何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

id:ken530000 氏へのご返事

FUNDINNOで口座開設を否決されました - 何気ない記録

リスクが大きいとはっきり書いてますし、「実際出資するかどうかは慎重に考えたい」とも元記事中で書いているわけですが・・・ろくに読まずに言及するのもいかがなものかと

2017/05/02 11:07


コメントありがとうございます。

 

冒頭に「それほどよんでない。」と書いていますが、全部ちゃんと読んでますよ。

「それほどよんでない。」の意図は、僕にとっては読んだ結果、(私にとっては)それほど中身がなかったという期待と得た情報のギャップに起因する表現であり、その点が「読みもせず言及するんじゃねーよ」という誤解を招いたのであればお詫びします。

 

ただ、こう言った記事(貴方の書かれた記事であったり)は、そもそも個人の第一印象が書かれている事が多いですので、タイトルから興味をもって読んだなら中身は薄い記事だったとしても、まぁそれは仕方ないと、が、それに言及したいときはその気持ちをどこにぶつけて良いかわからない点(つまり、タイトルから生まれた興味や関心を消化できないもやもや感)を可能な限り詰め込んで「それほどよんでない」という感じの表現にしています。

 

個人のブログですからね、いちいち全ての記事に途方もない熱量を込めて書くなんて現実的に無理ですし、私の記事も文字数のわりに薄っぺらいですし、それ以上に、ブログなんて自由に書きたいですからね。

 

良いものはよいと感じましたと書かれるのは自由ですから、それを「中身の薄っぺらい記事を書くな!」なんていちいち煽るのは世知辛い気もするんですよね。

 

なので、それほどあおらない程度に私の気持ちを多くの記事では冒頭に「よんだ」「よんでない」「それほどよんでない」など、実際には読んでいても、例えば読むほどでもなかった、という意味を遠回しに表現する為に記載しています。

 

もっとも、もうこうやって書いてしまったので、今後どう表現するか一度考えねばなりませんが・・・。

 

その点は私のマイルールであって、読み手にはわかりようもない事ですから、誤解を招いたのであればお詫びします。

 

その他「読んでいるのにこんな書き方するんじゃねーよ」というご意見は引き続き受付いたしますので、何かあればご自由にコメントいただければと思います。

 

なお、「実際出資するかどうかは慎重に考えたい」という意見ですが、貴方自身に対する意見だけでいえば確かにそうでしょう。

ただ、私はどちらかというと貴方と同様にFUNDINNOを利用したい人がいた際、もしも上場益を目的として投資を行うという事であれば、それは夢としても中々難しいものですよ、という意見をそれら全ての方に対して発信したつもりです。

 

それ自体は、貴方が「このサービスいいよね!」と感じたことと同じで、私も「いいねと感じるものの、同じだけ不安もあるよね」という事を意見したに過ぎないつもりです。

 

その言及が貴方の記事を切っ掛けにして行われた事について不満であると言われると、大変申し訳なく思いますが、それをもって「みんな肯定意見以外は禁止!」とするのはちょっとどうかなと思います。

 

私の記事にも「文字の割に中身ねーじゃねーか」と、偶にしかないブコメで言及されて、それこそ辛い日も(偶に、年に1回ぐらい、それぐらい言及はありませんので・・・)ありましたが、それ自体については私は受け入れています。

 

だからといって、貴方のそれを受け入れろ!というつもりはありませんが、そういうのが僕の中ではインターネットだと思うんですよ。

 

そんな感じです。

 

FUNDINNOで口座開設を否決されました

 

株式投資型クラウドファンディングって何?リスクやリターンは? - 私の戦闘力は53万マイクロです

ちなみに私はこの会社のこのサービスでの口座開設は否決されましたよ。今までそういった対応は基本なかったので微妙ですね。まぁ、否決の理由は当然わかりませんが、金融関係者には見せられないという事ですかねぇ。

2017/05/02 09:42

 

それほどよんでない。

 

金融事業に関わっている影響であったり新興サービス系ですと場合により同業という事でまれに確認が入る事はあるものの、問答無用で即時否決されたのはFUNDINNOが初めてでしたね(笑)。

 

一応私自身はそういったサービスの紹介(このブログではありませんが)であったり、インフルエンサー的な事もやっているので実情を知りたいという興味はあったのですが、それ以前に門前払いでした。

 

内部的な契約や実際のリターンに関する詳細が読めないので、投資系ブログでは触れられない(投資系のブログでは基本マイナスの話はそれほど人気がないので)為、折角なのでコチラで弄っておきます。

 

まず、上場益を狙うという話については、基本無理でしょう。

発行株式の内容の詳細がわかりませんが、資金をベンチャーキャピタルから調達せず自前資金で運用が難しい状況の中で上場までこぎ着けるというのはかなり至難の業です。

 

そもそもベンチャーキャピタルが行っている事は、当然資金の提供もあるのですが、それ自体が呼び水となり、追加の出資の手配であったり、事業が拡大、安定させる為に必要なリソースへのアクセスであったりと、上場に至るまで、例えば財務面だけに限定してもそれなりに支援・助言を受ける事となります。

 

逆にいうと、ベンチャーキャピタルが出資を引き受ける場合は、同業他社のお手つきの状況や借り入れ、株式の発行状況なども勘案されますので、この手の事業で複数の株主が既に存在する状況下で大口の出資をしてくれるとは思えませんので、一度この手の方法で資金を集めると、おそらくはよほどな優良事業でないかぎりはもうベンチャーキャピタルからの出資を集める事は難しいのではないかと思います。

 

もっとも、資金的に余裕があれば特にそういったものについても全て自前で行ったり、また、逆に経験が豊富な経営陣や事務方を抱えている場合も、そういった支援なく自己の力のみで上場まで進める事はできなくありませんが、逆に、経験していればしているほど、そもそも上場前に環境を整える意味でもそれなりの条件で資金を集め、整えた状態で上場手続きにはいる事を選びます。

 

当然、1000万程度の出資ですので余程現時点で有力な事業でないかぎりはベンチャーキャピタルからの支援は受けられないでしょうが、言い換えると、ベンチャーキャピタルでなくそれ以外を選択しているという事は、つまりは多くの場合でそういう事だと考えるべきです。

 

未公開株の話でもありましたが、基本的に我々の界隈でもうまい話は回ってきますが、多くの場合、それは誰かにとってうまい話であって、その利益をある人が受け取る為にだれか犠牲になる人が必要で、多くの投資話はリスクの引き受けを喜んでしてくれる人を探しているわけです。

 

また、ベンチャーキャピタルのイグジットについても上場益による手段ばかりをイメージしがちですが、そもそも上場による手段で利益を受け取るケースはおそらく全体でも1割にも見たいない案件であると思いますよ。

 

さらに言えば、あくまでも個人的な意見としては、株式の発行による資金の調達は素人目にはよい手段のように思えますが、一度株式の発行による手段で資金を調達した場合、発行方法にもよるものの、基本的には煩わしい手続きや、その後の資金調達にも影響するのでよほどの事がないかぎりおいそれとは選びません。

 

もっといえば、上場にいたる為には、そもそもその投資により構築される事業が収益性が高く、継続的な成長が見込める必要があります。

短期的に収益が確保できる場合は、そもそも株式の発行ではなく借り入れによる方法の方が煩わしさがないわけですが、その手段を選ばない(選べない)という事は、それなりに事情があるという事ですからその点からみても短期的に上場に結びつく可能性は非常に低いでしょう。

 

今回でいえば国際特許の取得費用云々がありますが、そもそも国際特許の取得についてはおおよそ半分程度の費用は補助を受けられますし、雇用の創出も見込める場合、低利での借り入れも可能です。

ですので、資金使途の一つである費用部分はそもそもこの手段で集める必要はなかったわけですが、素人目には国際特許の出願というのはなんかすごく可能性があるように見えますからね。

 

何れにせよ、仮に上場による回収を見込んだとしても少なくとも数年のお付き合いは当然ですからまぁ、3年〜5年程度で結果がでてくれればまぁ良い方ではないでしょうか。

一番きついのは、次から次に株式による方法で資金を調達したあげく、利益があがらない状況におちいると、もはや事業を継続する事も、たたむ事も難しくなるので解散すら選択できなくなる点です。

 

大口であれば事業を売却させるなどで回収も可能ですが、小粒での出資となると事実上経営への関与は不可能ですので、そういった点もよほど緻密に契約上保護されていないと、大口の事情に振り回される事になるでしょう。

 

という感じで、基本的には投資目的の人は宝くじを買うようなもので、投資というよりはベンチャーに対して無償投資をするようなものであると考えるべきです。

 

当然、可能性はゼロではありませんが、まぁ、限りなくゼロに近い、ゼロではない割合というのが事実ではないかと思います。

 

内部的な契約の立て付けや詳細を確認できれば投資する側へのメリットも紹介できたのですが、残念ながら否決されてしまったので、外から見る感じの違和感のみお伝えする感じですかね。

 

やっぱり投資関連のサービスは詳細がわからないとどうしてもマイナス面しかかけないですね。

 

むしろあれだけしか情報がない中でポジティブな記事が書けることが本当にうらやましいです。

 

今年は私ももう少し盛った記事が書けるように頑張ってみたいなと思います。

 

定義を否定すると議論は成立しない

 

傑作かどうかを周りの評価で判断する愚かしさ - orangestarの雑記

いやこれはちょっと批判しすぎでしょ。傑作の定義に売り上げや絶対的な評価を含めている場合という話で、結局いっている根っこのところは同じだよ。この記事だって、別な人の定義では批判の対象なわけで。落ち着けよ

2017/04/27 05:52

 

よんだ。

 

まず、前提として作品の価値は結局のところ視聴者、読者など受け手一人ひとりが絶対的に持つものであって、自分以外の評価や、作品に対する市場を通した相対的な評価など意味はありませんし、私は興味もありません。

 

ただ、その意見を是とするためには、言い換えると自分以外の意見についても、例えば表現のまずさや、言葉の間違いについてはやり取りや意見の交換はあるものの、それをのぞくと、そういった異なる評価、感想についても基本は受け入れることが求められます。

 

私自身、これはなかなか難しいことで、実際に別な方の感想について、その部分は違うんじゃないのか?という意見もしたことがあるのですが、それも、意見の範囲としては作品の解釈自体ではなく、作品の意味であったり、それの持つ意味のような部分に限定しているつもりです。

もっとも、意見することの多くは、作品というよりは、作品論や監督や製作に関する認識の部分のほうがおおいですが。

 

さて、本題に戻すと、これは元記事も含め、双方の考え方の問題なので、周りの批評を気にしない、ということであれば双方の意見が是とされなければやはりいけません。

 

もっとも、そもそも元記事が id:orangestar 氏の作品に関するお話についての意見であった部分もあるので、その応酬になっている感もありますが、もしもその方向性であれば、価値観の持ち方や批評の仕方という部分での反論ではなく、あくまでも作品の感想についての解釈についての議論とすべきでしょう。

 

というのも、記事中でもご自身が触れているように、価値というのは結局その人本人が自分の尺度で決めるもので、他人の尺度や定義などまったくもって無意味ですし、聞き入れる余地はありません。

 

結局、「私はこうおもった」、ということが全てで、せいぜい反論すべきは「あの監督は」みたいな、お前は監督のことをそんなにしっとるんかい、みたいな、作品から受け手が勝手に定義した監督像のような批評を軸としている部分程度で、それ以外、極論いえば、作画崩壊のようなものであっても、私は別にそれはそれで言いと思うし、まぁ、話の腰が折れていなければいいんじゃないの?としか思いません。

 

結局、この両者の記事は、どちらも私はこういった定義で作品を評価しました。

私はあなたのこの評価については同意しません。という内容の応酬にすぎなくて、個人的にはどちらも同意、批判すべきものでもないのかなと。

どちらかを是とするなら、それこそ、作品の評価の基準に絶対的なものを持ち込むことになりますからね。

 

周囲の人間としてできることは、私はこっちの感想にどういだなぁ、程度の話で、作品の感想自体や感想の評価方法自体については踏み込むのは御法度であるとの認識です。

 

ただ、あえてこれを記事にしたのは、この記事では、作品の感想ではなく、作品の感想の定義方法に反論しており、それはつまり、あなたのものの考え方はまちがっている、だから私の感想と異なるんだ、という領域の一歩手前まできていると感じたからです。

 

当然、文中でもそういった事を直接は書いていませんが、ただ、文章全体から感じることは、結局、お前の定義は間違っている、といっているわけで、それって人それぞれの価値観や価値観に基づく定義を否定するってことだと思うんですよ。

 

なんとなく、それはこの記事がいわんとする事と完全に相反することになっていて、個人的には、この文章を読んで、この記事を賞賛するってのはなんか矛盾してないか?と思うわけです。

 

全般的には同意ですよ。

価値観に介入する余地などないわけで。

 

でも、だからこそ、誰かの価値観のありように否定をしてはならんのではないの?という矛盾がうまれるんですよ。

 

なかなか最近だと珍しいやり取りなんですが、個人的にはこういった流れは古きよきはてな(悪い意味でも、良い意味でも)なエントリーだなぁと思いつつ、ちょっと触れてみました。

職業:医師

 

高圧的な態度をとってきた男性がある事をきっかけに「大変失礼しました!」と態度が一変した話 - Togetterまとめ

よくわからないけど、こう言ったネタで「男性に多い」「女性に多い」ってのは何を基準に判断しているのだろうか。全くないとも、そういったことは少ない、とも言わないけど最近職業欄なんて「会社員」程度じゃない?

2017/03/16 18:32

 

よんだ。

 

まぁ、そういう事もあるとは思う。

 

気になるのは、ホテルであると確かに連絡先や勤務先の記入はあるんだけど、領収書を貰ったりする以外だと最近そもそも職業なんて「会社員」や「会社役員」程度しか聞かれないけど・・・みんな凄く職業を厳格に聞かれてるんだなぁとちょっと自分が異次元にいるようでびっくりした。

 

あと「男性に多い」「女性に多い」って話なんだけど、どうやって判断しているんだろうか。

 

僕も勝手に「○○に多い」という調査もしていないような事を書いてしまう事は否定できないので自分の反省も含め、それはどんな調査から導き出した傾向なんだろうかと考えてしまう。

 

例えば「男性に多い」と書く場合、本件であれば、職業を後の記載や話で当初の内容や印象を変更する程の状況に陥り、それが相手が男性であるケースと女性であるケースで一定量の比較をした場合、男性である場合に限り顕著な差が見られるという事になるだろうけど、そんな比較可能な標本が集まるほどボクらはこう言った事例を実体験しているのだろうか。

 

実体験しているとすると、これは誠にけしからんと思う。

だって、日常で職業差別が蔓延っており、それもそれは男性が顕著に行って居るわけで、もう男性はフロントの作業には尽かせないぐらいの覚悟が必要だと思う。

 

だが、そもそも普段の中で職業をそれも職場や職位を話す事などあまりないと思う。

僕の生活範囲だと、可能性があるならば、歯医者とキャバクラぐらいだろうか・・・。

 

歯医者の場合、確かに問診票では「会社員」であったり「会社役員」という事を聞かれるので記載する。

で、歯医者ってのは思いのほか先生と会話する事が多く、また、皆さんご存じのとおり回数もそれなりに通う事となる為、その流れの中で具体的な会社を聞かれることがないとは言えない。

が、僕も流石にそこまでは聞かれたことはない。

どのような職業ですか?と問われた時は「金融系の職業です」であったり「小さい投資会社勤務です」とか話すし、その他だとどうしても出張や接待がある場合は治療を少し前後させてほしいので「今度仕事の関係で・・・」みたいな少し踏み込んだ事情説明をして治療を調整して貰うことはあるけど、それ以上の事はなかったかなぁ。

まぁ、他の方は毎回違う歯医者に行くのかもしれないんだけど、僕は基本歯医者は同じ病院にお世話になっているので、その歯医者では2人の先生にしかあたっていない。

その為、歯医者という環境で「男性が顕著に職業差別をしている」という事を述べる事はできない。

 

キャバクラでは・・・相手が女性なのでこれは論外かな、と。

もっとも、キャバクラの方が職業差別をしてくるのだが、これはどうすればいいのだろうか・・・。

 

きっといろいろな所であるのだろうけど、ふり返ってみると、女性差別というのはいろいろと思いつくものの、男性が職業差別をしているという事例を自分の体験だと、仕事以外ではそれほど体験していないかなぁと。

 

仕事であると、明らかに差別されるんだけど、これはもう企業規模や職種というものがどうしてもビジネス上の信頼にも影響するので、特に私の勤め先のような金融だけど独立系で小規模というものでは差別されても仕方ないかなぁと。

 

と言うことを感じたんですが、そんなにみんな職業を具体的に話すような事があるんですかね・・・。

 

いやだなぁ、聞かれたくないなぁ。

 

追記)

なんか伝わらない感があるので自己フォローすると、それって女性差別をする人の話で、職業差別じゃないんじゃないのか、と。

個人的に職業差別ってのは基本はプライベートでは審査、とかそういったものでしかなくて、男性からも受けたことはほとんどないような気がするのよね。

つまりそれは、女性差別であって男性の職業差別云々ではないのではないかというお話です。

女性差別があるという話と、男性がさらに職業差別をしているという話は、似ているようで違う話で、先日のエロ本の話と同じように、それはそれ、これはこれ、ということじゃないの?と感じた次第です。

例えば夫がやる

 

女性の名前で仕事のメールを送ってみたら......見えない差別に気づいたある男性の話

別コメ記載の女性にだけ優しくするというのも実際は同じです。結局女性を対等に見ないので女性であれば許す・拒絶するという異なる対応を取るのです。なので常に女性の権利の議論では女性同士でもその点が問題になる

2017/03/15 13:10

 

よんだ。

 

まぁそういう事は溢れてるよね。

 

ブコメにもありましたが、これは仕事だけではなくて、日常生活でもあふれていますよね。

 

我が家では、例えば契約関連は私が大抵対応します。

これは妻がそもそもそういった調整がそれほど得意ではない(手続きがわからないという話ではなく、単純にあまり他人と小難しい話をするのを好まないというだけ)というのもありますが、それ以前に、例えば携帯の契約や解約であっても、女性相手だから「できません」であったり「手数料がかかります」であったり「オプションの追加が必要です」であったり、「もう一度ご検討いただけませんか」であったり、いろいろと煩わしい事もあるので、そもそも契約自体を私名義にする事も多く、仮に妻名義で行う場合も余りにも面倒な時には途中から私が電話で変わって対応したり、店頭契約の場合は必ず付き添うなどしています。

 

直近であったのは某キャリアのモバイルwifiの契約解除でしたが、こう言ったものも相手が女性であるという事で対応を変えているんだろうな、と感じました。

 

もっとも、相手が女性であるのか、男性であるのかに関わらずイラッとする事もありますので、逆に受け手としては性別のみで自分は差別されている・批判されている、と、ばかり考えるのもあまり良い事ではないと思いますので、そこは冷静に自分を見つめる事も当然大事ではあるでしょう。

 

その他、身近な差別で言えば、女性だから許すといった類いのものもあまり関心するものではありません。

 

一見するとただの優しさだと思われがちですが、それは女性であったり、年齢であったりでフィルターをし、その条件でその人に対して特別な配慮をしているわけです。

言い換えると、同じ人なのに、年齢が違えば許さない、性別が違えば許さないという事を宣言している事と同じで、結果的には年齢や性別で差別している事とさほど差はありません。

 

例えば、同日入社の女性と男性がいて、同じように遅刻をした場合、これは男性でも女性でも注意されるべき事です(理由は当然確認した上での話ですが)。

同様に、同日入社の20歳の女性と30歳の女性がいても、一見すると「30歳にもなって」と思いがちですが、社会人経験なんてものは年齢で決まるものでもありませんし、場合によっては、初めて「出社」という形態で働く人もいるわけですから、年齢という物差しではなく、個々の事情や状況で判断すべきでしょう。

 

また、このような対応は、そういった配慮をされた人・されなかった人を生みだし、場合によっては要らぬトラブルも発生しかねません。

あの人は許されたのになぜ私は許されないのか、あの人は色目を使っているから・・・等、想像もしない所で想定外のトラブルも生みかねません。

 

そういった点も考えても、女性だから、若い子だからのような属性で過剰な配慮をする事はその人やその人の周囲の人にとってもあまり良い事ではないという事を理解しておく方がよいでしょう。

 

こう言った対応で許容可能なものとしては「初心者」のような、年齢や性別といったものではなく、年齢や性別に関わりなく一律に定義されるものについて、その属性の人全てに等しく対応するようなものはよいでしょう。

 

「よいでしょう」と勝手に判断していますが、当然私であっても判断を誤る場合もあれば、認識が可笑しい事も普通にあります。

 

こう言ったものは自分に置き換えたり、あとは他の人の行動や発言を見つつ、一度ゼロベースで考えてみると、また違った事が見えてきたり、考え直すべきポイントが見つかったりするものですから、そういった視点を忘れないようにしたいものです。

エロは不健全なのだろうか?

 

#コンビニはエロ本を売らずにおむつを売れ をまとめました - Togetterまとめ

「幼児向けオムツ」「成人向けオムツ」「エロ本」どれか一つをあえて選べと言われれば、おそらくエロ本になるだろうし、エロ本以外という条件をつけると基本は成人向けオムツとなるだろう。少子高齢化時代ですから。

2017/03/14 12:48

 

よんだ。

 

前提として、エロ本を撤去して幼児向けオムツを置くべき、という2原論には同意しかねるが、店舗によりその地域に応じた商品を売るべきだよね?って話なら、それはそうだと思うし、もうそうなってる。

ちなみに我が家の近くのセブンイレブンではエロ本も売ってるし、子供向けのお菓子、おもちゃ、オムツ、離乳食までうってる。

結局、需要と供給のバランスでしかなくて、地方でもしそういった販売が少ないなら、多分車の移動範囲内にドラッグストアやそういった商品を安価に扱うお店があるか、または、そもそも一定の需要が見込めないような状況なのだと思うけどどうなんだろうか。子育て世帯に補助がでる地域やマンションが入っているところだと、少なくとも普通にコンビニにオムツはうってる。

 

それはさておき、そもそもエロは不健全なんだろうか。

 

まぁ、小学生低学年以下の子供に対して見せるべきか、と問われると、それは違うだろうとは思う。

一方で、小学生の高学年以降の年齢になった子供については、もはやテレビやネットの影響もあり、コンビニだけを規制する意味などもはやないし、むしろそういったものに興味を持つのは成長という意味では普通なのでは?と思う。

 

というのも、私が子供の頃、我が家では母からハッキリと、そういった事への関心や興味について話があり、自分の成長、相手の成長、責任、将来等など、いろいろな話をしたし、父親はそれほど関心がなかったものの、父親もそういった事に規制をするような人ではなかった。

 

祖母に至っては、私の部屋を私が不在の時に綺麗に掃除してくれて、兄から継承した本類について、綺麗に並べるという所行を繰り出す事もあった。

 

我が家がオープンなだけかもしれないが、基本的に我が家では、性に対する興味を持つのは普通で、抑制すべきではない、だが、自分の都合だけですまない事はあるので、そういった点については十分配慮し、責任も負わなければないない、といった感じで教育もコミュニケーションも行われていました。

 

おそらく、自分が親になっても同じような接し方をすると思う。

 

むしろ私が子供の時よりも、ネットではそういったものが溢れており、親が無理に規制するというよりは、ちゃんとした知識や対応について向き合っていかないといけない時代なんじゃないかとより一層思う。

 

確かに、コンビニではエロ本に何か上手い配慮をしてほしいト思わないかと言われると、まぁそういう配慮もあっても良いよね、とは思う。

 

が、それであれば、一般男性誌の表紙や、女性誌の表紙や文言、そういったものも全てちゃんと検閲すべきで、個人的にはそこを考えずただ「エロ本」というだけで規制することに意味はないと思う。

 

週刊・月刊の少年雑誌にアイドルのグラビアがあるのはどうすべきか。

少女向け雑誌にも昨今は男性アイドルの記事が出てくることや、それ以前に直接的な性の話題がのっているのだがそれはどうするのかなど。

 

そもそもエロ本の表紙を見なくても、もはや健全と思われて購入している図書自体にエロは含まれており、ただ、エロ本を売らない、という事だけでは意味はない。

 

おおよそ一番危険なのはネットであり、学校という閉鎖的なコミュニティである。

大抵の男子は部活やクラスメイトといった関係者から情報を入手し、そこから段階的に自身の性について理解していくこととなる。

これについて大人が口を挟むなど非現実的で、こういったものは規制をするよりも知識をしっかりと与えるべき話でしかない。

 

もっとも、エロ本から知識を得られるのか?というと当然そんな事はない。

もっと言えば、AVからも当然適切な知識なぞえられない事が多い。

 

だが、残念な事に、多くの人はそういったものから偏った知識を得る可能性の方が高く、だからこそ、そういったものは「ショー」的なものであり、日常とは異なるものであるとちゃんと教えないといけないと思う。

 

人間と人間の関係は、テレビやネットで一方的に受信・発信する行為とは異なり、一挙手一投足において常に相手のリアクションがあり、それを理解しながらすすめなければならない。

 

そういった話の中で、LGBTであったり、自身の子供の性や自身の性についてもちゃんと話し合って、もしも何か抱えているようであればそれはしっかりと向き合うべきなのだと思う。

 

エロ=不健全、エロ=規制、と短絡的な考え方ではなく、どのような管理が必要なのかというもっとちゃんとした議論にすべきだと私は思います。

 

誰かのコメントだけで全てを否定すべきではない

 

スポーツで人生はかわらない - orangestarの雑記

うーん、この理論でいくとそもそも人生を変えるのは自分自身だけで、国語も算数も英語も場合によっては人生には何の役にも立たない害悪でしかない。僕は子供の可能性に子供に気づいて貰う意味でも運動も必要だと思う

2017/03/09 18:22

 

よんだ。

 

うーん。

 

某発言に関わる意見はそれぞれあるだろうし、どれも微妙な部分はあるという事はわかる。

 

だけど、その話から一気にスポーツで人生は変わらないよ、という結論のみが一人歩きすると、それはいかがなものかと。

 

そもそも人生を変えるものなんてのは、出会えない人の方が多い。

 

ハッキリ言えば、義務教育の期間中に「僕はあの出来事で人生が決まりました」なんてのは、テレビにでる人とか、一部の恵まれた人だけで、多くの場合、仮にそう思うことがあっても、その他大勢の一人でしかなかく、そこから生まれる結果ですらだれにも気づいてもらえない事でしかない。

 

が、それはそれかと。

例えば、学校で走る行為があったとして、それは自分に向かないという事に気づくのも一つ。

例えば、僕は、短距離はだめなんだけど、なぜか長距離は結構良い感じの結果がでた。

その結果として、例えば球技でも野球はだめなんだけど、サッカーやバスケットのような瞬発力だけでなく、持久力も必要で、地味に一人一人戦略や役割が明確なスポーツは何かしら器用にこなせる事もわかった。

 

おそらく学校の競技でそういったものに触れなければ生涯やらなかった可能性が高い。

 

そこから僕は、サッカーやバスケットの視聴もするようになったし、応援もしている、当然それは実際の競技だけでなくアニメや漫画の傾向にも影響は及ぼしている。

 

たかがそういった影響だけれども、それもまた一つの可能性だと思う。

人生にとってどの程度のインパクトかわからないけども、そういったゴミのような経験や体験が積もったものが僕であって、それがなかったら今の僕ではないかもしれない。

 

学校で体験するものの中に良くないものがあればそれはその行為について議論すべきで、それは個々の議論とすべきだと思う。

 

それを誇張して十把一絡げにするというのは、風潮として良くないし、その結果、もうスポーツなんて学校でやらない方がいい、なんて方向になれば、それこそスポーツは金持ち以外はできない事になる。

 

その次は吹奏楽であったり、マーチングのようなものもそうなるだろう。

その次はなんだろう。

 

英語?

 

要・不要や、一部の課題のみで全部を否定すれば、おおよそ全ての行為は何らかの欠点はあるわけで、全ての事は取りやめるべきとなるだろうね。

 

いいの?

 

 

それが本当に子供の将来の為になるのだろうか・・・僕はならないだろうと思うけどね。

 

 

まぁ、極論で描いているのはわかるけど、読み手がそれを理解できないってのは、書き手の力不足なのか、読み手の読解力不足なのか・・・

 

この読解力不足をもって、義務教育の国語の勉強も廃止すべき、と言われるのだろうか?