何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

はてブ&コメント断ちをした結果

まぁ、特に意味はなかったのですが、ふと、自分は無意識に日常的に行っている習慣を意識的に断つことはできるのだろうか?という疑問がわきまして、何かで自分のそういった点を確認できないかと考えた結果、ほぼ毎日利用していたはてブとコメントの類をやめるという事になりました。

 

やめてみると特に得るものもなく、特段禁断症状も出ず、もともとは2月7日2月9日頃?から始めてきれいに1か月で結果について整理したいと考えていたのですが、辞めていること自体を忘れてしまい、つまり、はてブ&コメントをするという習慣自体がきれいに日常から消えてしまっていました。

 

なぜ戻ってきたかというと、非常に稀にあるブログへのコメントが今日書かれ、あぁ、ブログのコメントも放置しているものがあった(ちょうど1か月を開始した日にかかれたコメントを1か月後に返事をしようとして、完全に忘れていたという…)事を思い出し、その流れでそういえばはてブ&コメント断ちしていたのだったと思い出しました。

 

はてブやコメントを断ってみて思うのは、自分にとってはさほど重要性がなかったのだなという事です。

 

日常的に、凡そ毎日2~5件程度はブックマークやコメントをしていたわけで、そう考えるともっと依存しているのでは?と思っていたのですが、コメントをしたいという欲求自体もそれほど沸かず、この点はびっくりしました。

 

もっとも、はてな自体を見ることは続けていたので、他人のコメントは見ていました。

 

逆に、自分がコメントをしない事で一人ひとりのコメントをよく読むようになりましたし、また、コメントをすることが目的でなくなたことにより、記事の意味やコメントする人の傾向を確認するなど、今までとはちょっと違った流れで記事を読み、コメントを読み、人を読むという行動をするようになりました。

 

まぁ、今までも気になるものは、人のレベルまで確認したり、自分なりに整理したりとしていたわけですが、コメントの中心が自分でなくなる事で、記事と人の中心が曖昧になったわけで、その結果、記事に対する意見であったり、周囲の感想や、全体的な意見のあり方等をもう少し落ち着いてみるようになったのではないかと自分りに考えています。

 

こうやって考えると、実は、記事を冷静に読み、考えるという思考の流れにおいては、はてブというは実はマイナスなもので、そう考えると、はてな界隈で左派、右派という争いが起きる事や、記事について冷静な議論に至らない、本質的な議論が無視されるというのは、実ははてブという機能が原因なのではないかとも思い、なんとも皮肉なことだと感じました。

 

まぁ、コメントする事自体が好きなので、今後は今まで通りコメントすると思いますが。

 

あと、はてブを使わないことにより何かを得たのかというと、間違いなく何も得ていないわけで、結局人は、何かをやるという事を明示的に決めなければ何かが変わることはないという事のみは立証したのかなと思います。

つまり、自分を変えたいと考えるとき、今行っている行動、自分がマイナスであると考えている行動をやめる事よりも、目標とすることに対して有益であると考える行動を定めその行動を行うという事の方が有効で、その目的のために既存の行動の一部を変えるという流れでなければならないという事ですね。

 

基本的な話ではあるのですがね。

 

ただ、今回についてはそもそもそれほど強い思いや目的もなかったので、その点は影響しているとは思いますが。

 

うっかりすると、このままずっと忘れるところだったので、今日コメントしていただいた勃起機能改善薬についてのSPAMコメントを書いていただいた方にはその点のみ感謝したいですね。

 

当然コメントは消しましたが。

 

そんな感じです。

 

<追記>

2月9日からのようですね。