何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

スタートラインからズレすぎ

 

キモオタや男が「性欲」についてフェミに語らないのは卑怯だ - サブカル 語る。

論点が謎すぎ。一応マジレスすると海外でその手の意見で「だからミニスカートは着るべきでない」なんて意見すると女性から袋だたきにあう。男性がどうであるかで女性のファッションや存在価値を論じる事は恥ずべき事

 

言いたいことはわかるが、それはもうスタートラインがズレすぎ。

 

そもそも女性のファッションがどうであるかは女性自身に選択肢があることで、その結果それを男性がどうみるかというのは女性には責任も関係も本来はない事。

 

なので、その個人の判断からすれば水着だろうが、下着だろうが、ミニスカートだろうがなんでも自由に選べばいいし、それについて「そんな格好をするから」なんて言うのもナンセンスではあるし、「そんな格好をするのは男性を喜ばせるためだ」というのも当然ナンセンスではある。

 

この議論の本質は「それが自身の意思に基づいて行われたのか?」というのがまず一つにはある。

本人が自らの意思でその選択をしたのであればそれは尊重されるべきだし、その事を他人がとやかく言うことは全くもって意味が無い。

 

もう一つは「それがその場に適していたのか?」という話し。

NHKは実態はともかく一応公共放送と銘打っているので、公共性という観点で適切であったのかという事。

昔は相撲とニュースを流していれば良かったが、既に時代はジャニーズがキャスターを務めるような時代になってきているわけで「時代」として捉える事に無理はないかという視点や、仮に「時代」としては適切な選択であっても「視聴者」の受け入れる限界、つまりそれを許容しない人は一定数いるのは止むを得ない(誰がキャスターでも否定は一定数はあるので)としても、それが度を超えているのは当然よくないわけで、その点でも妥当であったかという事。

 

この話しに対して「男性は所詮は女性をエロ目線でみるよね?」などとアホな意見を投げる事は正直この議論に参加していない女性も含めて全ての女性に対して「あなたの価値はエロで見られるか・見られないかですよ」といっているようなもの。

 

確かに「エロ目線」についても議論する必要があるケースは確かにあるが、大抵の場合、どれもこれも「本当にそうなのか?」という事が必要にはなる。

 

例えば、男性と女性の友情は成立しないと考える人もいれば、いやいや普通に成立するでしょ?という意見もある。

成立すると思う人からすれば、未婚・既婚にかかわらず男女が二人っきりでお酒を飲もうが、一晩過ごそうが、ただ友達と過ごしただけでしょ?という事にはなるが、そうでない人からすれば「いやいや男女が一晩過ごして何もないとかありえないでしょ」という人もそれはいるでしょう。

 

この話でも結局のところ、それぞれ見方・考え方が違うわけで、その見方の「どちらが正しいか」なんてのを議論する事もナンセンスだし、「男性は動物だからお酒なんてのんでいたらきっとスケベな衝動を抑えられないでしょ?」なんて一方的に言い放つのは、男性も対してもそうだけどそれ以前にその女性にもなかなか失礼な事を言っている。

 

相手がVTuberという人格だからそんな事を言い放ってもいいと考えているなら、それこそ誰が相手であれば自分の内なるエロをぶつけてもいいと思っているという選別をしているわけで、相当寒い行為だと思うよ。

 

エロい視線を持つか否かはいろいろあるでしょう。

 

例えば、NHKの筋肉体操。

あれも一部の人は性的な目線を持っているとは思いますよ。

ただ「そう思う人がいる」というだけで「あってはならない番組だよね」「あの格好は適切ではないよね」とは言わないよね?

 

結局はそういうことなんですよ。

 

 

実際問題そういった目線で見る人がいるよね?というのはそれはそうでしょうね、ただ全員が貴方のように全ての異性にエロ目だけで生きていると思うのは失礼な話しだし、そもそも男性の好みや性的興奮の対象なんてそれほど単純じゃないよ。

 

若い人がいい人もいれば、年上がいい人もいるし、スタイルによる差もあれば、しゃべり方であったりなんだりと千差万別。

 

そもそも2次元には反応しない人もいるし、自分では気づかない内なるなにかに突然目覚めてしまう人いるでしょう。

 

そんな「可能性」であったり自分の中にある「常識」で他人を推し量るような事をするから他人の「常識」に理解ができなかったり、自分の「常識」が実は自分が守っていると思っていた人を傷つけてしまったり、また、無闇に女性に「有るべき姿」を押しつける結果になっていくんですよ。

 

環境として女性が制限をうけない、自由に振る舞ってもなんら弊害のない環境をつくるべきだし、確かにその中で、性という問題は非常に根深い問題だが、そのコントロールは男性の目線の問題だったらそれは見る側の意識や抑制という話しに過ぎず、その対象に対して「だからテレビにでるべきではない」とか「でるならこんな格好をすべきではない」と短絡的に述べるべきではない。

 

タイトな服が好きな女性がいても、それはその人の個性であって、別に男性に色目を使うためだけではないでしょ?

それをエロ目で見る男性がいたとしてもそれはエロ目を使う男性の問題であって、その人のファッションを変えるべき話でもないし、その人が自分の個性を消さなければならない問題ではないでしょ?

 

今回はVTuberだから人格がないような議論になっているけど、その1点をまずは考えないとダメだし、それがVTuberだろうが、アイドルだろうが、演歌歌手だろうが、アナウンサーだろうが、その1点は揺らいではだめでしょ。

 

女性の議論(それ以外でもそうですが)をするときに、まず最初に考えるべきは女性の権利と何を守るべきかであって、影響を与えるものは考慮すべきであっても「だから」という理由で女性の権利が失われるような事や、女性の選択が制限されるような事があってはならないと私は思いますけどね。