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何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

子育て層の理解者が少ないという事実

 

政治が子育て層を簡単に無視できる、投票率以外の大きな理由 | 駒崎弘樹公式サイト:病児・障害児・小規模保育のNPOフローレンス代表

本質はそこじゃないと思う。子育て層と考えると人口に対する割合は少ないが、子育て済み世帯まで含めれば本来子育て層を理解できる割合は圧倒的に大きいはず。しかしそれらの層が子育て層を支援しない事実の方が重い

2016/02/20 23:10

 

よんだ。

 

元記事は政治と子育て層について書いているのでちょっと指摘はずるい形にも思うけど、やっぱり本質はそこじゃないと感じる。

 

コメントどおりですが、そもそも“子育て層”という切り方に違和感があって、本来は“子育て経験層”というものがあるべき。

なぜなら子育ての苦労は一度経験した人なら皆理解でき、共感できるもっともシンプルな事だと思うので。

 

で、コミュニティやコミュニケーションの話に触れているわけで、それはその通りだけど、それは要素の一つにすぎず、本質はそこじゃない。

 

その形成されるべきコミュニティや、そこで交わされるコミュニケーションがなぜその“子育て経験層”では機能しないのか、という事の方が本質的な問題で、その問題こそが子育て支援のもっとも大きな欠陥だと私は思う。

 

少なくとも人工的に生まれた人は少ないはずで、全人口の4分の1以上は“子育て経験層”である可能性があり(正しくはそういう計算ではないけど、かなり暴力的に書くとね)、また高齢世帯のもその理解者・支援者は多いはずである意味一番今発言力をもった勢力であるともいえる。

 

しかし事実はそうではない。

 

この問題は子育て云々がそもそも原因ではなくて、おそらくは昭和の時代と今の時代で人のかかわり方が変異していることが原因ではないかな、と思うが、何も定量的なデータも参考となる文件もあるわけではない。

 

ただ、医師会や労働組合がより単純な目的の基に行動しているのに対して子育てというのは必ずしもそれぞれの負担や環境は同じではない為、単純に行動を一つにすることはできないだろうとは思う。

 

それであっても、それだけの規模の経験者がいる中でこれだけ支援が限定的であることを考えると本来は何かもっと具体的な施策や条例などが積極的にあってもおかしくないはずだし、もっと言えば、おそらくはたいていの人は「子供は日本に必要ですか?」と問えば「大切で必要です」と答えるだろう。

 

でもその答えは行動にも結果にも表れない。

 

僕は、これは政治だけが問題ではなくて、人の優先順位や行動原理によりものであって、それはもっと人の根源のようなものに影響されているのだと思う。

 

極端な事を言えば、自分が育って今どうあるのか、自分が社会とどうかかわるのか、そういう事がより色濃く表れているもので、それであるが故にこれらの層への支援というのはすごく限定的で理解が進まないのではないかと感じる。

 

間接的には彼のいう“当事者でなくなっても、自分の味わった痛みを感じる人のために、動く”という事に近いかもしれないけど、それはもう“その行動をとる人がいない”事はかなりわかっている事で、本来解消すべきは“なぜその選択に至っているのか?”という部分だと思う。

 

可能性の一つは、優先順位によりより選択しなければならないものがあり、結果それらへの関心が低いという事もある。

が、過去の選挙や政治の争点を振り返っても、どちらかというとそれ以前の状態であると思う。

 

そうすると優先順位による止むを得ない選択というわけでもなさそうなわけで、極論言えば“本当に今の日本人の中に子供が少なくなることの問題を理解できている人なんてご極僅かなのではないか…”という事の方が私の中では高まっている。

 

非常に単純ではあるのだけど、その事実の方が凄くわかりやすく現状を説明しうるし、すごく単純であるが故に行動に結びつきやすいと思う。

 

もし本当にその理解が原因であるとすれば、理解できていない人に対して、経済的にも非常に大きな問題で、この方針の舵取りを誤れば移民政策を含むその他の様々な選択に大きな影響を及ぼす程の重度の高い問題である事を理解してもらう事の方が重要だと思う。

 

理解できれば、その事を適切に対応しない事は、自分の生活、極端な事を言えば、移民政策が実施されれば、職場環境のみならず、町や生活環境そのものが今とは一変する可能性もあり、それは高齢者を含む社会的な問題で、決して他人事とは思えないと思う。

 

結婚しない人であっても社会構造が変わるという事に単純に適応できる人は恐らく少なくて、まぁ、私のようにもともと海外でも仕事をしたり、日本人以外とも仕事をする人間からすると、あぁ、香港のような雑多な環境が日本でも広がるのかな、程度で受け入れられるが、多くの人は、少なくとも多くの日本人はその変化に単純には適応できないと思うが…。

 

昨今、爆買の影響で日本人の方が扱いが下になっているという話題もちらほら見かけるが、移民政策が本格化すれば、日本人以外も日本の方針に関与するし、東南アジアの事例でいえば、町の中心地は移民が多数派で町が乗っ取られるという事例もないわけではない。当然、移民を排除できるわけもなく、数的にも相手の方が勝るわけで、政治的な力関係も崩壊する事は容易に想像できるかと。

 

現在80歳とかであれば確かに10年先の未来について語っても知らんよ、と言えるかもしれないが、高齢者向けの仕事であったり、介護・看護系の仕事は既に海外労働者の活用が進んでおり、今後もよりその割合は高まる事は確実だろう。

つまり、この影響はもでているわけで、その影響は実は高齢者や社会的弱者の方が真っ先に向き合うべき問題となるわけで、その事実は適切に発信し理解させないといけない。

 

少なくとも労働人口が減少するという事は、私がここまでで書いた以上に深刻な問題でその対処を間違えばもはや日本人同士が同じ予算の中で何を優先すべきかと議論すること自体が粗末な問題だったと振り返れる程、それほど大きな問題である事を理解してもらわなければならない。

 

本質的な問題は、この部分なんだと僕はおもっている。

 

海外の難民問題(ここでいう問題は流入した事により起きている対立や争いの事)を他人事のように言えるのはあと数年である事は明らかで、少なくとも世界的にはなぜヨーロッパだけがその負担を負わなければならないのかという事は議論されている。

アメリカも実は南米系の移民を受け入れており、経済的な規模で考えると日本と中国は経済大国のなかでの受け入れが圧倒的に少ない。

中国については本人たちが永遠の新興国であると宣言しているので、今後の争点は経済大国であり、高齢化、少子化の進む日本が世界に率先して移民の受け入れを行うべきでないか?という意見があるタイミングで上がることは明らかで、その時に我々は自国の方針として何か明確な答えをだせていなければならない。

 

でなければ「国際的な支援の輪」という、何か得体のしれないワードにより、なし崩し的に移民政策が実現する事となり、その後は少子高齢化問題の切り札としてそれらが常に活用され、日本の方針は海外のそれと同じように、移民と日本人は同権であるべきという世論と、移民は移民であるという比較的移民と戦う事となるべき層の対立が起きる事となる。

 

その時まで「移民を受け入れる事は必要な事で、世界が協調して行うべき行動の一つだ」といえるとは思うが、仕事がなくなる恐怖や生活環境が変化する不安と向き合っても、それでも自分が犠牲になりそれらを推進すべき、といえる人がどの程度いるだろうか。

 

私は難民の支援は率先して行うべきであると思う。

ただ、受け入れる事が支援であるとは単純には思わない。

彼らがもし本当に祖国が好きで止むを得ず難民となっているのであれば、それを如何にして解消するかという事も支援であり、彼らにとって本当に望まれることは何か?という事も踏まえ、支援する側と支援される側がより適切な解を見出し、そこに向かって進むことが本当にあるべき支援だと思う。

行き場がないから受け入れるべきは今この瞬間に発生している現象に対する応急措置としては選択肢の一つではあるが、それはあくまでも応急措置であるべきで、それを恒久措置として選ぶことはそれはもう率先した移民受入でしかない。

 

この部分は世界的な動きや各国要人の発言や会議の議事録なども含め注視して、それらを冷静に見、聞きし、そして自分たちがどのような立場にあるのか本当に一人ひとりが考えて、選択や行動を起こさなければならない。

 

少なくとも日本は海外から見ればまだ経済大国として“少なくとも何か決断を迫られる場合は表現される”わけで、日本人が考えている程、世界の人達が“日本人大変よね”なんて親身になってくれることはない。

 

彼らが最後にいうのは“日本は世界的な支援の輪を無視するのか?”という事でしかなく、そこに対して“日本は日本で凄く大変なんです”と、言ったところで“いやいや難民の苦労と比較してそれに勝る苦労があるのか?”と問われたら世界に理解してもらえる回答を我が国は持ち得ているとは思えない。

 

安保法案の時にも書いたが、世界の選択に日本が関与しなくてもよい時代はもう終わっており、少なくとも日本は世界の中の一つの国としての機能を果たすしかない。

島国であり、他国との陸続きの国境を持たない日本という時代は終わり、既にネットを含む隔てるべき海の存在しない世界で日本は密接に世界と交わっているわけで、これはもう今から変える事はできない。

 

今日本が行う決断は、自分たちの為の決断であると同時に、その先には世界の意思決定や方針決定の素材としても扱われる決定である事を理解しなければならないし、その事を“知らなかった”ですまされる時代はおもう終わったという事を理解しなければならない。

 

そういう意味で、あの記事は僕は事の本質をとらえていないと思ったし、ある意味今なすべきことのもっとドロドロした本質的な部分を綺麗に隠しているなぁとも思った。

 

しかし、いつもにもまして長文になった。

それぐらいこの問題は深刻なんだと。