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何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

id:bahrelghazali氏のご指摘への返信

 

君は「行ってよかった美術館ランキング」1位の大塚国際美術館を知っているか。 - いまトピ

それでもこの美術館の価値を分からん人間が芸術に近い分野でもいるという現実が悲しい。ホント日本って芸術系の分野は立ち遅れていると思うわ。伝えようとしていることも感じる事も本当に多い場所だと僕は思うけどね

2015/06/24 08:02

 

こちらの記事へのコメントについてid:bahrelghazali氏より以下のようなコメントをいただきました。

 

君は「行ってよかった美術館ランキング」1位の大塚国際美術館を知っているか。 - いまトピ

id:sin20xx 全員が「これは素晴らしい」と語りだす社会は、言論弾圧でもしない限りあり得ない。これの価値が分からない人が存在するのと、日本の芸術分野が立ち遅れてるというのは、相関関係が無いと思う。

2015/06/24 10:24

 

こちらについて私の意見を返信させていただきます。

 

まず「相関関係はないでは」という指摘については、確かに「相関関係」という定義ですとないかなという感じもします。

「相関関係」ということであれば 、「日本の芸術系の分野の立ち遅れ」と「芸術に対する多面的な理解の深化」が関係していると説明できないといけないので、それは現状では私には難しいです。

 

一方で、その土壌として課題と向き合っていないという僕の中の意見は否定しきれません。

 

そもそも芸術とは、コメントでいただいた通り、あるものと対峙したとき必ずしも唯一の評価がなされるものではありません。

良し悪しは人により、時によりかわるのが当然で、むしろ変わらないというものはすでに芸術の域から文化の域に昇華しているのではと、個人的には思います。

与える価値観が万人に広がった時点で、それは文化として定着していると解釈できるのでは?と考えています。

もっとも、芸術そのものが文化の枠に入るものですから「何言ってるんだ?」という話ではあるのですが、僕の中では「文化」として対峙するということは、ある程度普遍的な価値観が定着しており、僕が「こんな絵に価値はない」と評する事があまり意味をなさない(僕以外にとっては)と考えています。

 

この評価や価値観が様々である事はわたしはあってしかるべきだと思うのですが、その一方で、日本の芸術という世界に本当にその認識があるのかな、という疑問は持っています。

 

直近でいえば、日展の不正(疑惑?)の話題がありましたが、あれもその疑惑を感じさせる一つでもあります。

 

「意見を対立させる」という事は、相手を拒絶するという事ではありません。

「対立」させる為には、相手を理解し、その上で相容れない部分について議論する必要があるというのがわたしの持論です。

同じ光を表す為にも、光そのものに焦点をあてる芸術家もしれば、光を表す為に影に焦点をあてる芸術家もいます。

これは、それ(光)をどうすればより表現する事ができるか、その価値をどうすれば伝える事ができるかという事を異なる視点で表現しているわけですが、これはお互いが相手を拒絶するわけではありません。

 

その為、拒絶反応を示す事と、異なる意見を示すという事には、わたしの中では大きな隔たりがあります。

 

わたしは先日 「まるまるくまぐま」というブログの「真似とパクり。」記事に以下の通りのコメントをしました。

真似とパクり。 - まるまるくまぐま

大塚国際美術館の事なら運営側にはれっきとした意図がある。そして見る側の話でいうと万人が本物に触れられるわけではない。そもそもあそこは入館料も安くないし、連れて行く側はちゃんと意味を見出していると思うが

2015/06/23 02:17

 

この記事では、文中で以下のようなまとめをしています。

しかしこれはもはや作り手だけの責任ではない。

このTシャツを見て本物を知らない人は『なんか最近やたら流行ってるな』ぐらいにしか感じていないのだろうし、だったら値段が安いので十分だと『パクり』の方をチョイスしてしまう。

実はこれが一番怖い。

そもそもパクりTシャツが売れなければ業者も作らない訳で、そういった本物を知らない消費者達がある種このパクり文化を生んでいるのだ。

引用元:真似とパクり。 - まるまるくまぐま

 

この文章のあと、「話は逸れる」と前置きをして、

話は少し逸れるが、徳島の鳴門に展示されている全てがレプリカで構成された美術館がある。

ダヴィンチもあればピカソもあり、ゴッホムンク、モネやフェルメールといった普段並ぶことは無いだろう芸術家達の作品のレプリカがところせましと並んでいてビックリするのだが、それよりもビックリするのはいつも大盛況だということだ。

以前朝の情報番組でこの館の取材で来場者にインタビューしていたのを見ていて、ある親が『世界中に普段散らばっている名画達がいっぺんに観ることが出来て嬉しい。アートに触れる事が少ない子ども達にもすごく貴重な体験だ。』と言っているのを聞いて、僕はこの国では一生アートやファッションは根付かないのだなと絶望したことを思い出した。

引用元:真似とパクり。 - まるまるくまぐま

 

という一文を記載されています。

 

わたしはこの現実に絶望しそうです。

 

確かに芸術に関わる人間の全てがそういった美術に理解を示さないという事はわかります。しかし、それを前提として見る側まで一刀両断するという行為を芸術に関わる側がするという現実には理解ができませんでした。

 

こういった土壌が芸術というものをもっとも理解すべき側の人間に存在するという事が、日本が芸術系の文化で立ち後れる理由ではないかと感じずにはいられない出来事出会ったというのがコメントの真意でした。

 

そういう意味では「相関関係」について説明せよ、問われれば、現時点で説明できないのは事実ですし、上記の記事への感情が他の記事へのコメントに影響した事も事実です。

そういった土壌はあるのはわたしから見れば事実であろうと認識していますが、そもそも彼(id:hynm_sugiura)のみの評価を持って、芸術系全般を評価するのは、あまりのも乱暴すぎるのは指摘の通りであるとわたしも理解します。

 

あくまでもわたしは見る側よりも見せる側の多様性が欠如しており、その事は見る側の意識改革だけではなく、圧倒的に見せる側、作る側の世界観を広げるところから始めないと、欧米だけでなくアジアの中でも「それっぽく見せる」というだけの芸術をただ「価値がある」と論じる程度の国になってしまうと思いますのであの様なコメントをいたしました。

 

長くなりましたが、別記事に対する「絶望的な感情」でコメントしているものですので、指摘の批判は受けるべきと考えます。

 

感情でコメントしていますが、撤回すべきとは思いますせんので、この記事で指摘を受け入れるとの意思と、それに至った経緯について述べさせていただき、返信といたします。