何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

夫婦である前に、親子である前に人間であることを忘れてはならない

 

夫婦喧嘩で家を出て行くのはルール違反。子供を置いて出て行くなどシュフには出来ないのだから。 - 主夫の日々

間違い。夫婦喧嘩の子供への影響は既に学術的にも立証されており、少なくとも子供の前での争いは利点はない。さらに言えば「子供のため」という脅迫観念による心労は夫婦関係の破綻や親子関係の破綻の原因でしかない

 

これは完全に間違っていると私は思う。

 

まず、喧嘩の理由には様々あり、一方的なものもあれば、双方のボタンの掛け違いのようなものもあるし、さらに言えば、夫婦が原因ではなく子供に起因するようなものもる。

 

様々な原因があり、当然その関係者である夫婦、つまりそれぞれの個人の性格や、その時の精神的な状態など、ありとあるらゆる事によりその展開や結末は異なってくる。

 

日本では古くから「逃げてはならない」ような風潮が強い。

「現実から逃げるな」「男らしく立ち向かえ」「女とは寄り添うもの」「子供は親の言うことを聞くもの」等など、様々な「一つの価値観」が存在しており、それに多くの人間が潰されてきた。

 

確かに人間が成長するなかで常にその難しい状況から逃げてしまうと言う事は、成長する機会を失うという事も事実ではある。

 

一方で、冒頭にも述べたように喧嘩とは必ずしも善と悪が存在するわけでもなければ、明確な正解、解決策が存在するわけでもない。

 

当然、明確な答えが出て、関係者が全員それに満足、納得できる結果が得られるならそれはとても素晴らしい事だと思う。

 

ただ、現実はそんなに単純ではない。

 

ある側面を切り取れば、日ごろの主婦/主夫の仕事への理解が足りない夫/妻の問題と捉えられるかもしれない、一方で、別な側面を捉えれば夫/妻の仕事の状況に無自覚である主婦/主夫に原因があると捉えられるかもしれない、いやいや実は子供が多感な時期で夫婦には何ら落ち度は無く、ただその影響により夫婦間にずれがでた事が原因かもしれない。

 

出て行かない事が正しい事もあるだろうが、出て行くという選択が間違っているという事はない。

 

反射、つまりその人がある事に対して対応する行動については、基本的に向き・不向きがある。

 

ある人は冷静に状況を分析し、全てを受け止めてから行動する事に向いているかもしれないし、ある人はそもそも精神的に不安定な状態では冷静に物事を考えられない事もあるかもしれない、逆にある人は自分が直ぐに逆上しやすい事を理解しているかもしれないし、ある人はそもそも何も言えずただ自分がぶつけられる側になってしまうかもしれない。

 

人は残念な事に、自分である以外に選択肢はない。

 

他人ができる事が自分に出来ないという事は当然であって、それを否定する必要はない。

 

大事な事は、結果としてどのような結末としたいのか、という事であって、手段や過程はそのもっとも大事な要素に対するただの付帯物に過ぎない。

 

相手と冷静に対話するために時間が必要ならば、例え相手が悲しむとしてもその手順を踏むべきでしょう。

逆にそこで自分に出来ないこと、つまり、冷静に対話ができない状態で相手と向かい合ったとしても結果的には相手を理解もできず、もしかすると追い詰めてしまうだけかもしれないわけです。

 

「いや、そこは冷静にやれよ」

 

という声もあるだろう。

だが、人間は万能ではない。

理想は追い求める事はよいが、人間はそれほど万能でも有能でもない。

できる事よりも、圧倒的にできない事の方がおおいのが現実で、言い換えればできない事とどう付き合うかというのがある意味、個人としても夫婦としても親子としてももっとも大事であるといっても過言ではない。

 

様々な状況、状態、関係性、原因あるだろう。

逃げる事、もしかすると相手から無責任と思われる事、周囲から理解されないこと、そういった事を選択しなければならない事もあるかもしれない。

 

その点については、自分でよくよく考えればいい。

他人から「こうすることが正しい事だ」と言われて何ら心に負担もなく受け入れられるならそれでもいい。

 

だが、貴方がもしもそこで何か違和感や負担を感じるならば、本当にその選択が正しいかは冷静に考えて欲しい。

 

貴方がどこかで無理をするという事は、何れ貴方の周りにいる人にその結果は大抵の場合不幸な形で、歪な形で返る事となる。

 

「子供のために・・・」「私が我慢さえすれば・・・」

 

こういった考え方は私は正しいとは思わない。

子供の為に自分に偽らなければならないときもあるかもしれない、だが、それは日常であってはならない、そんな日常は決して続かないし、子供はそういった感情や状況に無意識的に敏感でもあるので、決して隠す事などできない。

 

子供のため、と思うのであれば、どのような結果を目指すのか、何を考えるべきなのか、まずは冷静な判断をできる状況を作る事、それが例え逃げであっても、何かしらマイナスを含むものであっても。

 

その上で、繰り返しになるが、必ずしも喧嘩というものは「善と悪」ではないし「正解」が存在するわけでもない。

 

結局は双方の考え、状況、そういったものを理解するという事でしかないわけであって、その為に必要な事が「距離」や「時間」であるならば、それを相手に与える事も大事だし、そういった考え方を相手がする人間であるならば、その事を理解する事もまた私は大事だと思う。

 

「こうでなければならない」

「相手の為に」

 

こういった強迫観念で物事を決める事だけは辞めて欲しい。

単純に自分を追い詰めるだけだし、それは何れ相手も追い詰めることになるので。

 

私はそう思う。