何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

伝える努力をする事を怠るのはダメ

 

生理中の姉の血みどろの姿を見た弟氏の反応が将来有望→男性側からの意見が集まる「みんな隠すの上手すぎる」「殺人事件みたいだった」 - Togetter

これ理解を相手に求める事を前提にするのはもう令和なので辞めよう。生理の重さや辛さは個人差が大きい。全てなんでも同等に求めるのは個性の消失だし、重い人、軽い人それぞれ状況に応じた対応が必要。それが大事。

 

相手が言わずとも理解してくれるというのを前提にするのは、所謂古い世代の人が「言われなくても理解しろ」とか「空気を読め」とか「見て覚えろ」とか、そういった非合理的で非生産的なものに過ぎません。

 

そもそも私が知る限り、生理の辛さ、重さは女性同士でも安易に推測で動く、話すというのは難しいほど、個人差があります。

 

一般的に辛いと言われる生理ですが、辛くない人もいるわけで、実際産婦人科に行けばわかりますが、個人差はあれど動けない程辛いとか、出血が想定以上であるというのは、実は普通ではなく、ちゃんと産婦人科で診察を受ける必要があります。

 

実際私の妻がそうでしたし、診断を受け適切な知識と処方を受ける事である程度軽減されることもあります。

 

こういった事は、当事者でも全ての知識や理解ができるわけではないし、同性同士であっても個人差や知識差、行動力あらゆる面で差がでますから、自分が知っている事、理解を前提に相手を評価する事は適切ではありませんし、それが異性になれば尚更です。

 

冒頭に述べたように昔は「知らない奴が悪」のような体育会系のノリが許された時代でしたが、今はそんな時代ではありません。

 

私たちは同性であっても個人差があるし、性別だけが差の原因ではありません。

結局はお互いがお互いの事を理解できるようにちゃんと話し合って、その上で自分達二人の関係においてどうするか、どうすることが望ましいのか、そういった事をちゃんと話し合うことが大事です。

 

今、SNSのようなもので「私の夫はこんな事をやってくれて最高です」という記事を見ると、いつの間にか「わかってくれない私の夫は最低」という意味不明な評価であったり、逆に「あんなに出来る妻は良い妻」と評価する人がいると、「私の妻はなにもしてくれない鬼嫁です」という人もいます。

 

でも実際はそれぞれの環境、関係、条件は全てことなるわけで、さらにはそこに至るまでにどの程度努力したのか、個性のある二人が二人の将来のためにどれだけ話し合えたのか、そういった事が尽くされれば、本来は他人の結果によって自分達の結果を評価するなど無意味な事がよくわかるはずです。

 

ネットを参考にする事も良い事だし、異なる環境に置かれた人のリアクションを参考にすることも良い事です。

ですが、それを前提に全ての人が全て同じ事ができるとするのは傲慢だし、それは男性が女性に求める事も、女性が男性に求める事も、どちらも同じように傲慢な話しです。

 

男性には女性の事をよく理解できる人もいるし、実際は理解しているように見えて、ただの上っ面だけの人もいます。

逆に理解はないものの、それを理解しようと努力する人や、実際にその努力の結果見違えるように対応が改善する人もいます。

 

問題なのは二人で自分達にあった取り組み方をちゃんと見つけられるか、そういった共同作業をできるのか、その点に過ぎません。

 

当然、伝えられなくてもわかってよ、という話しはあるでしょうが、それはあくまでもそういった事を得意としている相手に対してのみ求めるべき事です。

 

会社や社会の中で「それぐらい感じ取ってやってよ」などといえば、大抵はパワハラモラハラの類いになるわけであって、そんな事を当然であるなとどいうのは家庭の中でも許されません。

 

唯一二人がそこに至るまで十分にコミュニケーションを図った結果、どの程度の事を伝えれば、そこから先は理解してくれるのか、そういった二人の関係を二人で築き上げる事ができた人だけが、そういった事を自然に行う事ができるわけであり、万人がそういった関係を築けるわけではありません。

 

結局、そこに至るにしても自分達の関係、個性にあった伝え方、つまりは伝える努力をする事が必要なのであって、その努力を怠るような人は、相手が変わっても恐らくは何かしら一方的な関係を求める結果となり、問題が尽きない関係になってしまうのだろうなと感じます。

 

こういった記事を見る都度、そういった努力を怠ってはいけないし、そういった努力を怠る事を平然と当然の事のように話すような人間にはならないように自分を顧みなければならないなと思います。