何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

id:miyakawa_taku氏からの指摘への返信

 

なぜ、憲法学は集団的自衛権違憲説で一致するのか? 木村草太・憲法学者 (THE PAGE) - Yahoo!ニュース

よくわからないけど、国民の本来の関心は安全保障の問題を結果的にどのように対応するのかという方であって、解釈に課題があるのは万人が理解しているかと。本来の議論より枝葉の議論ばかりするのは日本の悪い癖。

2015/06/18 01:34

これに対して、

なぜ、憲法学は集団的自衛権違憲説で一致するのか? 木村草太・憲法学者 (THE PAGE) - Yahoo!ニュース

id:sin20xx 目的は手段を正当化しません。国家という怪物(そして代表という実質的権力者)を抑えこむことが近代の課題であり、現時点での回答が立憲主義です。憲法を蔑ろにすることは、怪物を野に解き放つことです。

2015/06/18 10:34


 という意見を、id:miyakawa_taku氏よりいただきました。

 

まず、非常に疑問なのは、前提条件として私は「解釈に課題があるのは万人が理解」という記述をしています。

つまり、解釈上の問題は明らかにあり政府にはその問題と向き合う必要があるという事を明示的にしています。

 

また、指摘の中では「目的は手段を正当化しません」とありますが、こちらについても同様でだれも目的をもって手段を正当化等していません。

 

どう読み込むとそうなるのか非常に疑問です。

 

冷静に考えて欲しいのですが、「解釈に問題がある」以上の事を、百万回いったところで多くの国民は「解釈に問題がある」以上の事を理解する事はおそらくないでしょう。

 

そもそも国民の多くは、憲法を読み込んでいる訳でもありませんし、憲法学者を目指している訳でもありませんので。

 

一方で、国民は自国の安全や自信の安全には大きな関心を示します。

これは憲法を軽んじているわけではなく、人はそういったものであるという事にすぎません。

 

学者か野党の争点は基本的に「解釈によりこの問題は回避できるわけではない」という事に集約する事ができると思います。

この事を私は否定もしませんし、「解釈云々の話は、実現するための方便である」とすら言い切っても問題ないと考えます。

そして、国民の多くも、おそらくは「何か問題はありそうだな」という感じはしているものの、それと同時に「日本は今周辺国ともうまくいっていないし、いろいろな事件も起きていて不安」という事も感じているでしょう。

 

本来この問題は、憲法解釈の問題ではなく、『もともと』国防をどうするべきなのか?という議論であったはずです。

 

にもかかわらずいつの間にか『実施手段としての解釈の議論』にすげ替えられており、なぜか野党もその争点で争っています。

 

ここで一つの疑問が生じます。

憲法上の解釈が問題なのか』それとも『防衛に対する考え方が問題なのか』という点です。

 

現状ではおそらく国民の多くはせいぜい「海峡が封鎖された場合」であったり、「尖閣諸島の防衛」というようなケースを例としてこの議論を見ています。

 

本質的にはこのケースやその行為について防衛手段を持つ事が必要なのか?という点を決定すべきで、その決定について実施する関係上問題があるのか?という点はその後の話です。

 

残念ながら、違憲であるならば他の手段を講じるか、または、違憲とならないよう適切な手段を講じるしかありません。

 

しかし、現状の課題は、防衛に対する国の方針が一本化されておらず、その状態のまますでに実現手段の議論をしている点です。

 

結果、国民から見るといつの間にか「違憲は問題だ!」という話になってきてしまいす。

 

違憲」は問題です。

そして違憲状態でも強引にその方法を実現するというのはまさに「目的により手段を正当化する」ということになってしまいます。

 

しかしその一方で、目的が何であるのか?、そしてその目的は達成すべき重要なことであるのか?が確認され、重要であると判断されるならば、結果的にはどのように実現するか?を議論するしかありません。

 

仮に、与野党がこの点についてしっかりと議論を行い、国民とも十分に対話していれば、違憲と判断されるなら違憲とならないよう適切な手段で改正の手順を踏むという方法で問題はありません。

 

結局私がコメントに書いたように、この議論の一番の違和感は与党も野党も、憲法学者も、この話題に積極的に「違憲だ」と述べる国民も、みんな「何を行わなければならないのか」そして「それはなぜ行わなければならないのか」の定義を共通認識をしないままみんな明後日の議論である「違憲か否か」で論争を繰り広げているわけで、それをあたかも議論の中心のように語られても、私は「いや、それ、議論がすでにずれてるから」としかいいようがありません。

 

当然、なぜここで争うかというのも明白で、単純にこの点が一番争点としやすい体とは思います。

 

ただ、その場合、争点にする=現状の日本の防衛に関して問題は存在しないという点を明示的にする必要があるはずのですが、私から見て少なくともその整理はなされていません。

 

「怪物を野に放つ」という一言がありますが、私からすると、「違憲」という一言で本来行うべき議論から目を背けるというのは、すでに怪物が野に放たれているのと同じです。

 

必要であれば憲法は改正すれば良いのです。

ただ、改正するということはそれだけ重要で必要性を説明できなければなりません。

そしてここでいう説明とは、国民に理解してもらえ、賛同を得るということです。

 

本来はこの点が争点になるべきというコメントにもかかわらず、意味不明な指摘をされるのですが、そう解釈された理由について具体的にご指摘いただければと思います。

 

よもや「必要な事が確認されたなら適切な手段で憲法改正を行う」という意見についても「改正前の憲法に反するので違憲で問題だ!」、改正により「怪物を野に放つのか!」とでも言われるのでしょうか?

 

必要性があるのであれば憲法を改正するというのは国民に認められた権利です。

それの議論を行わず本質的な議論ではない部分で争うというのは私からすれば国民の利益に「違憲」と同じぐらい反する行為ですが?

 

本質的な議論を行うという事にどのような問題があるのかお教えいただきたいと思います。