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何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

確かに調理師免許と料理の腕には関係はない

 

堀江貴文(Takafumi Horie)さんはTwitterを使っています: "クックパッドみりゃあ料理なんか誰でもできるし調理師免許と料理の腕は関係ないやん笑 - http://t.co/Bot7d2qzNg"

作ったものを全て「料理」という大きな枠で表現し、その「料理」の質に価値をつけないなら確かにクックパッドで大抵のレシピはカバーされ、最低限の知識があればそうかもね。ただ、両者とも言い分が極端すぎなんだよ

2015/06/20 01:45

 よんだ。

元記事も含め。

 

ブコメが元記事読まずに反射しているのはさておき、とりあうえず、調理師免許の取得そのものはプロセスを適切にこなし、最小限の知識を有すれば取れるので、正直ただ調理師免許を持ってます程度では、主婦(主夫)が行う「食事を作る」という現実をこなす事はできない。

 

ぶっちゃけ、「料理」というでっかい枠で、「料理」に係る仕事や役割をくくるのはそもそも無理筋です。

 

飲食店にも大衆向けから高級店まで幅広くあり、それぞれの調理担当者に求められるものは違います。

吉野家の牛丼であれば、一定のクオリティさて保たれていれば、それ以上の価値は求めませんし、ぶっちゃけ、盛り付け、つまり中の具が右寄りでも左寄りでもどうでもいいです。

一方で、そこそこのお値段の店にいったとき、デートや記念日等ですね、こういった店で盛り付けに配慮がなかったら当然印象はよくありませんし、人によってはクレームを付ける方もいれば、クレームはつけないものの、次回からは使わない(訪れない)という人もいるでしょう。

 

家庭で必要とされる役割はその家庭により全く異なりますが、例えば私の家では共働きですので、曜日によって調理するメニューが異なります。

週3日程は食事前に運動をしますので、その日は運動後に食べるごはんの準備は簡単なものと決めています。

一方で、週末の土曜日は準備する時間もあるので、例えば餃子のような準備が地味に大変なものは土曜日のメニュー、日曜日は丼もの(最近の定番は、18時頃から安売りされるマグロを狙っての、ネギトロ丼です)です。

 

ですので、運動を行う日は如何にスピーディーに準備できるかというのが重要になりますし、一方で土曜日は食べたいものを如何に実現するか、という部分のスキルが必要となります。

 

また、食べる側が求めるクオリティもお店とは違いほぼ一定です。

多くの場合で盛り付けはさらに収まっていれば何も言わないでしょうし、彩に華がなくても正直指摘する事もないでしょう(少なくとも私は)。

味についても、濃い味付けが好きな家庭であれば濃いめ、薄い味付けが好みの家庭であれば薄めというような程度の配慮で、それ以上の細かいものを必要とする家庭であれば別ですが、多くの場合、大抵の料理は食べるわけで、そのクオリティにいちいち文句を言い合うようなこともありません。

結局は家庭の「好み」にあっていればお互いが満足でき、それ以上のものは必要ありません。

 

ただ、ここでいう「好み」に合わせるというのが実は難しく、料理人が出す料理は、そのお店の基準が基本的にはあり、そのクオリティで統一可能であるのに対して、家庭の場合は、夫婦のみであっても妻と夫の好みに配慮する事が求められる場合もあれば、子供のいる世帯では子供の年齢や成長に合わせたメニューを考える必要もあるでしょう。

場合によっては健康状態や、例えば歯の治療をしている、口内炎ができた、おなかが痛い等、家族の状態に配慮する事も求められる場合があります。

 

つまり、調理師免許を持っている程度の話ではとても対応できません。

 

結局のところ、料理をやるかやらないかという問題以上に、家庭で行う料理というものは、コミュニケーションであると私は思います。

 

仮に作る人のスキルが低い(私の餃子の包む能力は妻のそれの半分以下で、妻が「見ているのがつらい」というレベルであるように)場合であっても、食べる側がその事情を理解(つまり私の場合『頑張ってはいた。その努力は認める』的な)していれば、例えば多少不細工なものができても食べる事に問題もありませんし、むしろそこから会話が生まれ、良好な家庭が維持できるでしょう。

 

それよりもその食べる側の事情によく配慮されたものが出ているかどうかの方が味よりも大切だと私は思います。

 

そしてそれは食べる側にもその事に気づく能力が求められますし、同様に作る側の事業にも配慮するという能力が必要になります。

 

どんなに作る料理が素晴らしくても、食べる側がそれに感謝をしなかったり、例えばある時、作る側の体調がすぐれず簡単なものしか準備できないようなケースがあった場合に「え?今日これだけ?」みたいな事を言えば確実に関係は悪くなりますよね?

もっとも、この場合料理に対する意見よりも、お前、家族の体調不良に気づかないのかよ、という突っ込みがりますが

 

このように、家庭において料理とは、作る側、食べる側の双方のスキルできまるわけでこれはもはや作るスキルで測るといっている時点で、家庭における「料理」の議論から私はあまりにも離れすぎており、非現実的な話であると感じます。

 

気になるのは、両者とも経営者を経験しているはずなのでこの程度の事は私よりわかっていらっしゃるとは思うのですが。

なぜならこのような価値の測定は会社の中では常に行う事ですからね

 

また、仕事ができる人は料理もできる、かどうかは分かりません。

私は仕事はご迷惑をおかけしない程度の仕事はこなしますし、結果も、それなりのお給料に見合った結果は出しております。

しかし、料理はまったくだめです。

 

例えば、餃子を作る時、結果を意識してネガティブに内容量を見積もると完成品は内容量不足の不良品となりますし、それは食べたときの触感にも影響します。

一方でポジティブに内容量を見積もると、今度は包む工程をFIXする時点で内容物があふれるというイレギュラーが発生したり、または、焼き工程において皮から内容物が飛び出すという結果を招きます。

また、この結果が一番厳しい事故を引き起こすのは、その焼き上げた餃子を食べる際、餃子という形態が崩壊し、肉と皮というものに分離してしまうケースや、その分離が口へ運ぶ搬送作業中に起きてしまうケースです。

もう2次被害まで起こしてしまいます。

今のところ、いろいろと改善に取り組んでいますが、妻のスピードに合わせると品質が一定にならず、品質を優先すればスピードがあまりにも遅いという体たらくです。

 

まぁ、このケースは自分が餃子に対する熱意が足りないのでこのような成長しかできていないので、問題は私自身なのですが、結局は料理と仕事に関係性なんてないですよと言いたいだけです。

 

人は自分が行う事のすべてに対して同じ熱量で必ずしも取り組めるわけではありません。

何れもパーフェクトにこなす人がいたとして、その人は素晴らしいと思いますが、一方でそうでない人がいたとしてもそれは批判する話でもありません。

 

仮にそれが家庭のなかで実生活に影響を及ぼすのであれば、それは他人がとやかく言う問題ではなく、その家庭で、その家族が自分たちの価値観を持って話し合い、解決すればいいのです。

 

別にクックドゥの味が好きなら使ったっていいでしょう。

(私は回鍋肉でいえば、あの甘さが苦手なので使わないですが)

 

結局は、それを使うという事を夫婦や家族で受け入れられるかというだけの話で、使っているという事は家族の中で合意が図れたというだけの話です。

(仮に話し合わずともそれを受け入れているのも合意と解釈しますが)

 

なので、確かに調理師免許と料理の腕には関係はないし、付け加えるならば料理の腕や知識と仕事のできる・できないも関係ないし、家庭の円満さについても料理の腕とはなんの関係もないかな、と私は思いますが、両者とも何に熱くなっているんだろか、と感じました。