何気ない記録

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「日本死ね」の『死ね』への批判と斗比主さんの記事に思う、切実さの伝わらなさ - 一橋を出てニートになりました

重箱の隅であるか否かの問題だというなら、ののちゃんが発した「自分には議員としてやるべき大目標があり、それに比べたらこの問題なんて小さなことなんだ」は正当化されるべき話となりますがいかがお考えでしょうか

2016/03/20 00:14

 

よんだ。

 

意味はぜんぜんわかりませんでした。

 

もし発言の中の小さな一言はすべてを表しているわけではないので、それは見逃すべきだ、というなら、近年の話でいえば野々村議員の以下の発言も正当化されるべきだろう。

 

何故かといえば、議員というそういう大目標のなかに……。もちろん、政務調査費、政務活動費、ものすごい大事ですよ大事ですけれども! 議員というそういう大きい括りのなかでは、極々小さいものなんですゥ! ですから! いち、大人として、何とか、折り合いをつけさせて頂きたい。報道各位、記者の皆さまのご指摘は、適正なものだという形で真摯に理解して、何とか、訂正・返納ということを明言し、事務局と相談させて頂きたいと。ナ゛ッ!

引用元:【書き起こし】野々村竜太郎県議、”号泣”記者会見 「キッチリ報告してんのに、なんで自分を曲げんといかんのや」

 

おそらくこの指摘に対しては記事主は「いや、それと一緒にするな」といいたくなるでしょうが、果たしてそうでしょうか?

 

たとえば、記事主はこの記事の中で以下のように書いています。

 

斗比主さんの主張は、100%正しい。
ただ、人気ブロガーであり、あれほどの才と分析力を誇る斗比主さんに、「なぜこの方がこのようなコメントをしたのか、その心理と背景」まで分析してもらえたら、さらに良かった。
(と思ったが、斗比主さんが今の政治に不満がなければそんなこと書く訳ない。だから、過ぎた期待である)

 

この一文、今回の一件になんの関係があるのだろうか?

 

まず私は斗比主氏は過去の記事を読んでもどちらかというと今の政治に満足しているという雰囲気は感じません。

 

そもそも斗比主氏のネタの多くは日常から派生するものでその多くは非常にセンシティブなものを扱っており、その分、政治的にも主義主張的にもそれほど偏った発言はしないように勤めているものと思われます。

もしも偏っていれば、相談内容や自身が言及する内容に色がついてしまい、読者に対して謝ったメッセージが伝わってしまうためだと私は考えています。

 

結果、それほど時事ネタに過敏に過剰な反応を示すようなネタを記事にしていないと思われますので、斗比主氏が今の政治に満足しているかどうかなど、氏のブログからはおそらくそう簡単には察することは難しいでしょう。

 

これを記事主の言葉を借りて表現するならば「なぜ斗比主氏が現在の政治に満足していると感じているのか、その心理と背景まで分析してもらえたらさらに良かった(と思ったが、記事主は単純に政権批判をしたいだけで本質を議論するつもりはなさそうだ。だから、過ぎた期待である)」と書くべきだろうか。

 

私がこの記事の気持ち悪さを感じる部分は、もともとの指摘は人間としてそれはやっちゃだめよ、それをやってしまうと本来正当な主張であっても一気に自らを貶めてしまい、それと同時に自分たちの主張も正しいと受け入れられなくなってしまう、という指摘であり、どちらかというと昨今の自己の意見の主張や背景に正論があれば何でもあり、という性質の悪い発言に対する注意だと私は感じました。

にもかかわらず、この時期では、有名人が一個人をフルボッコした、という視点とそしてお前は政権支持者だ、という最近流行の右でなければ左、左でなければ右という極論を振りかざしている点です。

 

たとえば斗比主氏の最近の記事でこの話題に一番近いのは以下の記事でしょう。

 

この記事でも、プロ市民の活動だ!という指摘に対して、冷静に、いやおまえ、その程度今のママ社会ではあたりまえ過ぎてその指摘は笑えるわ、程度の扱いをしています。

 

子育て関連は88記事あるようですから、どんどんさかのぼっていただければいろいろでてきますが、どちらかというと自民系がもともと持っている「家族感」をそのままには受け入れないという感じは容易にわかるわけで、どう読み取れば単純な政権支持発言のように解釈できるのでしょうか。

 

私は他の記事でも言及していますが、こういった問題は与党・野党、右・左に区分けして議論すべき問題ではありません。

われわれが受け入れるべきは、ただそこの事実としてこの問題があり、それに困っている人、これから困る人がいるという事実が重要なわけで、そこを他の問題とまぜるような人間がいることが一番の問題なんです。

 

先日の意図の政治的利用でも発言しましたが、この問題はたとえ自身の発言を正当化する目的であっても、他の問題とごちゃ混ぜにしてしまえば、政治的意図や別な思惑と勝手に織り交ぜられることとなり、問題の本質が失われてしまいます。

 

事実、次のマニュフェストで某正当は保育士の待遇改善を保証し始めましたが、それに対して予算問題がぶつけられ、いつの間にか子育て支援の話題から本質がそれ始めました。

 

これは政治の問題であると同時に、切実なわれわれが抱える日常の問題なんです。

 

右や左、与党や野党という政治色ばかりで議論するとその本質が失われます。

 

批判する側も、支持する側もその点は冷静に見れなければ議論のスタートラインにすら立てませんよ?