何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

斜に構えた人、まともなひと

 

カメラを止めるな!・・・感想の前に | えいの映画ぶろぐ!

映画の好き嫌いってのは人によるので、肯定・否定なんてんは存在して当たりまえなんだけど、ただ、映画を肯定する人=まともなひと、という言葉で語るような人が映画を語るってのは本当に滑稽だと思うんだけどねぇ。

 

もう何べんも書きましたがブログってのは、個人の意見の掃きだめなんで、あることについてどんな意見を持とうとある意味自由だとは思うんですよね。

 

ただ、映画を批評する人、それも月に数本見ていて、それがライフスタイルの一部であり、そしてそれをメインにしたブログであるわけだけど、その執筆者がその映画を肯定する人は「まともなひと」と呼称し、そうでない人は「アンチ」で「斜に構えた人」と呼称するってのはなかなか滑稽なものだと思う。

 

そもそも、多くの映像作品は単一のテーマで完結しておらず、多くの場合、見る側に一つの疑問を投げかけることが多い。その事を通じて視聴者自身の答えを見つけるわけですが、そこには納得する人もいれば、そうでない人もいる。

場合によってはトリックであったり、シナリオであったり、それ以前の部分で違和を感じ、そこまで到達できない人もいる。

ただ、映画というのは、ある意味その体験自体が価値の一つでもあるので、極論言えば、ある映画を見て、結局なにも感じなかったとすればそれも一つの答えだし、自分と違う感想を持った、肯定的な意見であった人も、そうでなく否定的な意見となった人もすべてが正しいのだと思う。

 

ただ、テーマ自体が伝わらないとすればそれは議論の種になる事は多く、それ自体の議論はあってしかるべきだとは思う。それをすることで、その先のトリックについて理解でき、意見が良い意味でも悪い意味でも覆る(変わる)事もあるわけで、それは理解の一つの手段としてあるべきだとは思う。

 

結局、映画というのは、ある意味監督のエゴであるのは否めない。

あるテーマをナルシスト的な立ち位置で語り、もっと言えば投げつけるわけであって、それが合う・合わないという様々な結果になるなどというのは至極真っ当なことだと思う。

 

さらに言えば、見ずして否定的な意見を言うというのも実は止むを得ない事だと思う。

なぜなら見たいと思わせられなかったのであればそれが結局はその作品の限界ではあるわけで、そこを否定しても意味はない。

 

特に低予算作品というのは、何かしら尖ったものがないと成立しない。

予算があれば、話題性の高いキャスティングをし、広告である程度の認知度を広めることで、いわゆる理解できる人にそれなりの数リーチすることができる。そして、その中にはそのトリックやシナリオに非常にマッチした人も一定数いるわけで、結果としてそれはそれなりの結果を生むこともそれなりにある。

 

だが、低予算作品はそうならない。

 

だからこそ、低予算作品というのは、尖っており、万人に受け入れられないという事がある意味その切れ味の表れでもあるわけで、そこを「アンチ」「斜に構えた人」という、いわゆるネガティブな表現で呼称してしまうというのは、低予算作品の戦い方や、その中での作品の価値をいかに最大化するかというある意味作り手の努力も無視しているような気がする。

 

これは映画に限らない。

 

万人に受けるようにするには、極論言えば球体のようなものを目指すしかない。

それは表現を変えると、万人の満足はある一定数得られるものの、最高の満足感を得られているかと問うとそうでない可能性が高い。

当然、その反対はエッジを利かせる事になるが、その場合は当然ピースがハマらない人が多くなり、それはより切れ味を増せば増すほど反比例してハマらない人が一定数でてくる。

 

これはある意味作り手のテーマをだれに届けるのか、だれにマッチするのかという作品のテーマをより研ぎ澄ます努力をした結果であって、決して駄作というわけではない。

 

まぁ、世の中に駄作はあるので、全てがそうでもないが。

 

意見は様々だろうし、中には実際に者に構えた人もいるのかもしれない。

もっといえば、監督、演者、スタッフを本当に嫌いでアンチな人もいるかもしれない。

が、この関係者に向けてそこまでアンチな人が多いとは思えない。

 

つまり、単純にその映画にはまらない人がいただけの話で、それはアンチでも斜に構えた人でもなんでもない。

 

斜に構えるというのは、もっと万人が当然のように受け入れる事に対して、本質的な部分でないものを担ぎ上げてでも否定するような人であったり、映画であれば、よくわからない「こうあるべき」という持論に合致しないものを暗に否定するような人であったり、そういう人の事を差すんじゃないかと思うのだが。

 

ある低予算作品に理解を示さないだけで100歩譲って「アンチ」の類に無理やり突っ込むのはまぁギリギリ理解できるとしてもその程度で「斜に構えた人」等といわれるのはあまりにも暴論だと思うし、理解できる人を「まともなひと」などと意味の分からない形容をするのも全くもって理解できない。

 

映画ってそういうものではないと思うんだけどなぁ。

 

ある意味アンチな人よりも、この表現の方が作品の敵だと思うんだけどね。