何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

Gunosyはビジネスとしては間違っていない

 

Gunosy(グノシー)への公開質問状

 

ある意味Gunosyは歴史に名を残すな。こんなに執着されるアプリは史上初じゃないのか?誰か経営陣やメイン開発者にでも私怨でもあるのかと思われる程の執着振りだな…。有名ベンチャーでこんな会社初めてな気もするわ…

 

 これがでて。

だれかくだらない事書くだろうなぁと思っていたら。

グノシー新アプリの何がそこまで嫌なのか!?(えふしん) - 個人 - Yahoo!ニュース

この人も相当偏った見方してるなぁ。記事主は単純にプライドがないのかと言っているだけで、自分と意見の違う人に対して石を投げてはいないが。相当無茶な質問状だが、それをこんな曲解できるのもまた珍しいと思う

 これが来た。

 

内容を一読すると、広告記事ですか?と思うレベルの稚拙さだった。

 

確かに、開発者自身が自社のアプリに自己レビューを書くことそのものは違反ではない。ただ、そのレビューの内容にもよるし、新アプリが酷評されている中で、開発者サイドが「このアプリ最高です!」というのは、既に利用者の感じているそれとギャップがありすぎる事で、自己レビューをする事以上に恥ずかしい。

 

私自身は、プロダクトやサービスの最大のファンは開発者自身であるべきという価値観の人間ですから、開発者自身が自ら、自信を持って「このアプリは皆様の本当に役に立ちます!」と言い切れるものであれば、星5をつけても全然良いと思っています。

 

ただ、今回のように明らかに既存のユーザーから反発を受けている状況下で行う事は、開発者のスタンスとしてもビジネス的な動きとしても稚拙で完全な失敗です。

 

一方で、今回のGunosyの方向転換はビジネス的な観点でいえば間違ってはいない。

 

そもそもGunosyのアプリの構造上、広告モデルに行くべきか有料課金に行くべきかの判断が常にあったことは容易に想像できる。

仮に有料課金に行った場合、使っているコンテンツホルダーとの権利問題も残るので、現実問題として何に対して課金しているのかという問題が残る。また、課金モデルの中でも売り切りなのか、継続なのかという問題があるが、いかんせんユーザーの満足度は精度に依存する事に対して、Gunosyの精度向上に関する課題は現状では解決する事が難しく、課金モデルでは耐えられない事が想像される。

 

そうなると広告モデルのみなのだが、広告モデルは枠×単価×配信回数に依存する為、運営コストから逆算してどの程度の枠を売らなければならないか計算すると、すぐにアプリとしての構造変更が必要な事が決定してしまう。

 

Gunosyでは、公式の発表により最低でも現状4000万/月の赤字とのことなので、それを埋めるだけでも、80本以上の広告を追加する必要がある。

サイプロ様 Gunosyの赤字は、年間4000万円ではなくて、月間4000万円以上でございます。修正をお願い申し上げます。

http://netgeek.biz/archives/2470より

※引用元の発言は既に削除されているようです

なお、この80本は、Gunosyが媒体資料として配布しているものの中にある、最低単価50万円から算出しています。

1か月、つまり約4週間で配信しきるためには、1週間で20本の配信が必要になり、朝夕の2回配信で枠を分けても最低10本以上の広告枠の準備が必要です。

当然、既存の配信数に加算する必要がありますし、配信先となるユーザーは増える事を想定するとより広告本数を増やす必要がありますから、もっと状況は厳しいでしょう。

 

つまり、もともとのアプリの構造ではこの配信数の問題を解決できず、現状の仕組みにするしかないわけです。

 

この方向転換はマネタイズのみの問題ですが、もう一つの問題は、アーリーアダプターと一般層の情報鮮度への感度の差があります。

 

一般的にアーリーアダプターとなるユーザーは情報感度も高く、情報鮮度へのこだわりも非常に強いです。

というか、情報鮮度へのこだわりが強いので、情報感度が高くなっており、そのことから、より新しいサービスやプロダクトをいち早く見つけ出し、その事そのものがそのユーザーの価値でもあります。

 

一方で、一般の利用者、例えばレイトマジョリティですが、彼らは基本的にはそれほど積極的でもなく、周囲の状況やより安定的なサービスを受け入れる傾向にあります。

安定的というのは、より尖った情報よりもより包括的な情報を好むという意味で、いわゆるワイドショー的な情報の方を好むという事になります。

例えば、TwitterFacebookに書き込む内容も、新しい発見を率先して行いそれを共有するというよりも、既に発見されたものについて自身の意見や体験を共有する、つまり共感を示す行為を主に行うという事です。

 

この層のユーザーを獲得する場合に重要な事は、より高い満足度ではなく、一定の満足度を損なわない事が最も重要です。

 

例えば、1本の非常に最適化された記事を送るだけでは、それらのユーザーは満足せず、情報の量に不満を示すでしょう。

一方で、最適化がそれほどされていない情報であっても、比較的広範囲の情報をぶつけると、それらのユーザーはその中にある、自らが知らない情報を見つける事で、結果的に満足する事となります。

 

この考え方(仕組み)はGunosyが本来解決しようとした課題を完全に否定するものです。

ただ、広告モデルで成功する為には、視聴者数(配信先数)は今の数倍は必要です。その関係から、どうしてもより裾野の広い層を捕まえる必要があり、その結果が独自性の一部放棄だったものと思われます。

 

この判断はビジネスとしては間違っていません。

 

個人的には残念ではありますが。

 

ただ、12億円近いお金が入るという事は、何かしらの結果も求められるわけで、そういう意味で何も対策を講じないというのは現実的に無理ですから、計算するとこういう流れになることは遅かれ早かれたどり着いた結果でしょう。

 

もっとも、この状況がGunosyを追い詰めるかというと私はそこまでの結論は出ていないと思います。

残念ながら日本の消費者は非常にマスメディアに弱く、誘導されやすいという現実があります。

言い換えると、本当に良いものが生き残るのではなく、上手に立ち回ったものが生き残るのが日本の現状です。

 

そこまで見据えてあえてこの急ハンドルを切ったというのでれば私はあくあまでもビジネスとしては間違っていないと思います。

ただ、今後は技術的な場での発言は控えるべき(本来の目的を見失っている限りは)だと思いますが、あとは東大出身者の技術陣のプライドの問題かなとも思います。

 

こういうジレンマとどう向き合うかもベンチャーの戦いそのものですからね。いい経験なのではないでしょうか。

 

ただ、12億という資金を調達できたわけですから、その競争と比べれば全然打開可能な課題であるとは思いますので、是非良い方向にかじ取りをしてほしいと思います。