何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

卒業証書がデジタル化されることの意味

 

iPodを贈るのは、洗剤や油を贈るのと同じ意味

例えば卒業証書は価値が現存するガジェット以上の価値を持つのでしょうか?僕は課題があることは認めるもののこれもありだと感じます。中身のコンテンツはクラウドにあるとのことでiPadが12年後になくてもいいしね

2015/04/02 16:16

 よんだ。

 

記事主がかなり雑なニュースの確認しかしていないというだけではあるんですが、そもそもこの記事ちゃんと読むと卒業生に贈られる12年後のメッセージはクラウド上に保管されているわけで、別にiPadが12年後に動かなくても、おそらくですが問題はないでしょう。

 

むしろ、何かあった時のことを考えると、iPadが12年後動くのか否かよりも、カヤックが法人として健全に存続していることを保証できた方が安心ですが。

 

それはさておき、このようなケースは今後も増えるものと思われます。

その是非はものにより変わるとは思いますが、僕は評価は冷静にすべきだと思います。

 

例えば、今回の卒業証書。

みなさんは社会人になってから、何度卒業証書を見つめたでしょうか?

 

引っ越しの時? それですら、保管用の筒を見かけた程度ではないですか?

実家に帰省したとき? 何かそういった話題がでないかぎりみないですよね?

 

人によるというのはその通りですが、僕は、社会人になってから、というか卒業式の翌日から今日まで、おそらく卒業証書なんて見ていません。

 

会社から卒業証明書の提出を求められたことはありますが、卒業証書は今のところ有用な価値を発揮したことはありません。

 

思い出、という価値はプライスレスと言われてしまうとつらいのですけど、そのことも「思い出」のありようではないでしょうか?

 

いつでも触れることができるコンテンツ。

例えば、同窓会にでなくても、卒業生が自らの近況を報告できるメッセージ機能や、住所を公開しなくても、同窓会のお誘いをネットでやり取りできるサービス等、デジタル卒業証書に連動させることで、希薄になりがちな人間関係を、時代に則した形で補完できるような仕組みも実現できます。

 

地元を離れていると、なかなか地元の情報は入ってこず、ある日恩師の先生が他界されていたことを知る、というようなこともあります。

 

こういったサービスを通じて、僕は、上京した同級生と地元で生活する同級生が程よい距離感でつながるということは非常にありがたいし、僕はきっとそれを使うだろうな、と思います。

 

距離や時間をインターネットという仕組みで克服する取組というのは僕は非常に興味深いし、ぜひ進めていただきたいし、そんな時代に自分も卒業してみたかったな、と思います。