何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

女性だけ、男性だけ

 

シュナムルさんのツイート: "凄いのは、河野さんは女性外相会合にノコノコ出席した自分が場違いだと全く気づいてなくて、誇らしげに自分のツイッターに集合写真を上げてるところ。国際舞台で自分の振る舞いがどういう意味を持つか、自分がどんな風に見られているか全く自覚できない人がこの国の外交を司ってるの、普通に怖すぎる。"

仮に事実であれば女性外相の愚かさが露呈するし逆に事実でなければ女性外相のプライドを傷つける行為に過ぎない。結局この手の発言は誰でもないそこにいた女性に「女性とはこうあるべき」という脅迫をしているだけ。

 

「女性の為の会議」の場に男性は不要なのか。

「男性の為の会議」の場に女性は不要なのか。

 

そもそも「女性の為」の議論を女性だけでする意味は実際ないし、同様に「男性の為の会議」を男性だけでする意味もない。

 

理由は単純で、そもそも社会では男性、女性が普通に混在する事が当たり前で、職業や一部の場ではたまたまどちらかの比率が高い事はあれど、それは結果に過ぎない。

 

なので、今「女性」または「男性」にとって問題となる事があれば、それは主役はその「女性」または「男性」であったとしても、議論は全ての人、極論言えばそういった性別でない人も含めて行うべきで、それが当たり前の事。

 

「WOMEN Foreign Ministers' Meeting」と書かれている場に男性がいることがおかしいなどというのは、主催者側の問題であって本気で女性だけで議論したいなら、普通に要請時に呼ばない選択をするだけの事。

 

逆に呼んでおいてタイトルを「WOMEN Foreign Ministers' Meeting」とし、その場に来た男性に対して「なんできてんの?」などというのは、少なくとも真っ当な感覚ではない。

 

であるならば、少なくとも「WOMEN Foreign Ministers' Meeting」というタイトルとしているが、実際には意訳すれば「女性外相を中心とした会議」または「女性外相の為の会議」となるわけで、「女性外相だけの会議」とするのはいかにも日本的な表現だなぁと思った。

 

もっとも、実際どっちの意味であるかはわからない(主催者に聞かないとニュアンスはわからんし、実際タイトルより招待があったのかの方が重要ですからね)けども、むしろこの場合は、一人だけ訪れた男性を否定せず受け入れた女性外相を褒めるべきであって、逆に来た男性外相を批判するというのも、まさに古き日本の考え方だなぁ、と思った。

 

昔は「こうあるべき」という一つの型があって、その型に当てはめて考えられない人はレールを外れた人、常識のない人として扱う事が当たり前のように行われていたし、それをおかしな事、差別的な行為、排外的な行為とは当時の人は考えていなかった。そういう時代だからね。

 

しかし今は違う。

本質的に意味のあることであれば、場が許すなら喜んで受け入れるし、前述のとおり、「女性外相が中心となった会議」に、仮に呼ばれていない男性外相が突然現れたとしても、それを上手に受け入れ、差別する事もなく議論に入れるという、そういった価値観が普通になってきているわけで、今の考え方でいえばその事を普通に行った女性外相こそが国際協調のあり方について、性別云々に固執せずに行う姿はまさにリーダーシップをとって行ったと賞賛すべき事に過ぎない。

 

結局、こういった物事と向き合った時に、人は本音であったり、自分の本質的な考え方・ココロにあるものの考え方のルールを露呈してしまうので、注意してほしいと思う。

 

個人的には、河野外相が仮に招待されていなかったとすれば、あれだけ上手に対応した女性外相はやっぱリーダーたる資質があると思うし、逆に男性外相も同様に呼んでいたのであれば、それもこれからの男性・女性などの性を超えた課題との向き合い方という、新しい会議の形を示したのだと思うので、結局は賞賛すべき事に過ぎないと思うんですけどね。

 

まぁ、海外でどう受け取るかはしらないけど、僕はそういったものの見方をしたいと思う人なんで。