スポーツで人生はかわらない - orangestarの雑記
うーん、この理論でいくとそもそも人生を変えるのは自分自身だけで、国語も算数も英語も場合によっては人生には何の役にも立たない害悪でしかない。僕は子供の可能性に子供に気づいて貰う意味でも運動も必要だと思う
2017/03/09 18:22
よんだ。
うーん。
某発言に関わる意見はそれぞれあるだろうし、どれも微妙な部分はあるという事はわかる。
だけど、その話から一気にスポーツで人生は変わらないよ、という結論のみが一人歩きすると、それはいかがなものかと。
そもそも人生を変えるものなんてのは、出会えない人の方が多い。
ハッキリ言えば、義務教育の期間中に「僕はあの出来事で人生が決まりました」なんてのは、テレビにでる人とか、一部の恵まれた人だけで、多くの場合、仮にそう思うことがあっても、その他大勢の一人でしかなかく、そこから生まれる結果ですらだれにも気づいてもらえない事でしかない。
が、それはそれかと。
例えば、学校で走る行為があったとして、それは自分に向かないという事に気づくのも一つ。
例えば、僕は、短距離はだめなんだけど、なぜか長距離は結構良い感じの結果がでた。
その結果として、例えば球技でも野球はだめなんだけど、サッカーやバスケットのような瞬発力だけでなく、持久力も必要で、地味に一人一人戦略や役割が明確なスポーツは何かしら器用にこなせる事もわかった。
おそらく学校の競技でそういったものに触れなければ生涯やらなかった可能性が高い。
そこから僕は、サッカーやバスケットの視聴もするようになったし、応援もしている、当然それは実際の競技だけでなくアニメや漫画の傾向にも影響は及ぼしている。
たかがそういった影響だけれども、それもまた一つの可能性だと思う。
人生にとってどの程度のインパクトかわからないけども、そういったゴミのような経験や体験が積もったものが僕であって、それがなかったら今の僕ではないかもしれない。
学校で体験するものの中に良くないものがあればそれはその行為について議論すべきで、それは個々の議論とすべきだと思う。
それを誇張して十把一絡げにするというのは、風潮として良くないし、その結果、もうスポーツなんて学校でやらない方がいい、なんて方向になれば、それこそスポーツは金持ち以外はできない事になる。
その次は吹奏楽であったり、マーチングのようなものもそうなるだろう。
その次はなんだろう。
英語?
要・不要や、一部の課題のみで全部を否定すれば、おおよそ全ての行為は何らかの欠点はあるわけで、全ての事は取りやめるべきとなるだろうね。
いいの?
それが本当に子供の将来の為になるのだろうか・・・僕はならないだろうと思うけどね。
まぁ、極論で描いているのはわかるけど、読み手がそれを理解できないってのは、書き手の力不足なのか、読み手の読解力不足なのか・・・
この読解力不足をもって、義務教育の国語の勉強も廃止すべき、と言われるのだろうか?