何気ない記録

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是非メルカリで

 

「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」斬新な罵倒に様々な反応が集まる - Togetter

働いている人間に対して、古来の価値観に倣い「家庭の中にいるべき人」という表現を用いて侮蔑する行為は世界中にあります。もっとも、日本では専業主婦という独特の価値観があるので成立し辛いのが味わい深いですが

 

いや、結局差別的であることにはかわらないのですが、なぜ日本では成立し辛いかというと、専業主婦という界隈が一つの市場であるためです。

 

海外ですと、男女がそれぞれ働くと言うことはそれほど違和感がない(当然、昔の日本のようにそうでない国もありますが)ので、そもそも家庭に入るという表現そのものが差別的であるわけです。

 

一方で、以前の日本や今の日本の一部でもまだまだ専業主婦という価値観が残っている為、その価値観を持つ界隈というものが一つの市場となっています。

特に、専業主婦がどう考えるか、という点については、そうでない人とはなかなか単純には理解できないという課題もあり、そうなるとそれこそ専業主婦自身のアイデアや考えが価値を持つ市場であるともいえます。

 

その為「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」という、いわゆるお前はその場にいる事がふさわしくない、という趣旨の発言に対して、実際に異なる市場でチャレンジしたら、案外それで成功しちゃう事例というのはあります。

 

所謂主婦/主夫起業家とかそういったものですね。

ただ、一般的な主婦/主婦起業家は、やはり専業主婦/主婦層向けのマネタイズに特化している事もあるので、規模を拡大すると死ぬ事が多いのも特徴です。

近年でも幾つか象徴的な起業家が破産したケースは報じられており、あくまでもその手法や考え方がその市場固有のものであるという事の認識は重要であると考えられます。

 

まぁ、何れにせよ、差別的な表現であることは揺るぎないわけですが、昨今ある「差別に対してユーモアで返す」という大人な対応をする場合、案外そういった事で意趣返しをするもの面白いかもしれません。

 

ちなみに「家庭にいるもの」とするのは差別的である一方で、それと同時に「家庭にいる人は価値がないのか」というジレンマも生まれるわけですが、これは性による役割の固定化と役割に対する価値の付け方の話しで、実際には別物です。

 

まぁ、意図的な表現ではあると思いますね。