「日本固有」「世界の中で唯一の規定」という部分の指摘はそれこそ誤解でしょ。それは申請側ではなくその前提として必要な条件という意味合いで一般的なものを前提に申請するには無理がありすぎるという指摘だと思う
よんだ。
もはや終わったことなので、いまさら別にどっち(申請肯定、否定)を指示するわけでもないんだけど、指摘の中でコメント通りですが「日本固有」とか「世界の中で唯一の」というものにかかる部分が申請にはそもそもないぞ!という指摘はちょっとずれすぎかと。
そもそもノーベル賞は、日常的なありふれた事象に対して授与されるものではないし、同時に、推薦する場合も唯一無二と思われるにたるものを推薦事由とするものだとおもいます。
つまり、推薦する時点で「日本固有」であったり、「世界の中で唯一」でないと、憲法9条というものをノーベル平和賞の候補とすることはできないよ、と、いう指摘だと思うんですよ。
ありふれた条文を担ぎ出して、日本は世界平和に云々と言ってしまうと、お前、それ、同様の意味合いを持つ条文を持つ国も受賞すべきじゃねーかという話で、それは推薦時点でちゃんと要件を確認し満たしなさいよ、と、いうことだと思うんです。
日本の取り組みが世界の中でどうであるかという事は別として、こういった手続きを行う場合や、推薦を行う場合に、日本のような推薦する事は自由みたいな軽いノリでやると世界から笑われるよ、という事は事実だと思います。
もっとも、今までもクソみたいな推薦がなかったわけではないので、その一員になったにすぎませんが。
ちょっと熱くなりすぎて、否定ありきで組み立てたのかなと思わなくもなかったです。
現実として、たいていの国では平和条項が基本的には入っているし、申請事由を読む限り、取組にしても何にしてもすべては9条が前提の組み立てて、読み手は少なくとも9条を中心とした申請であると読めます。
付け加えて言えば、これ、事前にいろいろやってるんですが、その一つにネットを使った署名活動があります。
読むまでもなく、はっきりと「特に第9条、を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」と、これ、世界に向けて発信しているんですよ。
で、これを推進した委員会の名称は、“「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会”なんですよ。
えっと、もう一度言いますが、少なくとも推薦状がどうであれ、申請主体者は9条を全面に押し出しています。
というわけで、まぁ、元記事の表現もあれな部分はありますが、9条が日本固有でなくありふれた条文であり、平和貢献・活動も一般事項だとした場合、どの辺をもって推薦事由としたのかというのは相当疑問視されるのは否めません。
あと、双方なのかもしれませんが、そもそも申請文書が引用されていない時点で、推測の域をでないので、空中戦でしかないんですが…。
せめて、記事同士の引用ではなく、具体的な事例であったり、文章を担ぎ出さないと、ちょっと指摘として成立しないきもします。
そんな感じ。