

一方で文中にある「じゃあなんで病院行かなかったんだよ!」は実はそれなりに正しい意見ではあります。

 

女性の方に理解して欲しいのは、生理痛という症状について、女性全員が凄くつらい、というのは常識ではありません。

当然、個人差、体調など様々な条件で、個人の中でも振れ幅がそれなりにあるのですが、産婦人科で話を聞くと、生理痛自体の痛みは本来は限定的であることが多いという話を聞くことができます。

 

ではなぜ少なくとも一定数は生理痛が辛く、出社や登校が難しい程の痛みとなっているのか。

 

実は私の妻も生理痛が酷く、本人はそれが当たり前であると考えていたものの、話し合ってちゃんと病院で見て貰うこととしました。

その時に教えて頂いた話として、そもそも生理痛での痛みは全くないわけではないものの、本来はそれ自体が激痛で動けないという程のものではなく、そういった痛みがある場合は、多くの場合で「子宮内膜症」など、その他の原因や影響であることが多いというものでした。

 

実際、私の妻も生理を薬で調整する事で、当時ほどの激痛はなくなり、生理痛が大幅に緩和されている状況です。

 

ここで理解してほしいのは、こういったことはちゃんと病院に行かないとわからない、という事です。

 

痛みや炎症のようなものは、何かしら体のサインであり、それは思い込みで判断する事は非常に危険です。

 

同じ頭痛でも、肩こりが原因であることもあれば、失血などの影響で圧迫されて起きるものもあり、その原因やその影響の大きさは全くことなります。

後者の場合、直ぐに手術するなどの措置が必要ですから、同じ頭痛であっても、行うべき措置も、その緊急度も異なりますので、慣れなどに惑わされず、冷静に判断して適切な処置を講じる事が必要です。

 

生理痛に話を戻すと、恐らくは彼氏はそこまでの知識や考えはなかったでしょう。

ただ、女性自身も私は変わって欲しいと思うのは「痛い」が当たり前ではないこと、そしてそれは、診察を受けることでわかる事もあるし、全員ではないにせよ、それが改善する人もいることをしっかりと理解してほしいのです。

 

女性にしかわからないことであるからこそ、女性が周りに人や知らない人にちゃんと知識を共有する事で、生理痛とより良く付き合う事ができ、そしてそれに関連して起きる悲劇も予防する事ができます。

男性に知識の向上や理解を求める事も意味がないとは言いません、ただ、少なくとも結婚もしていない、同棲もしていない男性が、日常的に触れない事について十分に理解できるというのは、それはなかなか難しいと私は思います。

私自身、結婚するまでそういった事をそれほど深く考えた事も、深く調べたこともありませんでしたから、私はたまたま結婚という変化により、パートナーの体調や生活について改善できる事はないのか、であったり、私がどう付き合えばよいのか、という点を考えるに至ったわけですが、そのような変化が訪れていない人には、なかなか難しいという事は私も理解できますし、女性にも理解してほしいと思います。

 

「病院にいけ」というのは凄く無機質的に思えるかもしれませんが、それにより回避できる事も多く、それを実行するというのはもしかすると二人の関係を壊さずに済む良薬かもしれません。

 

そういった意味で「いつもの・・・」であったり、「みんな・・・」といった考え方ではなく、「私は凄く辛い」という現実だけを考え、そこから「少しでも改善する事はできないのか」であったり「もしかするとこれは違う病気なのではないだろうか」という警戒や考えを少ししてみるというのは、凄く大切な事だと思います。

 

生理痛が嫌いであっても、どうしても付き合わざる得ないもので、極論言えば、別にそれは彼氏がいなくてもそうせざるを得ません。

 

そう考えるとパートナーへ共感を求めると言うことも良いですが、もう少し冷静になって考え、少しそういった知識について調査したり、専門家に相談するなどしてはどうでしょうか。

 

是非、女性同士でそういった事を、もっと踏み込んで話し合い、知識を持っている方は是非周囲にそういった知識が大切であることを伝えて欲しいと思います。

 

PS.男性もたまにはちゃんとそういう事を調べてね。

だとすると過払い訴訟の企業側弁護士は全員懲戒相当なんじゃないですかね?

 

提訴の弁護士「懲戒審査相当」 AV出演拒否で女性に賠償請求 日弁連異例の決定 「正当な活動」反論も(1/3ページ) - 産経ニュース

うーん。個人的にはそもそも弁護活動は対象となる契約の妥当性に対するものなのでそれ自体を問題視するなら同様にグレーなビジネスをやっている事業の弁護は全て懲戒相当にしないとだめなんだが日弁連はそれをやるの

2017/01/19 13:00

 

よんだ。

 

まず、前提としてですが、出演拒否という行為と民法の問題については、それはそれで解消すべき話です。

詐欺またはそれに類する行為について救済措置がないのは、それは弁護士法や弁護士の倫理規定ではそもそも保護できず、請求理由のような話では予防もできません。

そもそも出演拒否問題は、拒否する時点で救済できるだけの情報や知識を流布しなければ、済し崩し的に出演させられるという事がそもそも問題で、事後の処理で弁護士に倫理規定により云々なんてのは、もはや戦後処理について論じているわけで、状況はほぼ改善できません。

 

ところで、今回の内容は「訴えの正当性がないことを知りながら提訴するなどの『不当訴訟』とまでは言えないものの、提訴や訴訟内容に問題がなかったとは言えない」と記載があります。

この一文ではそういった訴訟の提訴に荷担する事や訴訟の中で倫理的に不適切と判断されるものについて弁護士が荷担する事があった場合、場合により処分相当の措置を行うと解釈できます。

 

と、するならば、いわゆるグレーな企業の弁護を請け負う弁護士はどのような倫理感で業務を行っているのでしょうか?

 

例えば、過払い訴訟は原則として過払い金を受け取る側が訴えますので、一見すると今回のケースとは無関係に思われます。

ところが、そもそも利益を得る側が必ずしも提訴する側とはかぎりませんから、この適用は当然提訴に関わらず受任した場合にその判断が必要という事になります。

とするならば、過払い金問題は、そもそも最高裁判決の確定から一気に流れが確定したもので、関わる弁護士が行っている事は「①過払いの不存在の主張(やるだけ)」「②起算日の協議(少しでも減らす)」程度の事でしょう。

つまり、そもそも受任する時点で、この訴訟は消費者に対して社会通念上認められないような交渉をとりあえず行うというものであって、大半のケースでは和解(ほぼ消費者側の主張通り。例外的に起算日を証明する資料が存在しない場合や分断の認定、引き直し計算の間違いの場合のみその訂正が行われる程度)に至る事は受任時点でわかっているわけですから、当然この裁判を引き受けると言うことは、消費者を追い込むことが前提となっているわけです。

 

仮に、過払い訴訟における企業側弁護士を処分相当として処理する場合ですが、虎ノ門あたりの弁護士事務所はばたばたと倒れるでしょうね。

 

当然、倫理上の話で言えば、契約書類のリーガルチェックの落ち度もあります。

社会通念上認められないような契約書た立て付けを作る弁護士は、当然その後に起きる不利益を理解しているわけです。

つまり、これまでは法的リスクが存在する事を説明し、最終的にはそのリスクを受け入れるのか否かは企業側の判断であり、弁護士はその判断に介入しないというのが当たり前でした。

ところが、弁護士が自信の職務に従い、リスクの説明などを行ったとしても、そのリスクを企業側が理解した上で、消費者に不利益になるような行為に至った場合、これは当然弁護士がその行為に荷担した事になるでしょう。

 

勘違いしてはいけないのは、弁護士の仕事は訴訟だけではありません。

当然、訴訟が一番わかりやすいですが、日常的な部分では、契約や約款の作成、交渉、法的助言など、大抵の場合、そもそも企業間で交わされる契約や、ビジネススキームの整理には弁護士の意見が多分に反映されます。

実際、新しいビジネスを開発する場合、特に金融サービスでは様々な法律との調整が必要であったり、様々な資格が必要な場合もありますから、そういったものも一つずつ、定義を明確にし、解釈を整理し、誤認されないよう文言を整理、場合によっては意見書を作成して頂き、それも含めビジネスとしての基盤とするわけです。

 

弁護活動による行為について社会的な影響を前提に処分を行うというのであれば、それは弁護活動だけでなく、弁護士としての活動全般に対して行うべきでしょう。

 

私が知る限り、企業の顧問弁護士というは、大抵の場合、企業側に立ち、如何に法律を回避しながら企業のリスクをなくすのか、言い換えると、リスクを企業の側ではなく消費者の側に持たせるか、というのが仕事になります。

こう言ってしまうと、悪のように思われますが、これは企業を安定化する事であり、それは社会を安定化させると言うことです。企業や社会の安定化が必要な理由は単純で、その安定化が消費者の安定適な生活には必須だからです。

 

その為、社会情勢や世論などの影響を受けず、純粋に法律に照らし適切な判断、助言、業務遂行を行う義務が弁護士にはあり、それがある意味弁護士が、弁護士として社会基盤を安定化させることに寄与する一つの方法でもありました。

 

しかし、今回の一件により、その前提は大きく変わりました。

 

今後は、弁護士は社会情勢や世論を意識しなければなりません。

その影響は恐らくは企業活動に影響を及ぼすでしょう。

 

その程度がどうなるかはわかりませんが、場合によっては、企業の安定性をそこなうような自体になれば、当然私たちの生活にも影を落とす可能性も否定できません。

 

被害者を救う、守るということは非常に大切です。

それは、予防的措置も必要ですし、同時に事後のケアも必要です。

 

ただ、本来その役割は法理やそれに類するもので対応するのが筋であり、少なくとも弁護士の活動について制限する事で対応するのは、確実に不適切だと言い切れます。

 

もし、そういった処分相当の対応を行ってでも、というならば、日弁連はまずは議員立法のような即時性のある方法で保護する手段の確立に全力を尽くすことが本来の役割であり、混乱の火だねを法律の専門家が作ると言うことについては、全くもって理解も同意もできません。

 

日本でも多くの人が、トランプ大統領の出現により、世の中は大衆世論の影響に左右されてしまうのではないかと考えたと思います。

 

その現象は今回の一件を見る限り、海の向こうの話ではなく、この日本でも起きており、それは法律・規範という一番揺らいではならない部分から影響を及ぼすという、本当に信じがたい事になっているようです。

 

「救うこと」を理由に雑な仕事を正当化してはならない。

「救いたい」のであれば妥当な手続きを妥当な方法で取るべき。

 

それをやらないのであれば、一時しのぎをしているに過ぎず、つまりは、しっぽ切りをするだけで、日弁連自体はこの問題(AV出演強要)について、本気で向き合おうとはしていないと言うことです。

 

これはそういう記事だと私は思います。

ブログの記事に価値は必要ないが、記事に対する評価には意味が必要というお話

 

はじめての人のための、3000円投資生活始めました - minimum-minimum?

はてなのトップにのる投資記事は本当に役に立たないのが多いけどこれはまた一段と中身のない記事ですね。なぜこれが役に立つのかわからないし、記事から伝わるものが正直なにもなさ過ぎてびっくりするんだけど・・・

2017/01/14 23:28

 

よんだ。

 

正直、一個人が勝手に書いている記事にここまで罵倒する必要もないのですが、この罵倒はコメント欄を含めた総合的な価値についての罵倒です。

 

まず、私は一貫して、ブログなんてのは個人の雑記であり、一言日記でも、妄想でも、妄言でも、少なくとも他人に迷惑をかけない程度のものであれば、極論言えば、事実でなくとも正直どうでもよいのかな、と思っています。

 

ですから、個人が自分のブログの中で、神様になろうが、個人の日常を発信しようが、それこそがそのブログの価値で、その、例えばなんの価値もない事自体が「価値」なのだと思っています。

 

が、それは「記事」自体に対する意見であり、理解です。

 

誰かが書いた記事について、別な誰かが評価する。

これにはそれぞれの人に、それぞれの意味があります。

意味がないブックマークは絶対にありません。

たとえ、「あ、中身はしらんけど、きになるからとりあえずブクマ」これですら「意味」は存在しており、その行動自体が価値のあるものです。

この「(読者の)行動」と「(記事の)価値」には必ず関係性があり、関係性のない行動はまず存在しません。

 

例えば、読者数が数百に至る人の記事であれば、何気ない雑記であっても投稿した時点ですぐにブックマークが集まり「価値」とは関係なく「行動」が生じる事はいたって普通にありえます。

 

一方で、数十程度の読者登録であった場合、いきなりブックマーク数が跳ね上がりトップ記事となるにはそういった「有名」という力では実現できませんので、基本的には記事になにかしらの「価値」がなければ流石に違和感がありすぎます。

 

つまり、記事に「価値」がない事は書き手の自由ですので問題ありませんが、その「価値」がない記事が、さも「価値」があると評されている事が異常であり、そこには何らかの意図が必ずあるということです。

 

当然、記事に対しての「価値」とは、さまざまな人のさまざまな評価があって然るべきです。

ただ、その評価軸の違いも、トップ入りするというレベルになると時間の進行に合わせて一定量の評価が存在しないとならず、それもはてなのトップですと、原則は「はてなブックマーク」というツールの仲介が大きな影響を及ぼすと思われますから、非常に古典的な手法以外では掲載させる事ができません。

 

つまり、単純にTwitterFacebookで知人が多いというだけでは実現しない為、他のツールと比べると、トップ入りした場合の違和感が明らかになりやすいわけです。

 

そもそも、はてなの利用者が思う以上にはてなブックマークの利用者数はネット全体でみれば限られており、正直アメブロなどと比べても影響力は限定的でしょう。

そういった点でも、他のSNSツールで支持者がいたとしても、その影響力がはてなの中での影響力になるというのは非常に違和感があり、結論から言えば、「なんか気持ち悪い」という事になります。

 

さらに言えば「ためになります」という意見や「参考になりました」という意見です。

 

記事を読むとはっきりしますが、書籍の批評についてもほぼ触れておらず、なぜその投資方法がよいと感じたのかすら言及がありません。

 

小額投資という事でいえば、近年はデパートの商品券であったり、ふるさと納税といったより安全な手法があるにも関わらず、あの金額で投資信託を使うという手法のみで突撃しているという事は、ある意味勇気を評価したいところですが、そもそもミニマリストとは、より合理的である考え方、生き方であるわけですから、投資というものに捨て銭を使うというのは明らかに違和感があります。

 

もし、記事主のブログが一定のファンを持っており、その属性を分析するならば、おそらくはそういった属性、つまりミニマリストやそれに興味のある人のあつまりである事が予想されますから、通常、こういった矛盾した行動は読者に受け入れられなかったり、むしろそういったコメント、つまり「どうしたんですか!?」みたいな反応の方が自然です。

 

が、私が見た時点では、ミニマリストが小額投資を、それも元割れリスクのある状況で突撃するという状況に誰ひとり違和感を感じないというのは、明らかに異常です。

 

あれが、もし、ふるさと納税や、商品券の購入といった類の、同じ小額投資でも現実的て合理的なものであれば私はおそらくこの違和感はもたなかったでしょう。

 

しかし、小額投資で投資信託、それもこの相場の時に・・・

 

まだ、よほど、ソーシャルレンディングの方が投資効率もいいでしょう。

 

もう一度言いますが、記事主とおそらくメインの読者層はミニマリストです。

記事主の行動、そのメイン読者の行動、記事の価値、このいずれも一貫性がありません。

 

これが私が違和感を感じ、非常に「気持ち悪い」と感じている中身です。

 

なお、「無意識で」と反論される人もおられるかもしれませんが、そこでいう「無意識」とは辞書で定義される無意識とは根本的に異なります。

ブックマークを無意識で行うというのは、もはや睡眠時遊行症と呼ばれるもので、それは病気の一種です。

基本的に多くの方が言われる「無意識」とは、明確に意図した行動であり、単純にそれが作業的になっている事から、そこに理由がない、と個人で定義している行動にすぎません。

つまりは「作業化」されている理由があり、例えばそれは前述したように有名人のブログを都度ブックマークするという定型化された行動であったり、または、何らかの理由で中身に関係なくブックマークするという行動であったりです。

これらはいずれも「無意識」ではなく、明確に意図を持った行動であり、それは「無意識」ではありません。

 

 

いずれにせよ、私は、あの記事を読んだときではなく、ブックマーク欄を開いた瞬間にあの記事は気持ち悪いと感じました。

無能なのはGoogleではなく人類そのもの

 

せめてはっきり言おうではないか. Googleは無能であると - yuko-hirom’s blog

間違ってるよ。残念な事に人間の行動そのものがそもそも偏っており、それはおそらく未来永劫改善されることはない。それが現実でありそれが真実なんだけど、その現実とちゃんと向き合えないのがまた人間でもあるだけ

2017/01/04 09:09

 

よんだ。

 

あまり中身はない(おそらく記事主も意見表明だけのつもりなので)ので、それほど記事に論じるべき内容はないのですが、ただ、根本的に間違っているので。

 

まず、Googleが有能であるか無能であるかは、結局個人の求めるものによるとしかいえません。

 

例えば、ホロコースト問題なんてのはある一つの事象に過ぎず、あの手の話は探せばいくらでもあります。

 

で、アレがGoogleの無能さの象徴であるかといえばそれは違います。

 

そもそも検索にはおおざっぱに2つの動機あります。

 

1つは、未知の答えを探す場合。

これは純粋に答えを求めているもので結果にたどり着けるかどうかという点については、キーワードと同時に検索エンジンのインデックスの最適化によります。

 

もう1つは、(本人にとっては)既知の答えを探す場合。

こちらは、例えばホロコースト問題でいえば「なかった」事実を探しているわけではなく、なかったと考える自分の答えを正当化する為に検索しているわけですね。

 

残念な事に、人間はある事柄と完全にまっさらな状態で向き合うというのは非常に難しく、大抵の場合、何かしら自分の意思を含め、その答えを考えます。

 

これは完全に無意識的なものなので、防ぐ事は事実上不可能です。

 

この人間の行動は当然Googleも想定しているものですが、この行動の一番の問題は、意図的に事実を決定しない限り回避できないというものです。

 

例えば、ホロコースト問題1つとっても無数の枝葉に分かれた記事、議論など無限にコンテンツが作成されインデックスされます。

それは否定するものもあれば肯定するものもあり、ただ単純にスコアリングを弄る程度では解決できません。

 

結果的に、検索結果に対して人間が意図的に結果をゆがめなければならず、それは本来人間の行動に基づき最適解を出すアルゴリズムの結果を人間の意思で否定しなければならないというもの、まさに矛盾そのものです。

 

ホロコースト問題のように比較的あきらかな問題はまだよいでしょう。

それがもっと判断が曖昧な問題に対してはどうすればよいのでしょうか?

100人中、50人は肯定し、50人は否定した場合はどちらが正しいのでしょうか?

検証できない事柄があった場合は?

検証された事実について、怪しい事が第三者から指摘されているものは全て否定すべきなのでしょうか?

 

本来、Googleが行っている事は正しい答えを返す事ではありません。

インターネット上に無限に存在するコンテンツの中から、最も影響があり、最も最適解だと思われる事を返しているに過ぎません。

 

ホロコースト問題でいえば、インデックスをゆがめる程の量のトラフィックが否定する事を是とする意見で埋め尽くされた結果であると言えます。

 

残念ながらGoogleは歴史書でもなければ、正史を紡ぐものでもありません。

人間の考え、行動を理解し、その総意から最適解を出すのがGoogleであり、それ以外の検索エンジンであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

 

ホロコースト問題でいえば、実はGoogleが有能であった為に起きている問題であり、検索技術全体でいえば、あれはアルゴリズムの問題というよりも、人間社会の闇の縮図であり、社会問題をどうやって解決するかという一つの問題であります。

 

もし、Googleが無能であるとするならば、そもそもそれを生み出している人類はそれ以上に無能であり、無能同士の評価に意味などありません。

 

そして、この問題を、純粋に解決する(つまり、人間が誰かの意思で結果を曲げない/例え正しい答えであっても、総意を特定の意思でねじ曲げることは純粋な結果ではありません)に唯一の方法としては、人間が集合として有能になる以外に方法はありません。

 

皮肉な事に、管理統制されなければ人間が正しい答えすら維持できないという、まさに人間社会の無能っぷりの象徴であるとまさに思います。