何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

○○に殺された奴だけが叩く権利があるという意見

 

「たばこ1箱1000円に」=自民議連 (時事通信) - Yahoo!ニュース

タバコについては日本のポルノ問題と双璧を成す対応遅れが海外と比較してあるのは事実だしなぁ。喫煙禁止地域での罰金についてもそうだけど日本は現実問題としてタバコには甘い。パッケージ含めレベルを合わせるべき

2016/10/26 10:01
違法薬物のゲートウェイ理論が納得できない

方向性として大麻も取り締まるのだから酒やタバコも取り締まるべきは個人的に同意できるけどね。おそらく大麻による死亡者より圧倒的に酒やタバコによる死亡者は直接・間接含め多いわけで。カフェインも要注意だし。

2016/10/26 10:08
【大麻】高樹沙耶さん逮捕について言いたいことがある - さよならいいこ

酒はなぜ規制されないんだ、には同意するが、大麻を医療に限定する以外で合法化すべきには短期的精神への影響が有る限り僕は賛同しかねます。お酒も同様で現状のままというのは無法すぎにも思えるぐらいですからね。

2016/10/26 16:30

 

よんだ。

 

最近、大麻やタバコなどの話題で地味に盛り上がっているところもありますが、コメントの中で気になるものについて少し・・・。

 

こういった話ですと偶に「○○に殺された奴だけが叩く権利がある」のようなコメントがあります。

 

ものによってはその意見は正しいのですが、何でも同様の基準となるわけではありません。

 

なぜその基準が何にでも適用できないのでしょうか。

 

例えば、タバコの場合。

確かに、タバコによる被害で自分が直接被害を受けた、または近親者が被害により死亡に至ったなどのケースは限定的かもしれません。

一見すると「お前は利害に関係なく、ただ、好き嫌いで反応しているだけだろうが」と思われがちですが、そうではありません。

 

「影響を受けた」「受けない」という程度の話で議論に参加する権利がある、ない、という定義にするならば、例えば銃規制はどうでしょうか?

 

直接影響を受けるまで議論に参加し、少なくとも否定する事ができないとすれば、間接的な影響やもっといえば、そられによる可能性は全ての人が受け入れねばなりません。

 

公平な影響であれば双方受け入れるべきというのはある意味最もなのですが、例えば、Aさんにとっては適法でも、Bさんにとっては適法でない場合、完全に利害が一致せず、直接の被害の有無にかかわらず一方が自由に制限を受ける事となります。

 

同様に、仮にBさんの意見、つまり否定する意見によりそれらを制限したとすれば同様にAさんの自由に制限が生まれます。

 

つまり、そもそも何かしらの物事について利害が一致しない関係者が存在する場合、それらの直接的な意見のみで議論を行う事に合理的な意味はありません。

 

同様に直接的に被害を受けた人のみ、とした場合はどうでしょうか?

Bさんは直接的被害を受けたのでAさんが適法とする行為について制限を加えるべきと意見します。

一方Aさんは当然Bさんに影響を及ぼしたのは自分ではなく別な人間であり、自分は適切な管理・運用を行う為、Bさんに影響は及ばないと主張するでしょう。

 

この場合はどうすべきなのでしょうか?

直接的被害を受けた、という定義を、相手からとさらに限定すべきでしょうか?

それでは意味がありませんね。

原則として社会的制限の意味というのは、ある一定のコミュニティーをそれなりに円滑に運営する為に、予め必要とされる制限を作る事で、その枠組みの中で一定の自由を保障するという事です。

この自由というのは、制限を受け入れるからこそ保証されるものなのです。

 

考えてみて下さい。

 

なにも規制がない世の中の場合、貴方の自由を誰かの自由により制限される可能性もうまれます。

当然ですね、誰が何をする事も全て自由なのですから、枠組自体がなく、それぞれが自由に振る舞う事により、その自由が対立する場合は何れかまたは双方が制限を受けることになります。

 

社会的制限というのは、そういったものを予め制限する事で、その制限の中での自由を保障するもので、いじめではありません。

 

確かに、タバコだけ、大麻だけ、というといじめと勘違いする事もあるでしょう。

また、大麻でいえば、海外では云々という話にもなります。

 

実際問題、大麻に関わらず、様々な法律や制限は国により対応が異なります。

近年は国家間や地域間で歴史的な背景も含め検討し、比較的軟化させるものもあれば、タバコのように年々厳しくなるものもあります。

 

タバコの場合は、基本的に緩和される事が少ないのですが、理由としては単純に個人以外の利益がない為です。

ある人がタバコを吸う権利を得たとして、周囲の人間が一定の確率でタバコによる被害(煙害、火災、火傷など直接・間接問わず)を受ける可能性が高まります。

残念な事に、副流煙による健康被害は主流煙よりも影響を受ける割合が高く、閉鎖的な空間における改善策については抜本的な方法はありません。

特に、合併症を併発するケースについては深刻度が高く、これらの発症については、影響を及ぼす関係者(いずれかの場所で空間を共にする喫煙者。公共の場も含め。)がその影響を完全に排除できない限り、症状が緩和されず、影響下で生活を続けると命に関わる事もあります。

 

近年、マンションのベランダなどで安易にタバコを吸い、自分の部屋だけは綺麗にするという行為がありますが、あれらの影響は場合によっては、近隣生活者に多大な健康被害を及ぼす事もあります。

 

マンションの構造にもよりますが、24時間空調設備があるマンションでは特に影響について細心に注意を払う必要があり、例え室内であっても周囲への影響がでる可能性もありますが、実際にはそういったことに配慮している喫煙者は少なく、結果、周囲の人間が被害からどうやって逃げるか、という方法しか解決策がありません。

 

基本的には、個人が、個人の範囲で楽しむ事が可能で、周囲への影響が及ばない限りは何れのものも制限を及ぼすと言うことは適法であるかと問われれば、確かに制限する価値について疑問がある事は確かです。

 

但し、タバコのように、明らかに被害があり、少なくとも現状のような運用ではそれらの健康被害について完全に解決する事はできず、制限するという事について問題であると合理的に否定する事は難しいでしょう。

 

こういった事情もあり、世界的にタバコについては禁止や厳しい制限を課す動きが活発で、税金や販売方法などについて、日本はその管理について先進国の中では非常に遅れている国の一つです。

 

一方で、大麻のケースはどうでしょうか。

規制というのは、善し悪しはありますが、既に規制があるもの、これから規制が行われるもののいずれかのケースとなります。

既に規制があるものは、合理的理由の有無については議論の余地があるものの、歴史的な背景(例えば、仮に大麻の安全な利用方法があったとしても社会が受け入れる事に相応のコストが必要なるなど)がある限りは、規制の解除については解除を行うべき合理的な理由の説明が必要となります。

 

大麻の規制解除についての意見は大きく三つで、一つ目はそもそも規制する法律が中途半端であり不適切であるとする意見、二つ目は大麻についてはそもそもいわゆる麻薬とは異なり健康被害は(依存性を除き)ないとする意見、三つ目は大麻の効能について考えた場合有効に活用すべきだとする意見であると私は考えています。

これらの意見に重ねる形で海外での規制の状況について述べる事もあるようですが、それらはこれらの意見の何れかを軸にそれの補足にすぎないものと思われます。

 

一つ目の意見についてはそもそも(少なくとも単体での)議論には意味がないと考えています。

理由としては、法律の整合性という事になると、原則法律を無効にする方向ではなく、矛盾を解消する方向に整理されることが一般的なので、使用と所持という事の矛盾を深く議論した場合は、おそらく何れも禁止という事になるでしょう。

規制を解除するという目的であれば、あまりこの部分について主張するのは適切であるとは思いません。

 

二つ目についても中々難しい意見で、そもそも依存制というのは、カフェインもそうですが比較的深刻な問題であるという意見が増えています。

現時点で依存制という部分のみで規制されているわけではありませんが、少なくとも健康被害はない、という事は立証されていないというのが私の意見です。

一方で、大麻について問題があると思われる部分については、摂取後の行動に制限が必要という点です。

健康被害とは例えば精神的な疾患を及ぼし継続的にその影響が残る、といったものや、直接的に何かしらの基幹に損傷を及ぼすようなものといったものまであります。

大麻についてはこれらの著しい影響については、完全に立証されているわけではありません。

しかし、明確になっている事実としては、摂取後に精神に大きな影響を及ぼしその事について摂取者は完全にコントロールする事ができない、という点です。

わかりやすくいうと、酩酊状態といえばよいでしょうか。

お酒を飲んで運転をしてはいけない、なぜならば、お酒で自分は死にませんが、お酒の一時的な影響により判断能力が低下し、結果、事故などにより周囲に悪影響をおよぼすというものです。

この点については、既に海外でも明らかにされている事実ですので、否定する事は難しいでしょう。

 

三つ目ですが、これもよく見る意見です。

確かに大麻については、使用用途としてそういった方法もある事は事実です。

一方で、あくまでも私が知っている限りの話ですが、医療関係者の意見として、そもそも大麻に頼らなければならないと限定されている状況が多くあり、それにより大麻の使用を公に認める必必要性があるわけではない、といった意見が比較的聞こえてきます。

そもそも様々な治療方法ある中で、その方法の一つとして大麻の活用はあり、実際今でも活用されている部分はあるのですが、現状の枠組を壊さなければならないという現状であるという認識ではないようです。

当然、選択肢がなく、前述したような短期的な問題も含め社会が受け入れてでも規制を解除すべき、という意見が事実であれば議論の余地はあるのですが、そもそもがそこまでの意見となっていない、少なくとも代替治療が存在する状況ではこれらにより一般的に禁止を解除するに至るべきというのはなかなか難しいでしょう。

 

ここまで整理しますと、1点矛盾が生じます。

なぜお酒はよいのかと。

 

そうですね。

私は冒頭のコメントでも書いていますが、お酒については確かに例外になっているといっても良いでしょう。

大麻と同じように、短期的には精神に大きな影響を及ぼし、実際それにより事故や事件が起きているのが現実です。

さらには依存性もあり、どう考えても、大麻と差別化するほどのものとは思えません。

 

この部分については、歴史的な背景などを一切排除して考え、特に公平にという事であれば、私は大麻の規制を解除するのではなく、お酒も、より厳しい規制(または同様に禁止)にすべきであるという意見です。

危険性があるものが他にも合法とされているのだから、これも規制を解除すべき、という理論で社会の制約を設定してしまえば、明らかに良くない方向に進む(少なくともお酒におよる事故や事件は、事故の件数自体は公表値でいえば減少しているものの、事故全体に占める割合でいえば上昇しており、現状は悪化しているといえるでしょう)事が予想され、それを容認する事は個人的にはできません。

 

私はお酒も好きですが、どちらを取るのか、と問われれば、同様に規制してくださいという意見です。

 

ただ、歴史的な問題でいえば酒肴品については禁酒法についての歴史を世界的にみても、あらゆるものを規制するというのが適切な対応であるとは思いません。

 

難しいのは、何を規制するのか、というよりも、何を息抜きとするのか、という選択にならざる得ない(何でも規制解除とするのは前述のとおり危険すぎるので)のが実情で、その点については同情する(もしかすると、大麻ではなく、お酒が規制され、大麻が合法化されていた未来もなかったわけでない。世界的に見て限りなく低い可能性の一つですが)のですが、それを否定してしまうと社会が成立しないというのが現実ですから、社会の一員である以上、社会的制約は受け入れるしかありません。

 

だいぶ話はそれてしまったのですが、このように、あるもの毎について議論・意見するときには、様々な事情や背景があり、当然それが非常に複雑に絡み合っているのが現代の事情です。

 

そういった物事について「○○に殺された奴だけが叩く権利がある」というのは、一見すると合理的な意見のようですが、実際は多くのケースでは「冷静に物事を整理できていない」という事の表れに過ぎません。

 

少なくとも私はそう思います。

 

全てのケースで「○○に殺された奴だけが叩く権利がある」という意見が間違っているわけではありませんが、今回のように、社会的制約が関わるような問題については、その意見は適切ではありませんね。

 

 <追記>

3つ目のブックマークを追記しました。

意見は既存の記事のままですので、記事の編集はしていません。