鶏卵ではあるが、給料が安くなったらから大型量販店で買っているわけではないかと。実際大型量販店よりも安い店は青果店や生花店も街中にはあるが、今の人は大型量販店を好んで使っているかと。皆が望んだ結果でしょ
よんだ。
全く関係ないのかと問われると、“安い”ものもあるし、地域にもよりけりではあるので、まったく因果関係がないとまでは言えない点は認めますが、それ以上に影響しているのは消費者側のマインドの方かと。
例えば、田舎出身者(私がそうですが)からすると、ただ形がきれいな野菜に価値が付くわけでもないというのは理解しているのですが、少なくとも都会ではそんなことはない。
虫食いもなく、色も着色料で染めたかのようにきれいな色をして、そして、サイズも画一化されている。そんな機械的に生産されたようなものの方が“良いもの”として売れていように感じます。
“そんなことはないよ!”という人もいるかと思いますが、物流の世界ではどんなことが起きているかというと、青果どころか、例えば、いろんな商品は外箱があって、その中に20個とか、12個とかはいっていますよね?あの外箱がつぶれているとどうなるかというと販売店から返品されているんですよ。中身に全然問題なくてもね。
他にも、缶ジュースは少しでも外傷(凹みや傷等)があると返品。ちょっとお高めのオリーブオイル等は外をアルミ箔のようなもので覆っているんですが、あれが張り付いて(隣の在庫と)それが運搬中に少しでもはがれると返品。米袋の外袋に目視可能な汚れ(例えば黒ずみとか)あると返品。というような状況です。
この返品されたものは誰がどうするかというと、トラックの運転手であったり、配送センター(だいたいは下請け)で引き取ったりするんですよね。
私も月に1度、この辺の商品を安く譲ってもらっています。ていうか、トラックの運転手の責任ではないですが、なぜか買い取りになるんですよね。破損は。不思議だけど。
で、青果も同じというか、それ以上に結構厳しい状況です。
この状況ってなぜ起きているかというと、消費者が“きれいなものが売られるのが当たり前”という状況になっていて、非常に潔癖症なんですよね。
まぁ、いたずらされたとかそういうのは別(精神的な問題も含め)として、運搬中の多少の破損はあるんですが、それすらも許さないと。
で、そういうものをシステム的にどんどん排除していくと、機械的な生産であり、物流であり、販売方法に落ち着くわけです。
町の小さな小売店より、大きくてシステム化されていて、何となく清潔感の漂うところの方がいいかな、みたいな。
実際、値段だけで売れるのであれば量販店は必ずしも安くはないんですよ。
私の家の駅には、地下に1件スーパーがあり、道をはさんで地上にも1件スーパーがあります。
で、駅ビルの周囲には個人経営の青果店が2店舗ほどあるんですが、私が2年間住んでほぼ毎日往復している間にものが売れているのを見たことはありません。
唯一見かけたのは、子供がおじちゃんからアイスをもらっている光景だけです。
ここね、安いんですよ。
どれくらい安いかというと、スーパーで人参が3本で150円のときに、普通に100円や85円でうってるし、トマトとか高いんだけど、それも200円とかでうってるわけで。だいたい1割ぐらいは安い。
夕方とか、どっちのスーパーにいっても超行列なんですが、その店に人がいたのを見たことはない。むしろこの店なんでまだやってるのかと不安になるぐらい。
まぁ、野菜だけを買うわけでもないので、その他もまとめて買うという効率を考えればスーパーになるんですが、そういった判断によりあえて量販店を選択しているのは消費者側なんですよね。
結局、日本はあらゆる意味で贅沢病に取りつかれているわけで、その結果が今の社会を構築しているわけであって、別に、全ての問題が薄給であるから起きているなんてことは全くないかと。
おそらく、所得が高くなっても、生活をコントロールできない人はできないし、薄給でも上手な人は上手にコントロールしている(楽なわけではないけどね)わけで、そこは結局個人の裁量による影響が大きいかと思います。