何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

セクハラの構造が議論されていないと揶揄する人自身がセクハラの構造を理解していない残念さ

 

セクハラの構造問題が議論されるべきなのに、被害者同士の殴り合いで発散していく地獄|深津 貴之 (fladdict)|note

はいこれね、一番ダメな奴です。"大企業のセクハラ体質や、それを隠蔽する構造にメスが入るはず"もうね、違うんだよ、だから日本のこう言った運動はおわってるんだよ。大企業や大きな組織だけの問題じゃねーんだよ。

 

 

おわってるなぁ。

 

まず、セクハラ問題と大企業の組織問題は基本別物です。

当然、構造としての欠陥があり、それがセクハラ、パワハラへ大きく影響しているのは事実ですが、それは一つの要因に過ぎません。

 

そもそも、組織が大きい=セクハラが多発しているわけでもありません。

 

あえて言うならば、組織が大きい=インパクトが大きい、程度の話しで、むしろ数や被害の程度のような「どうしようもないも」ので比較するというならば、大企業のそれよりも中小企業で起きている問題の方がよほど社会問題となるでしょう。

 

ただ、そもそもそれらを比較する事自体に意味はありません。

なぜならば、何れも個別の事案であり、どちらも等しく裁かれるべきですから。

 

私たちがセクハラ問題を議論するときに、組織の欠陥を議論するのは、あくまでもその一要因としてのみの議論です。

 

大組織の闇を暴く事にメディアや一部のブロガーは熱を帯びるかもしれませんが、それは本質ではありません。

 

当然、はぁちゅう氏個人としては、個としての岸氏、そして組織としての電通に対して嫌悪感や怒りがあり、それを問題として捉える事は自由ですが、それはセクハラ全般の議論ではなく、あくまでも個人の議論に過ぎません。

にも関わらず、いつの間にか、はぁちゅう氏の告発=セクハラ問題の本丸のような神輿を担ぎ、その神輿の為にはいかなる犠牲も問わないというのは、あまりにも横暴すぎるでしょう。

 

少なくともはぁちゅう氏の告発について意見している人は少数です。

何を読み間違えているのかわかりませんが、告発すべきでなかった、等という意見はわたしは見かけていませんよ?

ただ、それとは別に、告発者自身が加害者であったという事実が存在しており、それはそれで問題として提起されているに過ぎないだけで、告発をとがめる事など行われていません。

 

そもそも、根本の部分は、誰しもが持つ「私の発言・行動は問題ない」という安易な考えと、それを生みだす素地で、それは根っこの部分では、学生時代の虐めであったり、大人になっても職場、ママ友、地域などでのコミュニティ内でのハラスメント、場合によっては家庭内でのハラスメントなど、あらゆるところで日常的に起きている問題です。

 

それが生みだされる人間の思考ロジックそのものが、実は今回の「童貞」発言やその擁護意見であると私は思います。

 

「童貞」という言葉の捉え方は人によります。

それについて悩んでいる人もいるでしょう。

なぜ自分は童貞なのだろうか、童貞である自分は何か人より劣るのではないか、自分に欠陥があるのではないか、など、その事を悩む人にとってはその事を弄られる事自体が辛いでしょうね。

 

「童貞」なんて風俗に行けばいいんだよ!という意見を田端氏は述べました。この意見にはぁちゅう氏が同意するのかどうかはわかりませんが、私はそれは違うと思います。

風俗に行けば自分は童貞ではなくなって、そういったストレスから解消されるというなら、恐らくは童貞という状況に悩む事はないでしょう。

そういった短絡的な行動、結果としての脱童貞では精神的に解放されないという事が問題で、その結果として悩む人は一定数おり、男性では余りいませんが、女性の場合では「処女である事でいじめられる」というたったそれだけの理由で行きずりの相手と関係を持ってしまい、その後その行為に対するストレスで新たに悩みを抱える女性もいるんですよ。

 

男性に向けて発している言葉だから女性は問題ないだろ?と考えるかもしれません。

しかし、実はそういった勝手な解釈がそれぞれの個人の中の価値観として深いところで根付き、その結果が、岸氏がはぁちゅう氏に行った行為につながったと私は思います。

 

最初からセクハラを行う人間もいるでしょうが、おそらくは多くの人は、環境や境遇により、その行為が問題であるという事の正しい理解ができない状態に陥った結果に起こしているものと考えます。

 

つまりは、実はセクハラ問題の根幹とは、はぁちゅう氏が「私はそうは思っていない」という自分の考えを中心に受け手の気持ちを考えない行動そのものがセクハラ問題については原因の大部分ではないかと私は思うのです。

 

 

ことさら日本では、問題が起きるとそこに巨悪があり、その巨悪と戦う正義の味方のような構図を作りがちですが、そんなものはこのセクハラ問題の本質ではありません。

 

はぁちゅう氏が行った特定の属性に対する弄りというのは、所謂小学校などで「友達同士で行われるからかい」に近いものがあります。

本人達は友達同士のじゃれ合いとして楽しんでいるものの、その結果として学級、グループ内に自ずとネタを振る側、ネタにされる側の構図ができ、あるタイミングでそれが虐めとして定着します。

「からかっているつもりはない」それは本音かもしれません。ですが、受け手が自分の弱い部分を弄られ、それを目にしたときにどう思うでしょうか。

 

もしも貴方が「虐め」や「ハラスメント」が、恨みや怒りで生まれていると思うのであればそれは大きな誤りです。

 

大抵の場合、いじめる側、ハラスメントを行う側も最初は些細な行動や切っ掛けにより起こしているものです。

それが、組織やグループで自制されることなく、特に面白がってしまうことで、それ自体が問題であるという認識がなくなり、周りも盛り上がっている、楽しんでいる、相手にも利があるという誤認が強くなり、結果として「加害者」としての認識がないまま、行為はエスカレートします。

 

海外の「#meeto」についても、アレは個人が個人に対して訴えをしているものです。

当然、その背景にあるものも批判されていますが、それは要因の分析や改善としてのものであり、本質ではありません。

 

大企業の巨悪と戦うときに、粗末な問題でかき回すな、などというのは、完全に自分達の利己主義による妄想であり、それこそセクハラ・パワハラの本質が理解できていない証拠です。

 

はぁちゅう氏の行動は、あくまでもはぁちゅう氏が受けた被害について基本は個人間での争いがベースとなります。

その後、その土壌としての電通であったり、メディア業界であったりの問題(もっと踏み込むと「慣習」とも言えますが)も合わせて議論する事もあるでしょうが、前述のとおり、セクハラ・パワハラ電通が改善するだけでは意味はなく、それ自体はただ一つの事件の解決にしかなりません。

 

事実として、電通が残業問題で告発されたところで、世の中には腐るほど残業、過労を負っている人はおり、その人に焦点があたる事などありません。

 

私たちは「トランプ現象」という、まさに理解し辛い光景を目にしました。

 

あれは、そういった大きな所だけに焦点があたり、メディアやそれを取り巻く人間の安っぽいヒロイズムで市民の生活には何も寄与しない出来事ばかりが蔓延したことへの苛立ちの高まりから生まれたモノだと私は思います。

 

セクハラ問題も同様です。

はぁちゅう氏が受けた被害について議論され、適切な対応が行われる事は大切です。

ですが、その為に他の被害はどうでもいいなどと言うことはあってはなりませんし、それを言ってしまうのは完全に虐めやハラスメントが生まれる構図、所謂日本の上が「良いからオレが言っているとおりにやればいいんだよ!」というダメな構図の再構築でしかありません。

 

ネットとは都合のよい道具ではありません。

ネットメディアに関わる方に勘違いして欲しくないのですが、ネットの利点は、個と個が、つながり、いままで存在しなかった価値観を生みだす事にあると私は思います。

 

いままでテレビがただ一方的に発信していたもの、旧来のニュースがただメディアが調べた、メディアにとっての事実を発信していたものに対して、ネットというものは「我々に興味のあるものを、我々が選別し、そして我々が議論できる場」でもあります。

 

今までも、そしてこれからもそれは変わらず、それは都合の良いときはネットの良さ、つまりバズるような行動を期待し、あるときは旧来のメディアのような「都合の良い秩序」を求めるのであれば、そういった方は、新聞や雑誌のような旧来のメディアで活動すべきでしょう。

 

ネットとは、敵でも味方でもありません。

ただそこには、それぞれの個人がおり、貴方が発信したもの、貴方の意見、貴方の考えに、その都度リアクションを取ってくれる個人がいるだけです。

あるときは味方であり、あるときは敵であるかもしれません。

言葉の壁もあるかもしれませんし、認識のズレや小さなボタンの掛け違いにより対立してしまうこともあるでしょう。

 

でも、その小さな集まりがネットであり、その集まりを揺り動かしているのがネットメディアであるわけです。

 

極論言えば、良い、悪いですら一つの答えにはなりません。

 

ある人にとっては良い事もあれば、違う側面から見れば悪い事もあります。

 

その全てを飲み干して、意見が集約されるのがネットであるに過ぎません。

 

レインボーアイコン然り、日本は表面上の活動の「模倣」をする事が大好きです。

だから日本では本当の意味で大きな活動が育たないのです。

 

セクハラ・パワハラ問題は、ブームではありません。

 

それぞれ一つ一つの被害者がおり、それぞれが、それぞれの異なった形で問題を抱えているのです。

 

それから、業界の闇にメスを入れるためにそれ以外の闇に目を瞑れというのは私からすれば政府や権力者が行う横暴と何ら変わりません。

 

あなた方はそういった行動が正しいと本気で思っているでしょうか。

 

はぁちゅう氏の問題さえ、電通の体質、メディアの体質さえ是正されれば世の中は良くなるとでも考えているのでしょうか?

 

電通書類送検されれば、世の中からはブラック企業がなくなるとでも考えているのでしょうか?

 

私は、そういった思い上がり、つまりセクハラ問題を論じるなら私たちのこの問題が中心であるべきだ!という勝手な思い上がりに対して、ネットは「そうではない」という一つの意見を述べたものがこの逆風だったと思いますよ。

 

当然、その人達もはぁちゅう氏の告発自体は大半の人が否定はしていません。

むしろ、貴方たちが勝手に対立構造として問題視しているだけで、ネットは被害者としてのはぁちゅう氏と、加害者としてのはぁちゅう氏をそれぞれ見ています。

そこを冷静に切り分けができない人が、むしろはぁちゅう氏の周りに多すぎて、どんどん泥沼に追い込んでいるようにしか私には見えませんけどね。

 

本当に残念です。