何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

前竜王

 

羽生善治の肩書について|将棋ニュース|日本将棋連盟

勘違いしている人いるけど、羽生さんは以前は前竜王と名乗ってるよ。たぶんだけど、今度の無冠というのはそれだけご本人の中でもう一度奮起が必要であるとの意思表示であるとも受け取れるので、そこは理解してあげて

 

すごく勘違いしている人が多い。

羽生さんの性格的に選ばない、とか、そういうのは全然関係ない。

実際以前の無冠の時は前竜王を選択しているのよ。

 

で、その時と何が違うか、そこが大事だと思うし、それが伝えたいことではないのかなと。

 

あの時はいろいろな感想があるものの「あの羽生棋士が無冠か…」という大きなインパクトがありながらも、おそらく誰の中にも「限界」とか「若手の台頭」なんて話はなかった。

(いや、羽生さん自体が若手だったわけですからね)

 

ただ、前竜王というのは時期竜王戦終了までの間しか名乗れず、極論言えば、私はあの宣言は羽生さんの「私は取り返すよ」という暗黙の意思表示であったと思っています。

 

実際、そこから棋王竜王、名人、王位、王座、棋聖、そして最後に王将と次々に獲得した事実があります。

(順番はうろ覚えなのであれですが…)

 

今回の竜王戦、潮目が変わったのは間違いなく第三局であり、あの勝負を取り切れなかったという事がとても大きかった。

 

というのも、そもそも広瀬さんは今季圧倒的な強さがあり特に終盤の安定性で言えばずば抜けている。

 

その広瀬さん相手に七番勝負をやるという事は、極論言えば、一歩間違うと一気に取られる可能性すらある、おそらく一部のファンはそのことも少し考えていたと思う、それぐらい広瀬さんは強い、本当に強いのですよ。

実際、最終戦も途中互角から広瀬さんが押し始めたのち、羽生さんが戻したりとしたわけですが、先手有利という事を差し引いてもやはり広瀬さんが優位であったと思う。

それは、序盤の角換わりから攻めを見ても明らかで六局目の影響(羽生さんほどの棋士にそんなものはないと思うが…)を差し引いても、流れは「やはり広瀬さんか…」と思わずにはいられない状況が多々あった。

 

羽生マジックと呼ばれる一手、これは状況を打破するものを差すように思われがちだが実際は違う。

 

それは、そこに至るまでの手順が見ているものには理解できないまま、気が付くとその形に誘い込まれている、そして突然一手が降ってくる、その瞬間に状況が一変している事に気づく、つまり、劣勢などには一度もなっておらず、ただ単純に場が付いてきていないだけのことに過ぎない。

 

本局でもそういった状況のように思われた瞬間はあったが、あれは羽生マジックなどではない。

 

あれはただ只管に価値を模索するなかの一手であり、まさに拮抗する力の中での己の最善手をひねり出そうとした結果に過ぎないと思う。

 

このような状況というのは当然いままでもあったとは思うが、無冠に至るまでの流れも含め、朝日杯等の若手棋士との結果なども含めれば、今までの状況から何かズレがでていると感じても不思議ではないし、羽生さんほどの棋士であればこれは時代が変わってきていると何か気づくものであったと思う。

 

当然、羽生さんが仰られた「自分が強くなるしかない」という言葉が全てではあるが、ただ、それにしても若手の台頭はなかなかどうして勢いがある。

 

それは「前竜王」と名乗り、取り返すと安易に宣言ものではなく、むしろ「もう一度挑戦者として戦う」とリセットすることが必要なほどのものであったのではないかと思う。

 

もしかすると、そう思わせる次世代の台頭があったことは棋士として考えれば喜ばしい事であるかもしれないし、もしかすると時代が一つ終わってしまう事になるのかもしれない。

 

今はまだわからないが、ただ、この「前竜王」と名乗らないというのは、ただ「人柄」のような単純なものではないのではないかと私は思うし、むしろそうであってほしいと(勝手な)願望を持っている。

 

私はその結果をもしかなうのであれば、名人戦で出してもらえると嬉しいと個人的には考えている。

 

分かる人にはわかるだろうな、とは思うが。

 

もっとも、まだ挑戦権は決まっていないが、望むのはここから三局を全勝、つまり順位戦最終局で広瀬竜王を破り、順位戦1位で佐藤名人に再挑戦し、100期を獲得する、そういった物語があってもよいのではないかと思う。

 

それが「前竜王」ではなく「羽生九段」とした理由ではないかと勝手に思っている。