何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

やっとこさ表に情報がではじめた

なに、とは言わないし、どれ、とも言わないけど。

やっと表に情報がでてきましたね。

 

まぁ、事情はいろいろ有るんだけど、神はお許しにならなかった、という事。

 

今後の対応もいろいろあるわけだけど、関係者各位におかれましては、引き続き誠心誠意努力いただければと思います。

 

そして私のところに余計な仕事が舞い込まないよう、最大限の努力をして下さい。

野党に投票しても別に自民全否定ではない

 

森哲平 on Twitter: "自民党でいい、と言う人と話をすると、毎回、おもしろいくらい、「民主党www」って話しかしない。「公文書改竄についてはどうですか?」「民主党www」。「増税でまた経済沈むんですが」「民主党www」。"

まずそういった意見を持つ人が大半であると思い込んでいる事が野党があの程度の自民党に勝てない原因。どう考えても与党にはつけいる隙があるにも関わらず、論点も整理できず、失点の批判しかしていない時点で同じ。

 

私は今回野党に投票したわけですが、その私から見ても、野党ですらクソでしかないと感じるのが今の政治であるというのが結論でしかない。

 

現実問題、私は統計不正問題は自分の仕事にも直結する話しである上に、そこは聖域として政治や状況に流されないものにしなければならないという思いがあるので、少なくともその1点においては自民党は全てのポイントを上回る勢いでマイナスがついた。

 

結果として今回も自民党には投票していない。

 

だが、だからといって自民党が全ての面でクソであるとは思わない。

同様に、投票した先の野党ですら私の1票に見合うだけの実績も公約もない。

 

それでも選挙は行われるし、私は何らかの形で意思を示す必要がある。

 

投票とは全権同意によるものではない。

全権委任と全権同意は全く別物だ。

(最もそもそも全権委任ですらやっているわけではないが)

 

そもそも今の政治には、与党も野党もビジョンがない。

与党の方がビジョンは掲げているが、そもそものビジョンがやらかしているので、ビジョン自体に価値がない。

野党については本質的な意味で言えばビジョンは掲げていないので、ほぼ自民に対してどういう考えであるかでしかない。

 

私は自民党の政策に対して反対か賛成かなどという話しに興味は無い。

 

これから先の社会をどのように変えるのか。

何を変えるのか、なぜ変えるのか、どうやって変えるのか。

 

その点以外に一切の興味は無い。

そういった視点でみると、実はれいわあたりは興味深い対象にはなる。

もっとも、そういったところには投票していないが。

 

結局、れいわもN国も投票する人間がいるという事について否定するのは簡単だが、よくよく調べて見ればよほど与党や多くの野党よりも具体的なものを提示している。

(但し、話しはある程度夢見がちであったり、空想物も入っている)

 

逆に問えば、与党も野党も母体が大きいという事を除けば、より具体的に何を実現するのかという点についてはさっぱり語れていないし、語っているのも「それ社会福祉とか当たり前で程度の差だけじゃないの?」というものでしかない。

 

そういったものをそぎ落とすと、せいぜい残るのは「自民党は頑張ってる」「自民党から政権を奪うべき」であったり、「消費税は10%にすべき」「消費税を10%にするなんてとんでもない」のような、非常にどうでもよいレベルの話ししか残らない。

 

極論言えば、消費税が10%であっても20%であっても何ら問題はない。

その分自分に十分な恩恵があれば良いわけであって、それがない事が問題なのだ。

そう考えると、消費税の税率そのものを議論する事は、せいぜい消費に対するインパクト程度の話しでしかなく、パーセントの議論をする事に意味など無い。

 

下げるか下げないかではないんだよ。

 

例えば、N国が提言しているNHK問題も同様で、そもそも公共放送の是非を本来解く必要などない。

 

問題なのは公共放送が提供している価値に対して無駄にコストが高いという点や、公共放送であるにも関わらず、国民の管理下にないことが問題であって、別にスクランブル放送にするかどうかが論点では本来ない。

 

兎に角、選挙において何処が勝った、どこが負けたを論じる人というのは、基本的には

政治に関心が薄く、本当の意味で政治に危機感や責任感を感じている人ではない。

 

そういった人であれば、大抵は今回の選挙はクソだと、どこの政党もクソだと、もっと真面目にやれと、そういった意見になるべきであって、与党や野党がなどという話しに終始するレベルではない。

 

このようなクソな状態が続く限り、おそらくは今後もれいわやN国のような勢力があきらかに数を増やすだろうし、一方で、旧来の自民支持層は固く、単純に野党が自壊するだけで終わると思われる。

 

本当に本気でやれ。

やる気がないなら政治家にも、政治評論家にもなるなよ。

「最後のシーン、泣きそうになったんだけど、泣けなかった」が真実だと思う

 

感想『天気の子』 新海作品史上最も難解で恐ろしい作品 - LOGのハウス

監督のYahooでの事前インタビュー(若干ネタバレ)を踏まえると、異常が当たり前、自分の正しさと他人の正しさの違いそういった矛盾ですら現実として受け入れる話しでもあるので、まさに皆自分の答えを出す作品かなと

 

『天気の子』は何を描いたのか。新海誠監督の決断が予想以上に凄かった理由(作品解説・レビュー) – ウェブランサー

事前に「前作のヒットがあったので寧ろ自由にやらしてもらえた」とあったので、その答えを探すつもりでみたら、作品の存在自体がその答えだったときは寧ろ監督よりも企画を通した側に若干恐怖したわ・・・怖いよ普通

 

良く的を得ている感想、批評だと思った。

 

私の中では妻の言った「最後のシーン、泣きそうになったんだけど、泣けなかった」これが全てだなと思ったし、おそらくそれが監督が作品を通じてなげかけていたものの正体でもあると思った。

 

全ての登場人物が、無意識的に矛盾や葛藤を抱えていて、全ての圧倒的な正しさがない状況に常に置かれる。

 

それも、それを知ってしまえば異常な状態であるわけだが、それですら知らない人にとっては当たり前に過ぎない事で、その矛盾や対立自体が物語の不均衡さを常に生みだし、それが疾走感があるはずの場面であったり、感動的であったり、涙を誘うシーンでもどこか見る側に疑問を突きつける事で、凄く単純なシーン、ありがちなシーンをそのまま飲み込ませてくれない、それがこの作品の醍醐味なのかなと。

 

ただ、これはなかなか万人受けはしないなと感じる。

一歩間違えば「意味がわからない」であったり「気持ち悪さ」であったりが強くなり、前作品のような凄くわかりやすい一つの結末のようなものからは遠く、敬遠されてしまうのではないかと思う。

 

この部分も監督がインタビューで述べていた「むしろ前作のヒットにより自由にさせてもらえた」部分なんじゃないかなと。

 

おそらく、企画の段階でこの構図はわかっていただろうし、それはつまり、視聴者の中には間違いなく肯定派、否定派が入り乱れて、その意見自体がそもそも作品の作り手自らが作品の意図として込めているわけであり、それを了承するというのは、この規模の作品ではなかなかチャレンジングではあると思う。

 

全員の立ち位置も常に入れ替わる。

能力に対しての意見も、帆高や陽菜に対する意見や立場もどんどん入れわかる。

有るときは良き理解者であっても、ある状況になれば「常識」や「立場」というものを言い訳にして敵となる事もある。

帆高や陽菜ですら、絶対的な善でもなければ、絶対的な悪でもない。

 

 

構図としては実はありふれているわけだが、おそらく幾つかのシーンで涙がでそうだが、出ない、完全に泣くという事にならない、僕は妻が感じたそのなんとも微妙な感情であり感想がおそらくこの映画の持っている魔力のようなものではないかと思う。

 

そもそも陽菜に最後の力を使わせた、またはそこに至る最後のレールを引いたのはだれでもない帆高であって、冷静に考えれば彼女を取り戻すことですらただの贖罪に過ぎない。

さらにその結果起きる事を考えれば彼の選択は正しい選択であるかという事は判断し難い。

 

が、実は他の人からすればそんな事自体が知らぬ事であり、まさにただの天災に過ぎないわけで、その選択の価値自体が結局自分の一つの結論、その程度の意味しか持たない。

そしてそれはごく当たり前の事で、僕の日常は他人の非日常であり、僕にとっての他人もまた同じに過ぎない。

 

そしてその事について、たまたま事情を知り得ている人間が、その他人と同じようなリアクションをするとき、それは一見すると悪に見えるが、実際は知らないその他大勢とその事実は変わらない。そして、前述のように彼自身「晴れて欲しいか?」の問いに「晴れると良いね」と答えている矛盾。

 

言葉にして犠牲を強いた人、言葉にせず犠牲を強いた人、無意識に犠牲を強いた人。

 

一つの物事をとっても、その結果に至るプロセスの中でさまざまな登場人物が無責任であり、身勝手であり、自己中心的である行動をとっている。

 

こういった事は凄く当たり前で、実はファンタージなんだけど、そのファンタジーを現実社会という器を使って、尚、非現実の中で描いている。

 

この構図は凄く当たり前の事に過ぎない。

だが、何れも現実と矛盾と葛藤と、そういったものがごちゃ混ぜになりながらもストーリーとしては一つの方向を明確に指している。

 

おそらく、この物語の結末のある程度は誰しもが冒頭で想像しうるものだ。

だが、最初のシーンから様々な描写、切っ掛けが描かれる中で、その結末に至るピースのはめ込み方はおそらく誰ひとりとして「当然」というものにはならないのではないかと思う。

 

実際は「当然」の答えが数多く並んでいるのだが、登場人物の立ち位置が微妙にずれる事で、所謂人間の少しズルい一面、例えばダブルスタンダードのようなものも表現しているために、その「当然」をそのまま受け入れる事は、ある意味自分の「美しさ」「正しさ」を損ないかねない。なのでその凄く「当然」の事をそのまま受け入れると言うことに個人差はあれど違和感や抵抗がでてしまう。

 

それ自体が実は当たり前で私たちの日常に過ぎない。

 

難解と言われればそうだし、ありきたりな構図と言われれば確かにそうでもある。

 

最後のピースは視聴者の立ち位置なのだと思う。

自分はどの立ち位置に立つのか、それによってこの物語をどう結論付けるか、最後のシーン、あれは陽菜はどのような気持ちであの行動をとっていたのか、帆高はどんな気持ちでそれを見つめていたのか。その答えはおそらく自分の立ち位置によって真逆になるそういった作品であると思う。

 

いや、これ本当によく企画段階でOK出したと思うそんな作品だった。

これを企画段階で読んだ人、そしてOKを出した人、ある意味監督以上にいろいろ見えていたのだろうと感じた。

 

 

だからこそヤマカンの発言は最低な発言だったと思うけどね

 

この件に関しては、自分はヤマカンさん側につきたい。お悔やみを表明するのは問題ないし、多くの業界関係者もそうした。中でも悠木碧さんはすごいと思った。 - aomeyukiのコメント / はてなブックマーク

別に誰が誰の意見に賛同するというのは自由だけど、少なくとも新海監督がただお悔やみを発言しただけで「黙れ」と言い放ったヤマカンの行動について評価すべき事情は何一つないけどね。こんな事件の時になおさらの話

 

 

組織である以上、ある人とある人が親密である一方で、別なある人とある人が険悪であるというのは当たり前で、同様に組織と組織が険悪であったとしても、個人と個人は親密であるという事も当然のようにある。

 

こういった事が起きたとき、個人や組織が意思を表明する背景にはいろいろあるだろう。そしてそれを受け取るのは個人の裁量でしかない。

 

当然、ヤマカンが自分の考えで新海誠という人物を批判するのは自由だが、だが、新海誠という個人が京アニであったり、京アニという組織に属するだれかの事を思ったり、もしくはもっと漠然としたアニメ業界に起きた事について意見を表明することについては自由であり、それを一方的に問題であるとする権利はない。

 

 

この発言には一切の理解もできないし、その理由も理解ができない。

 

 

 まず、新海誠という個人の発言が「ローマ法王のようだ」と揶揄しているわけだが、であれば日本の数多くの人間はまさに「ローマ法王のよう」で、会ったこともない、ただ作品というつながりでしかない人間の不幸、起きた事実に驚愕し、恐怖し、無念に感じそれを表現したわけで、新海誠という個人だけの事ではないし、当然の発言でしかない。

 

また、「明日封切」であるという事も厚顔無恥な話で、なんだろう、では新海誠が自分の宣伝の為にこの事件を起こしたとでもいいたいのだろうか?

 

偶然に過ぎないし、彼は間違いなくアニメーションの仕事をしており、私たちよりもより近い位置にいるわけで、反応するのは当然であって、それがたまたま封切が近いからというならただの下種の勘繰りに過ぎない。

 

個人が個人を妬んだり、何かしらの理由で恨んだり、それは個人同士の問題であるので当人同士で解決するしか基本はない。

 

が、京アニというものは組織であり、アニメーション業界という一つの塊であり、個人だけの話ではない。

 

ではなんだろうか、今回の件は世界中で追悼や支援というものが様々な形で行われているが、それにいちいち「黙っといて」という事が正当な行為だと思うのだろうか。

 

私は思わない。

 

私は電通という組織が嫌いだが、電通という組織の中で仕事をする一人ひとりを組織同様に嫌っているかというそんなことはない。

当然、ある人は嫌いだが、ある人は普通で付き合っていくことに何ら支障はないし、付き合う事で自分も豊かになる人は当然そんざいする。

 

組織である以上、個人では左右できないものも抱えているだろうが、それはむしろその組織に属する個人の方が悩む話であり、それを全て一緒くたにすることが正しいはずもない。

 

そういった事を雑に、一方的にしてしまう事は、個人の考え方や粗雑さ、肯定的に言えば素直で実直であるといえなくもないかもしれないが、それと同様に、何かに対してそれぞれの立場で感情や行動をするという事は私は正しいと思うし、その個人が正しいと思ってしている事について少なくと当事者同士以外が「黙れ」と言い放つ権利はない。

 

少なくとも今回の件についてヤマカンを支持する理由はないと私は思う。

 

 

 

フィンテックはテックじゃなくてフィンの方が面倒と言うことをもっと理解して欲しい

いや、もう、いろいろこれから起きるんですけど、その余波をちょっと受けているわけですが、ほんと無能な業界人は素直に金だけだして外から見ていてくれればいいんだけど、そういった人達ほどプレイヤーとして参戦したがるんだよ。

 

テックは人手解決できる。

一定の知識があれば極論言えば経験が無くてもなんとかなる。

経験があれば当然尚芳。

 

でも、フィンの方は人では解決できないのだよ。

 

神の手(意味深)とかもあるわけで。

 

もっと言えば、世の中の流れや雰囲気というものもある。

 

本当に、無能な(自称)業界関係者は、金だけだしてくれれば出来る人がちゃんとやるから、無理に頑張らないで欲しい。

 

道連れになる人も無能なんだが、道連れになりたくないと足掻く奴らを救済してやってくれというリクエストに対応するのが本当に大変なんだ。

 

フィンの方は、大抵新しい事は、一度神によって「ぎゅっ」とされるなんてのは常識なわけで。

 

頼むから。

 

本当に面倒だ。

本当に何にかみついているのかわからないのだが・・・

 

Hiromitsu Takagi on Twitter: "サービス毎に乱数でパスワード設定できている人にとって、2段階認証は不要。今問題となっているのは、そういう利用者ばかりとは期待できないサービス事業者側の自衛策としての必要性なの。そんなこともわからないで何がセキュリティー専門家と言え… https://t.co/V7ZdLYljih"

そもそも端末云々をいうなら、SMSを用いたケースもアプリを用いたケースも当該スマホがある意味キーなわけでつまりは対象端末に対するセキュリティの最終的な防波堤は端末そのものの認証方式だろうになんなんだこれは

 

ケースとしては事業者がお漏らししたケースと、自身の過失によりお漏らししちゃったケースが混在しているのはまさにアホかと思う。

 

大前提として、話しの始まりは事業者がお漏らしする事について、自衛策を考えるとそもそもパスワードを事業者向け固有のものにする事がもっとも効果的であり、極論言えば、その設定されるパスワードの難易度は最低限そのサイトの防衛策に依存する程度でかまわない。

例えば、極論にはなるが総当たり攻撃に対して明示的な策が講じられている場合であれば、最小限のパスワード文字数ですら問題はない。

なぜならば、そのパスワードが破られるリスクはそのサイトそのものに対する攻撃でしかありえず、且つ、そのパスワードを現実的に破りうる可能性は、そういった対策により限定されるためだ。

 

そう考えた場合に、そもそもパスワードはサイト固有の設定であるならば、もはや個人がパスワードを要素として個々に管理すべきという発想はなくなるし、且つ、そもそもお漏らしされてしまったことについても考慮する必要はない。

 

なお、2段階認証というのは、事業者側が攻撃された場合にはそもそも無効な対策であり、あくまでも平時に、何らかの手段により当該パスワードまたは認証を通過されるケースに対する対策であるわけで、パスワードが固有の設定で他サイトに影響を受けない事が保証された時点で価値をなさない。

 

この点については議論の余地はゼロだ。

ない、全くない。

 

反論の多くはその時点の視点が完全に間違っており、中にはケースとして自身の過失の話しも含めぶつけているが、それは別な次元の議論であって、貴方は土俵にすら立てていない。

 

もう一度いうが、この前提において二段階認証が有効となるケースはない。

全くない。

可能性はゼロだ。

 

以上。

 

 

Twitterのフォロワーをポイント付与を条件に募集するのは合法だったのか

いや、詳しくはしらないけど、LINEが堂々とやっているぐらいなので、きっと合法なのだろう。

 

 

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LINEフォローキャンペーン

 

これが合法なんだったら、実質自社ポイント配布でやりたい放題は合法という事ですね。

 

というか、LINEポイントはLINE Payを経由する事で現金化できますので、実質現金を配布する事を条件としたフォローの募集は合法という事ですね。

 

なお、某有名人が行ったフォローしてくれた人の中から抽選で、とは次元が異なり、こちらの場合は、直接的にフォローしてくれた人に対して配布するので、条件設定がことなるわけですが、まぁ、条件未達であれば配布しないので「買収」と定義はされないのよ?という話しでしょうか。

 

何れにせよこれが合法なんだったら、実質的にフォロワーの買収は条件さえつければ合法という事なのだろうという事です。

 

(追記)

なお、一般的に「フォロワーの中から抽選で」の場合、景品提供はしますがフォローワー数が増える事を直接的に条件にしているわけではないので、グレーではありますが、きっとセーフなのだと思います。

が、この場合、明確に「フォロワー数を66万人に到達させるために」と記載していますので、ポイントの配布がフォロワー数を増やす為であり、それに寄与してくれる事を条件にポイントを配布としていますので、グレーを突き抜けて、それは真っ黒じゃないんですかね?という指摘です。

グレーである事と、真っ黒であることの境界線は微妙ではありますが、大手を振って「皆がフォローしてくれればポイント(実質現金)をあげるよ?フォローしてくれるよね?」と言い放つのは、流石に筋が悪すぎるのではないか?という話しです。