「モトカレマニア」 MGTOWハラミ会に何か一言物申したいならせめて該当の2話くらい読んでからにしようよ - この夜が明けるまであと百万の祈り
そういう事でもないのではと。つまりそういった感情についてどう思うかという議論であって、別にこの物語全体についての是非を語っている訳はないのだと思うが。男性が保守的になるのは妥当なのか否かという話しかと
本文そのものの主な意見には特に異論はないです。
私も非現実的なお話としての一面もあれば、そもそも男性(女性)がそれぞれの立ち位置で保守的に振る舞う事は別に問題ないし、その先の業務の範囲のコミュニケーションはその範囲で適切に行えばいいと考えます。
ただ、整理する過程で全てを読むべきという点については違うかなと。
結局、現状の議論はこのお話が妥当なのかどうかなどという話しにはなっていなくて、単純に男性が女性と距離をとるという行為そのものについて、銘々が意見をだしているわけで、もはや元のお話についてほとんど興味を持たれていないという残念な事実があります。
極論言えば、元ネタのお話でとんでもない方向に話しがぶっ飛んでいたとしても、おおよそ大半の方は興味をもっていないし、議論としては「物語(状況)の正当性」ではなく「局面(状態)の正当性」のでそれはそんなものかなと思います。
Twitter等で一連の流れの話しを取り上げてさも問題あるかのように扱う事との違いとしては、例えばTwittrであればその会話全体で一つの事象を伝えているような場合は、その全体を読まなければそもそも話しが伝わりません。
一方でその一連の流れの中の一つの投稿の中で不適切な引用であったとして、その引用についての指摘や議論であれば全体を論じる意味はありません。あくまでも"引用"という行為についての方法や問題点を議論すべきであって、それ以外の議論を混ぜてしまえば論点がぼやけてしまいます。
このお話で言えば、例えば"我々は一般女性とは飲みません"という一コマや一つの言葉だけを取り上げて問題視すればそれは一つのストーリではないので「何をいっているの?」という事になるでしょう。
一方で、今回の話しは"我々は一般女性とは飲みません"という主張について、その理由を"ハラミ会だから"という事であると説明し、その"ハラミ会"とはという説明まで引用しています。
結局ここで議論となったのは、この"ハラミ会"というものの存在やその考え方であって、この"モトカレマニア"というお話や、その中のストーリー全体ではないと思われます。
ですので、そのストーリー全体を理解していないとしても"作品への批判をしているわけでない"という事であれば、別に問題はないと考えます。
仮に作品に対しての批評をされたい方は、当然ですが作品がストーリーを通して伝えたい事を理解するためにちゃんと読みましょうね、という事は妥当だと思います。