何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

全ての男性の選択が原因であるとするのは流石に女性の意思を馬鹿にし過ぎ

 

バリキャリは夢を捨てよ:この世にパワーカップルなんて存在しない、マジで。 - トイアンナのぐだぐだ

これはバリキャリの幻想だと思うが。少なくとも日本では一部のバリキャリを除くと単純に専業主婦志望の女性が多くいる為、男性側の意図に関わらず専業主婦を選ぶ女性が普通にいるだけかと。男性の選択だけではないよ

 

僕は少なくとも現代においては昔のように、親や周囲の大きな影響で結婚相手やその決断を女性が強いられるような状況は限りなく少なくなっており、相手や最終的な決断は女性自身の手によって行われていると考えています。

 

言い換えれば、晩婚化や未婚率の上昇というのは、男女共に、自分の判断によりものごとを決める事ができるようになった結果であり、難しい問題である反面、それ自体は自然な事でもあると感じます。

 

ここではパワーカップルなんてものは男性の身勝手な考えによって成立しないという話をされていますが、正直意味がわかりません。

確かに、男性にそういった考えを持つ人がいることもわかるし、もっと踏み込めば、男性に限らず、相手に癒されたい、家に戻れば何も考えずただ安らぎを得たいというのは男性に限らず女性であっても同様の考えだと思うし、いたって普通の希望だと思います。

 

つまり、これはその比較的当然な欲求という「需要」をだれが満たすのか?という単純な話に過ぎず、女性には選択として「専業主婦」というものがそれほど特別なものではなく存在している、という話に過ぎないと思います。

 

結果として、男性からすれば「専業主婦」という選択をする女性がいるわけであればそれはお互いの役割、機能の選択という意味でも調和がとれるわけであれば選ばない理由はないわけですから、そういった出会いがあればその選択を決断することは当然でしょう。

 

いや、正直女性に限らず、男性だってパートナーがそれなりに稼ぐようであれば、役割の分担という意味で専業主夫として活躍する事も考えますし、さらに子育てという負担も加わるのであれば、選択肢というよりも、状況によっては選択せざるを得ないという事も少なくないと思います。

 

この話は、どちらかというと個々人の話というよりも、一つの集団としての意思の違いが結果として集団の一部に不利益をもたらしているという事かと思います。

 

ん?男性だってそれは同じはずだろ?

いやいや、男性は最初から専業主夫という選択ができる人はほぼほぼいませんし、結婚する際に相手に「僕、専業主夫になりたいけど」などという事を受け入れてくれる人もそれほど多くはありません。

さらに言えば、相手のご両親まで含めると、それは自らそういった道を作るというのはありえなくて、結果的にそうなる以外ではほぼその道はあり得ないでしょう。

 

なので、男性多くの場合の選択肢は「共働き」または「専業主婦」の何れかで、女性にとっての選択は「共働き」「専業主婦」「専業主夫」になるわけで、さらに男女共に高収入という条件に限定すれば「共働き」が割合として減る事は至って普通の話です。

 

まぁ、正直、夫婦や家庭なんてものは、結局は自分たちが満足できる形だから作る、継続するものであって、無理に作る必要もないと思うので、そういった相手がいないのであれば無理に結婚する必要も家庭を継続する必要もないと思いますけどね。

 

もう現代は大抵の事は一人でも問題ありませんし。

 

叩いて良いわけでもないし、叩く意味も無いけども

 

武蔵小杉の浸水被害は叩いてもいいという風潮 - レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

全然関係ないけど半分は不動産屋が悪い。僕は仕事で昔のあの界隈に出勤していたわけだが明らかに工場地帯で何もなく、で、工場脇の下水道には中国のような色とりどりの排水が垂れ流されていた。そこをなぜ住宅地に。

 

まぁ、この話題をネットに流している人は、単純に面白がっているだけで、本人達には叩くという認識もないのだろうなとは思う。

一方で、言われている側からすればただでさえ被災で辛い上に、生活基盤まで馬鹿にされるという事は耐えがたいとは思う。

 

そもそも被災した結果として住人が苦労しているのは住人が抱えている課題なので、我々には何ら影響がなく、それを我々が外から叩く事に少なくとも正当な理由はないだろうなと思う。

 

で、これについて以前から思っていたのは、なぜあそこをあんな住宅地に・・・という事だけかな。

 

いや、住んだ人が悪いという事よりも、事情をよく知る不動産界隈の方々はあの地域がもともとどういった地域か知っていたし、再開発前は本当になにもなかったわけで、工場周辺なんて明らかにヤバい色の下水が垂れ流されていたのだが、そこで確かどこかのチームのサポーター募集の垂れ幕だけが凜としていたことを覚えている。

なお、当時は駅の向こうなんて道は整っているがお店もなく、昼食をとるだけでも選択肢は限定されていて、駅が綺麗になったのが私があの地域を離れる1年前ぐらいだった気がする。

なので、開発する前からあの地域は大規模な住宅地としての機能が不足している事はわかっていたはずで、水捌けとか治水とかそういった次元の前に環境として一定の投資をしないと安全、安心な暮らしというものにはなかなか届かないとわかっていたはずなんですよ。

 

当然、開発前から人は住んでいたわけだが、高層住宅を建てるような高集積型の住宅を誘致、建築することと、もともとそこに住んでいた人が住み続ける事には、私は明らかな差があると考えているので

 

なので、せめてそれぞれのマンションを建築する際は、地下に設備を設置するのであれば少なくとも万全の体制をそれぞれのマンションで敷かなければならなく、少なくとも住宅地の基盤というのは数年程度では整備されない(要望により調査が入り、設計を行った上で、その後その計画が承認された後に、やっと実施に至るが、それですら最低でも数年かかる事業なわけで・・・)わけですから、その数年、いやもしかすると10年〜20年という間は事業者が最大限の投資をする前提でなければならなかったと思うのだが。

 

当然、他の地域のタワーマンションも構造上は同じではあるものの、あの地域は不動産界隈がこぞって販売したわけで、結果的に住宅地になったようなものではない。

 

意図的に住宅地としてブランドを作り、そこに人を集める事を画策したわけだから、せめて行政の整備が追いつくまでは面倒ちゃんと見ようと、と言うのが個人的な感想。

 

いや、あるマンションが偶々一棟だけたっている、というような状況なら別ですよ。

そうじゃないよね・・・、もう何本も立っているわけで、その地域にそれだけの人間を支えるインフラや環境が整っているかはもう少し冷静に考えて欲しいし、これは以前豪雨被害で斜面の開発による影響が被害拡大の原因だったのでは?という話しの時も感じたわけで、もう少し責任を感じて欲しい。

 

売れてしまえば後は管理団体と仲良く頑張ってね、では済まされないと思うが。

 

そういった意味では、今回十分な対策が出来ていないマンションの販売元はどういった考えでこの地域を選択し、どういった考えで売っていたのか非常に気にはなる。

 

半分と書いたが、3分の2ぐらいは不動産界隈の無責任さが原因で、残り3分の1の半分が行政の努力不足(住人が異常に増加したわけだから、もう少し取り組めたのではと思わなくもない)で、残り半分は住人自身の決断によるものだと思う。

 

もっとも、そもそもが災害であり天災であるわけで、この規模の台風や水害がいつ起きるかなんてのは誰にもわからないわけだが、我々は原発問題を語る時に「起きるかわからないからやらなくて良い等という事はありえない」という事を学んでいるわけで、住宅基盤のない地域を住宅地とするのであれば、原発のコスト試算と同様に、その不足した住宅基盤の整備コストもまた販売コストや投資予算に含めるべきで、それが正しく計画されていない、実行されていないのであれば、原発問題と根っこの部分は同じなんじゃないの?と感じる。

 

今後もこのような災害は残念ながら増える事が予想されるわけで、それぞれの立場で、それぞれが責任をもって対応する必用があるのでは?と思うのですが。

 

社会の枠組の中につなぎ止めることの意味

 

ダイキン、育休中の社員「阪大生」に  :日本経済新聞

理解できていない人も多いが、社会の中で生きている人間が突然「育児」というものと黙々と向き合う事は鬱の原因にもなる。対策としては社会から孤立させずに社会的つながりを維持する中で向き合わせる必要があるのよ

 

同社の思惑がどこにあるかという事は別として、私はこの取り組みの一番の評価点は、それまで仕事を通じて社会の枠組に関わっていた人間が、育児という切っ掛けにより孤立し、そこで追い込まれるような状況から少しでも脱却できる可能性を持っている点を評価している。

 

日本では異常な迄に専業主婦/主夫信仰であったり、家事の分担至上主義という相反するものが秩序無く氾濫している結果、本当の意味で助けが必要な人に何も手が届いていない現実がある。

 

特に、それまで仕事を中心に生活していた人間が、出産や育児という切っ掛けだけでいきなり全てのスイッチが切り替わるわけでもない、が、それらは何も待ってはくれない上に、環境が整っていない中でさらに孤立した環境でそれらと向きあわなければならないというジレンマがある。

さらに言えば、その先にまっているものは、キャリアを捨ててでも組織という社会の枠組に戻るのか、それとも組織ではない新しい社会の枠組に入るのかという極端な2択しかなく、これでは鬱になっても仕方が無い。

 

そういった中で、選択肢が増えるという事は間違いなく良い事であるわけで、子供を産んだら将来の自分を捨てなければならないという決定をする必要もないし、逆に、それを切っ掛けに今までとは違う生き方を選択する事もできるわけで、これは単純に選択肢が増えただけであって喜ばしいことであると思うのだが。

 

日本では冒頭に述べた様な、極端な専業主婦/主夫信仰や家事の分担至上主義によって凄く「自分達に合った選択」というものが失われており、それもまた私は窮屈で生きづらい世の中の原因の一つだと思う。

 

別に分担するなら双方共働きで、生計はともに支えればよいわけだし、一方で、機能的に分ける方が効率的であるとするならば、それぞれ専業として行えばよいだけの事。

 

世の中では云々とか、となりの家庭は云々などというのは、基本的に社宅社会のような同じ会社で同じ給料を貰っている集団の中でのみ意味をなす話しであって、現代のようなそれぞれがそれぞれの事情を持った環境では全く意味は無い。

 

同様に、出産や育児によってその後の人生をどう生きるのか?という選択も、その人1人1人の判断や希望によって選択できる環境があるべきだし、その選択がその人の決断に委ねられるというのはとても良い事だと思う。

 

何より、今までは選択肢が無かった社会とのつながりを維持するという点について私はその合理的で有効な選択肢が加わるという事については、仮に欠点があるとしても受け入れるべきだし、欠点はその後の見直しで改善すればよいだけの事だと思うのだが。

 

全てが最初から満点で完璧などというのは傲慢で、最初は間違いや失敗も受け入れるべき、その経験や体験を通じてよりよい未来というのは築かれるわけで。

 

おそらくそれは火葬を病院で行っても何も改善しない

 

赤木智弘氏「病院で火葬しないのは葬儀社の利権」&「ある程度の規模の病院には炉の設置を義務付けろ」 - Togetter

病院側ではなく家族(遺族)側の問題の方が大きい。通常は遺族がいる場合、まずは何処で葬儀をするか考え、その段階から葬儀社が支援にはいる。葬儀をするのかしないのか、やるならどの程度なのか、その後の手配もね

 

独創的なアイデアと、無知による身勝手な発想は紙一重だと思うが、これはなかなかのものです。

 

そもそも、火葬場は新設自体が難しいだけでなく、葬儀全般含め経営状況としてはそれほど安易に儲かるものでもありません。

近年だけで数件は葬儀・火葬権利の詐欺はありましたし、なぜそんな詐欺が横行したかというと、単純に葬儀場や火葬場が混み合い、死亡から埋葬、埋葬後の手続きまでを安心して送りたい、もっと言えば、自分の死後遺族に面倒はかけたくないという個人の心理を利用された結果、葬儀社の会員権詐欺のようなものが横行しました。

 

確かに、点の部分だけを見れば葬儀自体は利益が出しやすいものです。

花代や香典関連の書費用、各種手配するモノやコトに付帯するサービス料など含めてもそもそも赤字にならないようにする事自体は問題ありません。

 

が、問題はそこではありません。

 

そもそも火葬場云々と指摘していますが、火葬場は稼働率が異様に高く、地方では火葬場待ちと言うことも珍しくありません。

特に近年のように異常気象が続くと、より局所的に死亡数が増える等もあり、且つ、日本固有の事情により火葬場を利用する日が重なる(六曜を参考にするケースやその他関係者の仕事の影響による調整するものなど)ことも多く、結果的に火葬場はあるとき恐ろしく混み合うというジレンマが生まれます。

 

赤木氏の仰っている事は、結局のところ「社会の問題を解決するためには個人は犠牲になるべき」と言っているだけの話しで、その改善には少なくともマイナス以上のメリットはありません。

 

病院から即火葬というのは、都心部のみではまだ議論の余地がのこるでしょうが、ほぼ地方では適用不可能でしょう。

さらに火葬はただ焼くだけではなく、宗教であったり、その人故人やその家族の事情により様々な対応を行います。

当然火葬中も遺族は火葬待ちをしますので、少なくとも数人、多ければ数十人という人間を収容できる場所も必要です。地域によってはこの時に宴会を開いたりする風習(故人を明るく見送る)もあり、ただ火葬スペースだけでは事足りません。

 

さらに病院から直接火葬をするのであれば、通夜の対応や葬儀の対応も必要です。

通夜の場合、これもまた地方により事情は異なる上、宗教によっても対応が異なります。明るく見送るものもあれば、朝までひたすら見届けるものもありますし、地域によっては結婚式などでもあるように、故人と知り合いでなくても訪れるという風習もあります。

 

そういった事を全て病院が対応するのであれば、おそらく今の葬儀社、火葬場の運営よりもよりコストが上がることは容易に想像ができます。

 

赤木氏はそれらについて「やらなければいい」という意見をのべていますが、それは「アイデア」ではなく、ただの権利の剥奪です。

 

個人の権利を剥奪すれば解決すると仰っているわけですが、それで解決されるのはそれ以上のものなのかといえばさっぱりです。

 

そもそも火葬場数を増やす云々ではないので、火葬の数自体はコントロールできません。少なくとも今でさえ火葬場待ちという事がある以上、もしも速やかに火葬するならそれらすら全て改善できるアイデアが最低限なければ議論の土台にすらのりません。

なお、今ぎりぎりなんとか現状を維持できているのは、実は通夜や葬儀の設定が宗教によるのかどうかはありますが、特段この日に設定しなければならないというものがなく、火葬場の予約や葬儀場の予約を調整しつつ、それに対して通夜を設定するという事ができるので、火葬場の予約が取れなくても最悪は火葬のみは近親者で、という対応で回避しています。

 

ですから、仮に病院が即火葬を行うというなら、最短で24時間程度の安置後即火葬なわけですが、まぁ、それを常に回せるだけの環境を作れる病院なんてほぼないでしょうね。

 

なお、葬儀者と火葬場は一般的には別ものです。

たまたま大手が一緒に運営しているところもありますが、多くの葬儀社は火葬場を持ちません。

 

多くの場合火葬場とは自治体が運営するものが多く、公的資金も含めて運営しています。これは葬儀社とは関係ありません。

一方で、葬儀社はJA等の大手から独立系まで含め大小様々なものあがり、最近では安価なサービスまで参入するなど寧ろ低コスト化が進んでおり、病院が参入できるほどの市場ではありません。

 

赤木氏の話しは葬儀と火葬の話しがごっちゃになっている時点で、恐らくはその界隈の事情についてしらないのだろうな、と思うわけですが、アイデアとしてまとめるとしてももう少し市場や状況を確認すべきだろうな、とは思いますね。

 

なお、火葬場を調べる方法は幾つかあるが、例えば厚生労働省のデータベースを活用する方法もある。

 

参考:https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/seikatsu-eisei24/

 

見てみればわかるが、地方では半数以上が市営、村営のものが大半であり、東京のような大都市圏であればなんとか民間の方が多い状況が火葬場の現実。全体でみれば確かに民間事業者も多いわけですが、だからといって民間を全員利用しているわけではありません。地方の場合はだいたい市営・村営が最初の選択肢で、それが一杯の場合はその他の選択となるわけで。

そして火葬自体の料金は暴利をむさぼるほどのものでもなく、安いモノでは数万円(1万円や3万円等)からあり、高くとも概ね10万円を超えない程度の料金に過ぎない。

さらに、組合制度や会員制度による割引や、住民が地域内であれば割り引く等の制度もあり実質的に葬儀全体に占めるコストでいえばそれほど高くもなく、時給換算でも数千円程度であり、それで火葬+火葬の間の休憩施設の利用+火葬後の納骨までのサポートがくるというのはコストとしては圧倒的に安いと考えるべきでしょう。

 

おおよそここを利益云々で議論する意味はなく、寧ろ病院に設置と運営を義務付けるのであれば新しい税金の投入などで支援しなければ、おそらくは成立しないほどだろう。

 

まぁ、私が理解している葬儀・火葬関連の事情としてはそんな感じです。

さっぱり意味がわからない

 

Kentaro Hara on Twitter: "チケット転売が問題になるとき、「そもそもどうして主催者はチケット価格を上げないのか?」が取り沙汰されるけど、今年ANAがスイートラウンジ利用券の転売に対して取った行動がこの疑問に非常にわかりやすい回答を与えているので紹介しておく。"

何処を呼んでもチケット価格をなぜ上げないのか?という話しの回答にはなっていないと思うのは僕だけ?ペナルティがあれば云々で言えばチケットは会員資格の剥奪というANA同様のペナルティがあっても起きるのですが?

 

この一連の投稿で意味を理解している人がいるようなのですが、私にはさっぱりわからない。

 

そもそも会員チケットですら転売されているので、結局のところ資格剥奪というペナルティ程度では影響はしない。

 

いや、それはダイヤモンドクラスが得る利益があってこそでしょ、などという議論をされるのであれば、そもそもイベントのチケットに対してそのバリューをどうやってだすきなの?

 

無理でしょ。

 

いやいや、この話は価格を上げても解決出来ないことについて話しているんだよ?という意見もあるようだが、そんな話はどこにもしていない。

 

いや、仮にしていてもその検証は何処でなさっているの?その話しが成立するのは前述の会員資格のバリューに対して転売行為の利益が少ない(失う利益の方が大きい)ケースでのみ成り立つというだけの話しであって、結局価値による抑制でしかない。

 

結局この話し終始与えられるバリューに対するリスクでしか話しをしていないはずなんだが、どこをどう読んだら、あれが転売に対するチケット価格を上げる行為の回答になるのかさっぱりわからない。

 

なんだろうか、あれか、チケット購入には国民番号のようなもので完全に管理して、転売時されたチケットで入場が確認された場合、その国民番号の所有者はチケット購入の権利を剥奪するという事をやれと?

 

いや、それもう始まってるよね?

 

国民番号ではないが、公的身分証明による本人確認と入場時の同一性確認。

全てではないが普通にやっているわけで、仮にそれが答えだ、というならそういえばよりわかりやすいのだが、結局ANAの事例は何を言いたいのかさっぱりわからん。

 

きっと私の頭が弱いのか、違う世界なのかどちらかなのだろう。

 

追記)

なお、少なくともANAの事例が具体的な回答であるとするためには、少なくともその内容と比較してそうでない方法が適切でないことを説明する必要があると思うが、当然だがこの発言にはそれはい。

ただ、ANAの事例を紹介して、ANAではこういった方法で成功した、と仰っているだけでそれ以上でもそれ以下でもない。

被害届けは逮捕するためではなく、調査する為にだすもの

 

表現の不自由展に脅迫ファクス送った疑い、会社員を逮捕 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル

いや、単純に被害届けを正式に出していない状況で、口頭説明のみで逮捕云々の話はできなかっただけでしょ。実際6日に被害届けの提出で、7日に逮捕が実現している。つか、この関係者、本当に普通に対応しようよ・・・

 

いや、普通に被害届けを出していないと一定以上の調査も判断もできんでしょ。

むしろ普段は警察が勝手に動いたり、拡大解釈したりすることについてはてな界隈は五月蠅いわけで、さすがにそれはおかしいでしょ。

 

そもそも発信元云々の開示請求自体が捜査上でしかできないし、事件化されてもいないのに一方的に企業に対して「情報開示しろ」とか「防犯カメラの映像を提供しろ」とはいえんよ。

 

まぁ、カメラ映像は協力という形で提出を求める場合や、実際に率先して提供するケース(直接的な被害がなくとも、治安等に不安がある場合に任意で協力する)はあるが、とはいえ、コンビニ店員が勝手にだすわけにもいかんでしょ。

 

むしろ今回のケース6日に提出された被害届けに対して、7日には逮捕しているわけで、そうとう早い対応だと思うし、そこを否定する理由はないでしょ。

 

むしろ僕からすると、そもそも被害届けは逮捕の可能性があろうがなかろうが、被害の事実があるのであればその時点で提出すべき話しで、で、提出する時に具体的な段取りの説明があるはずです。なので、相談程度の段階ではあくまでも相談主の説明した範疇でしか判断できないし、仮に具体的な番号が明らかにされていても、それだけ逮捕できるとは限らないわけで。

 

なので、少なくとも被害届けが出た後に警察が捜査しなかったなら批判されるべきは警察だが、被害届けが出されてからは少なくとも迅速に対応している時点で、警察が批判されるいわれは今回に限ってはない。

 

これを批判するという事は、今後日本では警察は具体的な手続きを経ずとも勝手に警察の意思で操作、証拠の差し押さえ、逮捕等を行ってかまわないと認めるようなものであって、そんな世の中はまっぴらごめんです。

 

警察はあくまでも我々からの依頼や具体的な手続き、ルールに則って動くべきであり、勝手に動くなというのが基本にあるべきです。

 

少なくとも私はそう思うけどね。

伝える努力をする事を怠るのはダメ

 

生理中の姉の血みどろの姿を見た弟氏の反応が将来有望→男性側からの意見が集まる「みんな隠すの上手すぎる」「殺人事件みたいだった」 - Togetter

これ理解を相手に求める事を前提にするのはもう令和なので辞めよう。生理の重さや辛さは個人差が大きい。全てなんでも同等に求めるのは個性の消失だし、重い人、軽い人それぞれ状況に応じた対応が必要。それが大事。

 

相手が言わずとも理解してくれるというのを前提にするのは、所謂古い世代の人が「言われなくても理解しろ」とか「空気を読め」とか「見て覚えろ」とか、そういった非合理的で非生産的なものに過ぎません。

 

そもそも私が知る限り、生理の辛さ、重さは女性同士でも安易に推測で動く、話すというのは難しいほど、個人差があります。

 

一般的に辛いと言われる生理ですが、辛くない人もいるわけで、実際産婦人科に行けばわかりますが、個人差はあれど動けない程辛いとか、出血が想定以上であるというのは、実は普通ではなく、ちゃんと産婦人科で診察を受ける必要があります。

 

実際私の妻がそうでしたし、診断を受け適切な知識と処方を受ける事である程度軽減されることもあります。

 

こういった事は、当事者でも全ての知識や理解ができるわけではないし、同性同士であっても個人差や知識差、行動力あらゆる面で差がでますから、自分が知っている事、理解を前提に相手を評価する事は適切ではありませんし、それが異性になれば尚更です。

 

冒頭に述べたように昔は「知らない奴が悪」のような体育会系のノリが許された時代でしたが、今はそんな時代ではありません。

 

私たちは同性であっても個人差があるし、性別だけが差の原因ではありません。

結局はお互いがお互いの事を理解できるようにちゃんと話し合って、その上で自分達二人の関係においてどうするか、どうすることが望ましいのか、そういった事をちゃんと話し合うことが大事です。

 

今、SNSのようなもので「私の夫はこんな事をやってくれて最高です」という記事を見ると、いつの間にか「わかってくれない私の夫は最低」という意味不明な評価であったり、逆に「あんなに出来る妻は良い妻」と評価する人がいると、「私の妻はなにもしてくれない鬼嫁です」という人もいます。

 

でも実際はそれぞれの環境、関係、条件は全てことなるわけで、さらにはそこに至るまでにどの程度努力したのか、個性のある二人が二人の将来のためにどれだけ話し合えたのか、そういった事が尽くされれば、本来は他人の結果によって自分達の結果を評価するなど無意味な事がよくわかるはずです。

 

ネットを参考にする事も良い事だし、異なる環境に置かれた人のリアクションを参考にすることも良い事です。

ですが、それを前提に全ての人が全て同じ事ができるとするのは傲慢だし、それは男性が女性に求める事も、女性が男性に求める事も、どちらも同じように傲慢な話しです。

 

男性には女性の事をよく理解できる人もいるし、実際は理解しているように見えて、ただの上っ面だけの人もいます。

逆に理解はないものの、それを理解しようと努力する人や、実際にその努力の結果見違えるように対応が改善する人もいます。

 

問題なのは二人で自分達にあった取り組み方をちゃんと見つけられるか、そういった共同作業をできるのか、その点に過ぎません。

 

当然、伝えられなくてもわかってよ、という話しはあるでしょうが、それはあくまでもそういった事を得意としている相手に対してのみ求めるべき事です。

 

会社や社会の中で「それぐらい感じ取ってやってよ」などといえば、大抵はパワハラモラハラの類いになるわけであって、そんな事を当然であるなとどいうのは家庭の中でも許されません。

 

唯一二人がそこに至るまで十分にコミュニケーションを図った結果、どの程度の事を伝えれば、そこから先は理解してくれるのか、そういった二人の関係を二人で築き上げる事ができた人だけが、そういった事を自然に行う事ができるわけであり、万人がそういった関係を築けるわけではありません。

 

結局、そこに至るにしても自分達の関係、個性にあった伝え方、つまりは伝える努力をする事が必要なのであって、その努力を怠るような人は、相手が変わっても恐らくは何かしら一方的な関係を求める結果となり、問題が尽きない関係になってしまうのだろうなと感じます。

 

こういった記事を見る都度、そういった努力を怠ってはいけないし、そういった努力を怠る事を平然と当然の事のように話すような人間にはならないように自分を顧みなければならないなと思います。