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何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

事の一部に捕われて本質を見失ってはならない

見事に不適材不適所だったなあ,という話 - Danas je lep dan.

笹井氏の顛末については同意するけども、一方で、彼女をただ責め立てるという事の無意味さは理解した方がいいと思う。結局、大局を見ないままただ闇雲に結論だけをもとめて周りが行動したからこうなっているわけで。

 

この辺であったり、

 

自殺した途端に「イイ人」に改める報道への違和感(武田 砂鉄) - 個人 - Yahoo!ニュース

このマスコミの糞対応を作っている原因は日本人の事なかれ主義であったり、場当たり的な行動だと思うけどね。物事の本質をちゃんと捉える又は捉えようと努力しないといけないが、基本日本人はそれがぜんぜんできない

 

この辺を読んだ。

 

この問題が勃発した時に私は「理研は組織として処理すべき事を放棄し、その結果ががこの泥沼を生んでいる。誰も救われないよ。」という趣旨のコメントを何度も投稿した。

 

研究という視点から見ると、いろいろと一般人の理解とは異なる問題もあるのかもしれないが、冷静に考えればこの問題の一番のガンは理研という組織にである事は間違いない。

 

小保方氏が不正を働いた(まだ検証中ではありますが、ここではその前提で進めます)理由が何であるのか。名誉なのか、それともそれ以外の何かなのか。その事すら現時点では解らない。そして、その行為に笹井氏がどの程度関わったのか、その理由はなんであるのか、それも解らない。

 

不正が起きる温床となる組織は、大抵の場合、その組織の中の小さな部分だけが問題ではなく、その多くは組織そのものが持つ構造上の問題に起因し、その問題が、細部に向かうにつれて独自の変化をし、結果、各所の小さな部分で不正であったり犯罪であったりが発生する。

 

私は、そもそも理研という組織の問題であったのか、それとも、科学研究という分野でとらえもっと大きな構図に問題があったのかをちゃんと考えなければならないのが今回の事件であったと思う。

 

日本は、資源大国ではなく、さらには、今後人口も現象し経済大国ですらなくなる事がかなり現実味をおいている。

 

その中で、科学研究というのは、日本に残された数少ない戦える武器では有ると思う。

(ここで言う武器は、それらの領域から発生し商品化されるものの功罪も含む)

 

そう考えると、STAP細胞研究の不正という問題を、ただ、その一つの問題として捉えてはいけない。

 

その事は、ブックマーク先の記事でもそれぞれ触れられているわけだが、私的には、小保方氏に未だに固執し、その結果のみを追い求める事に何が意味があるのだろうかと疑問でならない。

 

 

彼女は、少なくともこの再現実験で結果が出せない限り、将来はもうかなり厳しい状況であることは素人目にみてもあきらかで、彼女一人の事の顛末を見続けても、正直日本の未来に何の結果ももたらさない。

事の影響から、彼女に不幸が訪れればいいと思う人は、一番有効な手は何もせず、彼女に言い訳をさせないような万全な環境で再現実験をさせることだろう。

そして、実験期間が終了した時に一言「残念でしたが、貴方の研究結果の正当性は証明できませんでした。おつかれさまでした」と言ってあげればいい。

それで彼女はもう表舞台にたつ事はないだろう。

 

もっとも、彼女が本当に歴史的発見をなし得る人物であれば、その後別な研究でそれを示す事はあるかもしれないが、それは、今回の事の正しさを証明すること以上に難しいことであり、それがなし得たのであれば、それはそれですごい事だとは思う。

 

なので、今重要なのは、検証終了後に彼女に言い訳をさせない事以外のなにものでもない。

 

 

科学者の中からも、事件の対応についていろいろと意見がでていたり、それに関連する事についても意見がでているが、その中で本質的な物と言えば、博士号の剥奪云々の問題だけだったと思う。

 

この問題については、所謂大学であったり、教授・准教授・卒業生・研究者、こういった人間の関係であったり、負の構造であったりを明らかにしているわけで、この部分こそ我々は将来の為にしっかりと対処すべき問題だと思う。

 

同様に、研究者を束ね、管理していくという事をどうすればよいのかも考えなければならない。

 

研究とは、企業であったり国であったりが支援していかなければならず、その為、莫大な利権も関与する事は否めない。

大学ポストも同様の話で、博士号云々の問題も、こういった組織構造上の問題が影響しているというのが実情だと思う。

 

研究プロセスが正しく管理されていないという問題は、ある程度形式的なものであれば研究者でなくても管理はできる。それは、政治資金報告書に領収書が添付されていないという基本的な問題の指摘と同じ。

 

結局、研究分野の管理は研究者にしかできないという考え方がこういった伏魔殿的な何かを作り出しているわけで、やはりそういった部分に外の血を入れ、研究を第三者的に管理するというのは非常に重要な事だと思う。

 

そういった問題すら現時点ではそれほど論じられる事無く、ただ目の前の小さな事にいつまでも囚われ、10年後の日本の研究分野がどうなっていくのかという点への視点が大きく欠落していると感じずにはいられない。

 

 

今、理研で起きている事は本当に理研だけの問題なのか?

 

 

おそらくそんな事はない。

 

これは外部の人間が立ち入れないような領域を持っている全ての組織が抱える闇で、その中の一端が見えたに過ぎない。

 

本来我々がなすべき事は、そういった事を如何に明るみに出し、ただしていくのかということではないのだろうか。

 

ワイドショー的な何かに踊らされているだけでは何もかわらない。