何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

定義を否定すると議論は成立しない

 

傑作かどうかを周りの評価で判断する愚かしさ - orangestarの雑記

いやこれはちょっと批判しすぎでしょ。傑作の定義に売り上げや絶対的な評価を含めている場合という話で、結局いっている根っこのところは同じだよ。この記事だって、別な人の定義では批判の対象なわけで。落ち着けよ

2017/04/27 05:52

 

よんだ。

 

まず、前提として作品の価値は結局のところ視聴者、読者など受け手一人ひとりが絶対的に持つものであって、自分以外の評価や、作品に対する市場を通した相対的な評価など意味はありませんし、私は興味もありません。

 

ただ、その意見を是とするためには、言い換えると自分以外の意見についても、例えば表現のまずさや、言葉の間違いについてはやり取りや意見の交換はあるものの、それをのぞくと、そういった異なる評価、感想についても基本は受け入れることが求められます。

 

私自身、これはなかなか難しいことで、実際に別な方の感想について、その部分は違うんじゃないのか?という意見もしたことがあるのですが、それも、意見の範囲としては作品の解釈自体ではなく、作品の意味であったり、それの持つ意味のような部分に限定しているつもりです。

もっとも、意見することの多くは、作品というよりは、作品論や監督や製作に関する認識の部分のほうがおおいですが。

 

さて、本題に戻すと、これは元記事も含め、双方の考え方の問題なので、周りの批評を気にしない、ということであれば双方の意見が是とされなければやはりいけません。

 

もっとも、そもそも元記事が id:orangestar 氏の作品に関するお話についての意見であった部分もあるので、その応酬になっている感もありますが、もしもその方向性であれば、価値観の持ち方や批評の仕方という部分での反論ではなく、あくまでも作品の感想についての解釈についての議論とすべきでしょう。

 

というのも、記事中でもご自身が触れているように、価値というのは結局その人本人が自分の尺度で決めるもので、他人の尺度や定義などまったくもって無意味ですし、聞き入れる余地はありません。

 

結局、「私はこうおもった」、ということが全てで、せいぜい反論すべきは「あの監督は」みたいな、お前は監督のことをそんなにしっとるんかい、みたいな、作品から受け手が勝手に定義した監督像のような批評を軸としている部分程度で、それ以外、極論いえば、作画崩壊のようなものであっても、私は別にそれはそれで言いと思うし、まぁ、話の腰が折れていなければいいんじゃないの?としか思いません。

 

結局、この両者の記事は、どちらも私はこういった定義で作品を評価しました。

私はあなたのこの評価については同意しません。という内容の応酬にすぎなくて、個人的にはどちらも同意、批判すべきものでもないのかなと。

どちらかを是とするなら、それこそ、作品の評価の基準に絶対的なものを持ち込むことになりますからね。

 

周囲の人間としてできることは、私はこっちの感想にどういだなぁ、程度の話で、作品の感想自体や感想の評価方法自体については踏み込むのは御法度であるとの認識です。

 

ただ、あえてこれを記事にしたのは、この記事では、作品の感想ではなく、作品の感想の定義方法に反論しており、それはつまり、あなたのものの考え方はまちがっている、だから私の感想と異なるんだ、という領域の一歩手前まできていると感じたからです。

 

当然、文中でもそういった事を直接は書いていませんが、ただ、文章全体から感じることは、結局、お前の定義は間違っている、といっているわけで、それって人それぞれの価値観や価値観に基づく定義を否定するってことだと思うんですよ。

 

なんとなく、それはこの記事がいわんとする事と完全に相反することになっていて、個人的には、この文章を読んで、この記事を賞賛するってのはなんか矛盾してないか?と思うわけです。

 

全般的には同意ですよ。

価値観に介入する余地などないわけで。

 

でも、だからこそ、誰かの価値観のありように否定をしてはならんのではないの?という矛盾がうまれるんですよ。

 

なかなか最近だと珍しいやり取りなんですが、個人的にはこういった流れは古きよきはてな(悪い意味でも、良い意味でも)なエントリーだなぁと思いつつ、ちょっと触れてみました。