何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

あれは完全に失敗

 

ウィキペディアが、実は「男の世界」だって知っていましたか(北村 紗衣) | 現代新書 | 講談社(1/4)

若干間違ってる。ドレスについてまとめるのか、それとも個人の情報としてまとめるのかの議論もズレてる。ルールとしてドレス文化・製品としての歴史ならそちらへ、個人の服飾としてであれば採用されないという話し。

 

正しい事としては、実際問題エディターが偏ってる点、もっと言えば、宗教や政治的紛争が持ち込まれており項目によってかなり偏っている点、そして文章自体や構成自体が男性中心である点は正しい。

 

が、件のドレスは、ルール上の問題が大きい。

 

例であるLinuxで言えば、あれは製品としての文化について列挙しており、文化的にも枝分かれしているという問題があるのでその事実を記載している。

 

件の話しは、ドレスというものは個人について表すものではあるが、ただ、ドレスを全て列挙するような話しではないし、特定のドレスの善し悪しはドレスの議論であって彼女のドレスについて、という記事を作る話ではないという議論であったとの認識。

 

実際、それはそうで、例えばある人の特定の事だけ切り出すというのは過去にも認めていなくて、例えば特定の作品に関する情報が肥大化した場合は、その出演者一覧やキャラクター一覧として枝分かれさせる事はあるものの、それ自体を単独の記事とする事は基本的に行っていない。

 

やるのであれば、本来は彼女の記事の中に書くのか、それともドレスの文化としてまとめるのかという議論にすべきであったが、その記事の書き方自体が女性軽視だとして紛争になったわけで、正直あれは歪んだ議論でしかない。

 

結局あれを認めるという事は、今後、誰かのファッションについて単独の記事を否定するような事もできないし、一つの物事がちりぢりになる恐れもある。

 

ある意味百科事典として崩壊する引き金になりかねないぐらい大きな話しを、性差別という議論にすり替えたのはかなりの問題だと僕は思うよ。

 

(追記)

ちなみにそもそも著名人の服飾については他にも記事がある事は議論(どちらの陣営も)されていて、その著名人と比較して彼女のドレスの扱いはそれだけの価値があるのか?それは万人にとって、という議論が主であって、ウィキペディア自体ではそういった項目は既に存在しています。

議論の中心は、なんでもかんでも別項を作るというのは方針として正しいのか?という事であって、男女云々でもないし、過去にもそういった文化を尊重していた事実もありますので。