何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

個人の日記感覚でメディア上でコラムを書くな

「排外発言」とは正反対だった「舞の海氏の講演」(前回エントリのお詫びと訂正) | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

お詫びを後付けで掲載するのは最低限の対応として、これどう決着つけるんだろうね。いま問題となっている事が誤報を前提に起きてしまった事であれば、この程度の訂正で幕引きできると思わないで欲しい。仕事だろ?

 

よんだ。

 

正直、詫びいれれば何でも許されると思うなよ、っていう感情が先にきたのが本音。

 

それほど、今回起きている事が、この記事に起因している事であれば許しがたい状況に個人的には思える。

 

当然、仕事をするうえでだれでもミスや失敗はあるもので、個人で全ての責を負う事ではないと思う。

ただ、記者という職業は仕事と言いつつも、その特性は限りなく個人事業主の色合いが濃い。

 

雇われサラリーマンとして、命令の元に動き、その結果トラブルが発生したということであれば、それの責任は基本的には会社が負うべきで、仮に、フロントにたった人間が誰かいたとしても、それは責めるべき相手とはなり得ないと思う。

 

今回の件は、記者自身が情報を入手し、その裏取りをせず、その結果無責任な記事を配信し、その無責任な記事の内容に誤りがあった事も、読者の指摘により気づいたという。

 

もはや、個人のブログレベルと全く同じ次元なわけで。

 

私は、個人がプライベートな時間に発信するブログ等で、ミスや認識違い等により、誤りを配信した場合、当然謝罪や訂正をする事が重要で、同じような事を繰返さないように“学べばよい”と思っている。

ブログなんていうのは所詮は個人の日記で、専門性が求められるものでもなく、当然個人の主観によって左右されて全くかまわない。

ただ、間違いは自分以外の読者やその利害関係者に影響を及ぼす事となるので、間違いに気づいた時点で訂正すべきで、訂正だけでなく、当然謝罪や、場合によっては何かしらの行動を行うべきだろう。

 

この方法で事が収まるのはあくまでも個人がプライベートな世界で行っている行動だけだと思う。

 

その発言が、限りなく公の手段であって、且つ、一定の影響力を持つ企業が管理するものであった場合、それはもはや個人の主観程度ではすまされない。

影響力は一般的な個人の日記とは違い、様々なメディアにも取り上げられるだろうし、2次、3次と配信先も広がる事が想定される。

 

そういった事が起きたときに、個人の日記と同じように、謝罪の掲載と訂正のご案内程度ですますというのは、企業として許されるのだろうか。

 

少なくとも、今回は関係者がはっきりしており、その余波も限りなく明らかであることから、企業名で謝罪の連絡を直接入れるべきだと思う。

 

当然、その場合、記者個人ではない。

 

やるべきは組織として、組織として検査体制の不備、記者として基本的なプロセスの欠如が起きていた事、その結果、商業メディアが様々な影響を及ぼしてしまった事。

その原因たる企業として、しっかりとした対応をする事が、商業メディアの責任だと思う。

 

こういった場合に、そういう行動が行えないのであれば、メディアという形態の事業に関わるべきではないと個人的には思う。

 

メディアの影響力や、情報元の秘匿の権利のようなものが存在する意味をもう一度考えて欲しい。