何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

言い訳は別にしても良いが、中身は中々酷い内容

 

インスタ民が勝手に立ち入り話題になった「海に続く線路」、宣伝してしまい批判を浴びたデザイナーの言い分 - Togetter

まぁ、デザイナー()方面に多い。俺はこう思った、悪意はない、仕方ないっていう考え方。所謂デザインの敗北案件が生みだされる原因でもあるわけだけど、物事は必ず自分だけでなく様々な視点で評価が必要という事。

 

まぁ、事実としてそう思っていたのであれば、ご自身考えとしては嘘偽らざるものなのだと思うが、それは自分の解釈であって、それをもって正当性として主張するには流石に批判される土壌になるので、いろいろな意味でお勧めしません。

 

当然として、まったく関係の無いのに、突撃する人間も何を考えているのかいまいちわからないし、一方で、友達とおぼしき人間が、わざわざ油を注ぐような発言をぶつけてくる行為も、お前は友達を火だるまにしたいのか?としか思えないのではありますが。

 

それはさておき。

 

コメントのとおりですが、この手の考え方を私は結構デザインのやり取りで見かけるんですよ。

 

あるサイトのデザインを決める中で、誠に抽象的で芸術的なデザインを提案されちゃったりすることもあるわけです。

ただ、そういったサイトであればこちらのオーダーもそういった意図になるので良いのですが、明らかに機能的である事を目指している時に「あえてそこは明示的にしないのが美しい」とか「美しさとは」とか「全体の調和を考えると」というお前は「機能的である」というオーダーを何処に置き忘れてきたの?という話しや提案をされることがあります。

 

これは、例えば某コンビニのコーヒーマシンについてもそうですが、作る側であったり、デザインする側は、そのボタンやその機能がそこでどのような目的で配置されているか当然理解しているわけですが、それ以外の人からするとそのボタンが何であるか、機械であったりサイトにどのような機能があるかなど全てを理解しているわけではないのですが、その点の配慮が「美しさ」という自己の価値観との比較で負けた結果、「私はわかります」という自己中心的な評価で正当化された結果によって起きるわけです。

 

いた、確かに僕もわかるよ、それがどういった機能をもったボタンであって、そこにメニューが存在する事だったり、そのメッセージがリンクになっているなんてのは。

 

当然でしょ、僕がオーダーしているんだから・・・。

 

ただ、そういった議論に参加しない全ての利用者は大抵の場合ヘルプがあっても読まないし、読んでも全てを理解するわけでもないというのが現実で、そういった前提で、何を理解させ、何処は読み落としてもよいのかというメリハリが必要になるわけです。

 

こういった議論を結構デザイン界隈ではするのですが、本質的な価値の欠落を起こしている提案はなにげに少なくありません。

 

面白い事に、安価な提案、極論言えば、10万円でテンプレートをカスタマイズした程度のサイトデザイン一式納品します的なものよりも、それこそ100万、200万、500万とコストを投じてコンペするような案件の方がそういった事例とであう事が多いのが皮肉じみていますが。

 

使う側であったり、見る側のような、自分ではない人間の視点というものの存在や、その視点の先には当然自分ではない人がいるわけですから、その人は、自分とは異なる風景を見ているわけで、であれば、自ずとその風景から得る感想は、自分のものとは異なるという事に築いて欲しいのですが。

 

間違った事をしたという事は、謝れば消えるわけでもありませんし、実際やれることなんてのは限定されます。

 

ぶっちゃけ炎上したら、関係者に直接謝罪すること、よくわからないけど不特定多数に対して間違った事をした点や自分の反省すべき点、関係者には謝罪した点などを書いた反省文を提出する程度が必要な事で、関係者以外からのツッコミに返信するというのは、愚策ではなく、それは自己満足の為に行っている行為である事を理解すべきです。

 

というのも、そもそも迷惑をかけられた側からすれば、その件が注目される事など望んでいないでしょうし、間違った情報は正してもらうしかなく、広まった情報についてはそれ以上広まらないように支援して貰う程度の事しか望めないでしょうからね。

 

そういった状況で、持論を展開するというのは、本人としては当然の権利である一方で、それ以外の関係者からすれば「余計な事をするなよ・・・」としか思えないでしょうね。

 

そういった、ある事象が起きたとき、向かい合ったときに、自分の考え、視点を整理すると同時に、自分以外の考え、視点がどうなっているかも考える事。

こういった事は実はデザインであったり、機能設計においては凄く大事な事なんですよ。

 

デザインの敗北案件が出てくる背景には、美しさは他人に理解されなくてもわかってくれる人に届けば良いという芸術的な考え方が、工業的なデザインにも誤って進入してきてしまっている為に起きることです。

 

美しい事は良いことですが、それ以上に、機能的であることはもっと大事です。

 

炎上そのものについてはあまり意見はないですし、私自身が被害を被ったわけではありませんので「こういった失敗を自分もしないようにしよう」という程度のものですが、同様に、そういった事が起きる背景であったり、そこに至る思考であったりからは学びが多いと思いますね。