何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

翻訳時の改変ってのはかなりマズイ話しなんだけど

 

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これってさ、翻訳者以外に日本人が関わってないんだけど、翻訳者である藤原朝子氏が勝手に翻訳時に記事を改編したってことなのかね?だとすると相当これまずい話しなんだけど。翻訳は意訳までは許容しても改変はNG

 

 

うーん。

 

内容がどうであるかより、これが誰によってなされたのか、という点が気になる。

 

文末には元記事執筆者の名前と翻訳者の名前しかない。

つまり、この記事は、表向きは内容の責任は元記事執筆者にあるとなるわけだけど、ここで問題になるのは、原文と訳文でかなり内容に差異があるという点。

 

私も仕事の中で専門の翻訳家の方にお願いする事があるので、意訳してもらう部分がでてくるというのは現実的には発生し、それは読む人によっては原文との差異として認識される。

 

ただ、一般的に、意訳というのは、単純に訳すとその言語では適切な表現とならず意味が伝わらない、または間違った意味として伝わってしまうので、その点を補うために意図的に訳文では原文と異なる表現を用いるという事で、原則原文の意味を改編することはない。

 

例えば、慣用句のようなものであると特に地域により表現が異なるので、単純に訳すと全く伝わらないので、そういったものは同様の日本の慣用句に置き換えて、必要に応じて注釈を入れるような形となる。

 

ただ、今回の記事は、内容を追うと、どう考えても意訳ではなく、原文に存在しない文章が追加されていたり、また、原文の意図とは違う話に改編されている。

 

翻訳記事の場合、原則は元記事の執筆者に権利があるので、改編はしない。

ただ、事情があり編集が必要な場合、元記事の著者とは別に、日本語版編集者としての記者名を追記、そして翻訳者も含め列挙するのが「普通」であると思う。

 

もっとも、記事の権利が同じ会社に帰属しており、執筆者を表記しないという無責任な会社もあるので「普通」が何処まで通じるのか、というのはアレだが。

 

翻訳者が本業として翻訳をしている場合、基本的には「勝手に」文章の改編は行わないし、行った場合、それは編集済み文章であり翻訳記事ではなくなるので、その点もよく理解していると思う。

 

少なくとも仕事として翻訳を行われている方であれば。

 

なので、この話しで一番問題なのは、この文末の表記通りであれば、この翻訳者の方はかなりまずい事をしているわけで、仕事を失いかねない話しなんですが・・・。

 

そもそも翻訳者というのは、翻訳行為には責任をもつわけですが、翻訳された内容に対する責任は負わない、というか、そういった契約になっているはずです。普通は。

その為、前述のような、原文と大きくかけ離れた記事へ改編してしまうと、それは翻訳ではなく、編集にあたるので翻訳とは異なり編集部分については責任を負う必要が生じます。

 

そういった契約上のアレやコレやもマズイと思うんですよね。

翻訳業務として仕事を請け負っていたのであれば、ですが。

 

なんとも言えませんが、ちょっと内容よりも、そっちの方が気になってしまう・・・。

 

何れにせよ、これ、翻訳記事としてはあらゆる意味で相当マズイと思うんだけど。