読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

原因の議論と同時に、どうやって救うのかと言うことも考えなければならない

 

「いじめられる側にも原因がある」に対するはるかぜちゃんの指摘が相変わらず鋭かった件 - Togetterまとめ

僕の中で「いじめられる側にも原因がある」の話は単体でしてはいけない話だと思うんだよね。当然いじめる側が悪いとしていじめられる側をどう守るのか、逃げる事、さける事も選択の一つだという議論の話の一つだと。

2016/10/19 12:59

 

よんだ。

 

違和感はないし、その通りだと思う。

 

ただ、1点完全に個人的な意見でしかないのだけれど、いじめ問題でいじめられる側にも問題があるという話を出す場合、どちらかというと僕はその子を今の環境からどうやってまもるのか?という話の延長線上での議論ではないかと考えています。

 

いじめは大人も子供もつらいもので、どちらも同様に対応が難しい話題の一つです。

 

特に子供の場合、子供自身の精神的な未成熟さ、限られる選択肢など、大人よりもより厳しい状況に追い込まれやすく、また、その状況も非常に閉鎖的な環境で行われる為に発覚が遅れる事も少なくありません。

 

なお、大人のいじめを軽視するわけではありません。

ただ、大人のいじめについては、逃げるという選択肢をより具体的に提案できるのに対して、子供のいじめについては、逃げるという選択肢ですら限定的で、それ以前にその選択肢を提案できる大人がその事に気付けないといけないというより高いハードルがあるので、私はより難しいと考えています。

 

その為、例えば、インターネットで悩んでいる子がいたとして、いじめる側が悪い、というのは当然として、今その子をどうやって守るのか?という話も同時並行で進めなければならないと思うのです。

 

相手や周囲を変えることが最終目標であるものの、その子にとっては今この瞬間が、極端な事をいえば、チャットやメールでやり取りしているこの瞬間のリアクションで1時間後の結果が変わっているかも知れない。

 

そういう事もゼロではないだろうし、ネット社会ではそういう結果もありうると思うのです。

 

そういった子供に対して「いじめる側が間違ってる」とだけ言い続けることは僕は片手落ちで、それと同時に「どうすれば救われるのか?」という事も伝え、一緒に考えるという事も凄く大事で、その意味で「いじめられる側にも」云々の話のくだりが元々存在していたのだと思うのです。

 

いつの間にか、いじめられる側にも問題があるという言葉の意味が、隙を見せてはダメ、という言葉の意味に限定されているのは、何となくネットの悪しき文化かな、と思います。

 

「いじめる側にも原因がある」という事については、元発言のとおり、原因はいじめる側が勝手に見つけるもので、それを変えても解決などしないというのはそのとおりなのですが、それをテレビで訴えるだけではいじめられている子供は救われないのではないかと思います。

 

いじめられている子供を親、正しく言えば、自分の子供がいじめられているという事に気付けていない親に対して、子供は普通の生活の中で、当たり前のようにいじめという環境に突然巻き込まれ、逃げ場もなく追い込まれている事があり、それはごくごくあたり前で、誰にでも起きる事だという話を伝える事が重要で、そして、その問題について親や周囲の人間が何ができるのか、当然教育委員会であったり学校という組織が動く事も大事なのですが、過去の事例からいっても、学校の行動は遅く、それ以上に教育委員会の行動は遅く、報道されるような事例ではだれも救われていないというのがよりリアルな現実だと思うのです。

 

そういう現状を、子を持つ親、いじめられているとは思っていないような普通の家庭の普通の親に気づいてもらうこと、そして、当然いじめはいじめる側が悪いのだけれども、子供社会に対して親ができる事には限界があり、救うという意味では「逃げる」という選択は凄く大事で、その事を親も理解しなければならないという話しの一端だと思うのです。

 

もっとも、こういう都合のいい理解をしているのは私だけであって、ネット上の多くの話では、ただ責任論だけが一人歩きしているのかもしれません。

あと、台本の話も中身がわからないのでなんともいえませんが、同様に責任論だけが記載されていたのかもしれません。

 

それはそれで当然否定すべきことですが、情報を強く発信できる立場であれば、是非、生きる為の選択であったり、今いる世界はいくつもある世界の一つでしかない事を伝える事であったり、あと、とにかく子供の親にはいじめは当たり前の事で、普通の子供だからこそ追い込まれるという事を理解してもらう事、このことをどうやって伝えるのか、広めるのかという事を意識してもらえないかなぁ、と思わずにはいられません。