何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

そもそも天然以前に番組に価値がないと思うのだが・・・

 

南青山児相問題で痛恨のミス “天然モンスター”松嶋尚美はなぜやってしまったのか | 文春オンライン

何が言いたいのかわからん。少なくとも休みの日に見たワイドショーなんかに出てるコメンテーターはほぼ全員適用な発言だったし、番組の説明も適当だったし、偶々あれが視聴者に好まれなかっただけで皆適当な対応だが

 

基本私は地上派を見ないので、唯一見るのは食事時妻がテレビを見ている物を一緒に見る程度か、仕事が休みの平日に昼食後にだらだらしている時に着いているテレビを横目で見る程度でしかない。

 

その程度なので正しい評価とは言えない(もしかすると私が見ている時だけが異常にオレベルが低く、おかしいのかもしれない)が、ただ、少なくとも見た限りのワイドショーやニュース番組は大抵コメンテーターや識者、番組が準備したフリップや整理した内容も含め、かなり雑で、ただのグダグダな雑談をしている程度のものだった。

 

彼女の発言は確かに問題があるようにも思えるが、逆に言えば、そもそも彼女以外のコメントはそんなに価値のある議論がなされていたのか甚だ疑問ではある。

 

例えば、意見としては「賛成」するものも、「反対」するものも、これはどちらも間違いではない。

勘違いしてはいけない、意見としては「どちらも正しい」のだ。

 

ただ、何れにもそれぞれ理由があるわけだが、「反対」する意見というものは、その根幹部分が個人の価値観に偏り過ぎているという問題がある程度で、それ以上でもそれ以下でもない。

 

また、「認識違い」というものも影響しているのかもしれないが、仮にそうであればその問題点を明らかにする事や、なぜそういった意見となっているのか等もっと深掘りしなければただ、問題の対立を深くするだけであって、そんな番組に価値などないし、その状況を作りだしている出演者、ましてや識者などというものは看板をさげるべきだろう。

 

結局のところ、その番組やその出演者に限らず、社会的な意義や価値観を元にした番組や放送などほとんどなされていない。

 

おそらくは「どちらの意見の方が、視聴者受けがいいか」程度のものでしかなく、その解釈在りきで番組を作っているに過ぎないので双方の意見の隔たりについての公平な議論も、その根幹の部分についても整理せず、ただただ「問題だー」「けしからん」のような安っぽいコメントが飛び交うだけの番組となる。

 

もっとも、番組制作側からすれば、平日昼間の放送でもっと踏み込んだ内容を放送したところで誰もみねーよ、という意見もあるのかもしれないが、だとすれば平日昼間の視聴者は「内容も本質も理解できない程度の存在」としているわけで、よくそんな番組を見ていられるな・・・とは思う。

 

冷静にふり返っても、自分でその話題についてネットで10分前後情報を探った方が、余程問題について具体的な情報は得られるし、紙面毎の取り上げ方の違いや、媒体や発信主体者(団体、個人、企業等)による意見の違い、論点のずれなども見え、理解や問題の本質が見えてくる。

 

そういった事が「できない」人をターゲットにしているわけであって、おおよそ私のような人間はターゲットでないであろう事は理解できるものの、これって情報商材ビジネスとなんも変わらんよな・・・と思わずにはいられない。

 

無知な人間や、思考停止してしまっている人間をカモにしているわけで、実態はなんらかわらない。

 

確かに、問題を絞って伝えないと理解できない人はいるだろうという意見もわかるが、だとしても番組の作りは雑だと思うし、雑な論点を理解させたところで、結局のところ問題の本質は理解されないわけで、そこから生みだされる世論というものは結局歪んでいるわけで。

 

テレビの報道というものはどんどん価値がなくなっているわけだが、それでも見る人はまだまだ多く、人を誘導してしまう力は侮れないわけで、もう少しプライドを持って報道という仕事に就いて欲しいとは思う。

 

そう考えれば、そもそも出演者に「天然」という人を持ってくるべきだったのか、とか、その時に出演者は適切だったのか、という点から議論・反省できるのではないかと思う。

 

そもそも芸能人がいきなり社会的な問題の本質を理解して語れるほど、世の中は単純でもないし、そんな単純な話しだったらもっと政治も社会も良くなっているわけで。