何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

死語と化した「若気の至り」という言葉

 

性善説を唱えてた奴、息してる?w

ネットの普及以前から性善説ってのは性悪説が正しいというのと同じぐらい根拠はないでしょ。ただネットの普及により声の大きい(大きくする為の手段がある人)ものしか聞こえにくくなったのは事実。矛盾する話だけどね

2015/08/16 18:41

 よんだ。

 

人間の本性が悪か善かなんてわかりませんが、まぁ、自分以外に対して妬む、嫉むという感情は恐らく持たない人はいないのかなと。

 

妬みや嫉みと聞くと悪い感情のように思えるが、そもそも自立心や自我というものとして自分と他人を認知し、区別する、そして自分と他人を比較し対比するというのは成長の過程で重要な要素でもあるので、決して悪い事だけではないかと。

 

ただ、その先の対応に人により違いがでてくるわけで、それは個人により、状況により異なるので一律どうだ、という事は難しいと思う。

 

難しいのは自分が望むことや正しいと思う事が必ずしも自分以外にとっても望む事であったり正しい事ではなく、時によっては相手に著しい不利益を与える事もある。

 

ネットと、リアル(あえて)を比較したときリアルな社会というのは、煩わしい様々なもの(例えば、家族、地域、社会、職場、お金、安定等)の影響を受けた結果、自分以外を強く意識するので、結果、行動そのものがある程度抑制される。

 

一方で、この煩わしい様々なものは集団を形成するのにも利用される。

 

例えば一番わかりやすいのは「職場」で、個人の意見が会社の意見と合わないとしても、そのほかの煩わしい様々なものの影響で「職場」という集団の意見に合わすことになる人は少なくない。

 

結果、リアルとはある程度そういった煩わしい様々なものの関係から導き出されるある一定の結果に集約される。

 

一方でネットはというと、少し難しい。

実際にはリアルと同様に「煩わしい様々なもの」は存在する、しかし、ネットの場合その制約はリアル程強くはない。また、リアルとは違いその制約を回避したりする方法も存在する為、成約を受けない結果としてリアルよりはある意味個人の人格が出やすくなるとは思う。

 

結果として行動や発言は無自覚のうちに非常に単調なものになり、リアルな社会で発するときよりもおそらくは不用心で危険なものも多いのではないかと思う。

 

その上ネットでは距離や時間というものがあまり発言や行動に影響を及ぼさない。

 

つまり、ある時に発した言葉や行動は1時間後も1日後も1週間後も基本的には何らかの形で残り、例えその発した言葉や行動を起こした環境が変わっても、意味は変わらず残り続けるため、コントロールが非常に難しい。

 

もっとも本来はリアルであっても同じなんだが、リアルな場合は、媒介するものにそれぞれ限界があり、結果、ネット程の伝播や補完は行われないので、影響が限定的にはなる。

(しかし最近では映像がネット配信されるなど、ある意味「ネットとリアルの融合」が違うところで効果を出している気もするが…)

 

こう考えると現代において「若気の至り」という言葉はもう死語なのかもしれないと思わなくもない。