何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

本質的な議論に至らない事も原因では?

 

桜を見る会 内閣府が名簿提出も「功績者」ほぼ黒塗り | NHKニュース

なんか世論も論点ズレている気がするが。追及は必要だがそれは出席者側を貶める事であってはならんだろ。黒塗りが正しいとは思わんが、やるべきはそもそもこういった行為が妥当なのかどうかであるべきだと思うのだが

 

まぁ、本来黒塗りする意味はないという事は私も思うし、実際この手の不適切な対応を政府が続けている事は許されるべきでもないと思う。

 

が、冷静に考えて、今、名簿を仮にそのまま開示すれば、恐らくは本質的でない問題にばかり議論が至る事は想像に易い。

 

ブコメを見てもわかるように、論点が「誰が呼ばれたのか」になっているのだが、そもそも呼ばれた人は全員が不適切な参加だったわけでもないだろうと思われる。

結果としてマスコミも野党も国民も全員が「この人は呼んだことが妥当なのか」であったり、例えば「あの会は不適切な会であった。なのでその場にいた人も等しく反社である」のような、意味不明な理論で参加者側を十把一絡げ批判の的とすることになる。

 

それは違うでしょ。

 

いや、中には「ひとりひとり個別に判断するので問題はない」と考える人もいるだろうが、そんな冷静な人はブコメ上でもほぼ見受けられないが。

 

仮に不適切な方法や機会により参加した人がいたとしても、実際問題これは主催者側に圧倒的な不備がある話で、そもそもこういった事を平然と税金で行っている事や、そもそも管理ができない事に税金をつぎ込んでいる責任がとれていないという点が本来の問題なわけで、そこの議論が進まないからといって「では呼ばれた側を責めましょうか」というような思考に至るのは流石にどうかと思う。

 

こういった冷静さを欠く議論をする癖を正さなければこういった場合の情報開示は私が担当者であっても判断が難しくなるわけで、そこはちゃんと国民も冷静にならなければならない。

 

「功績者なんだから公表されても問題はないだろ?」

 

いや、貴方を含め多くの人は「功績者」であるかどうかを自分の尺度で測る事を目的としているただの野次馬根性でしかないですよね。

仮に功績者の名前であったと仮定するとそもそも公表の意味はないし、逆に功績者でなかったとすればただの人なわけですから、その人の名前を公表することに意味もないし、そしてその後その人がただ「参加した」という事実だけで延々と非難されることを是とする事になんら正当性なんてないよ。

 

それこそ「何か少しでも間違い、疑念が生じれば、人生を捨てて詫びろ!」と言い放つようなもので、私からすれば参加した側にそこまでの責任があるのか?としか思えない。

 

もし「参加した」程度の事でそれだけの責任を負わせるというなら、大抵の人の人生は終わらせるべきレベルにあるんじゃないのかと思うが。

 

何れにせよ、私はそもそもこういったケースで参加した側が責められるような事はあるべきではないと思うし、システムが悪かった、基準が正しくなかった、運用が間違っていたのであればそれは主催者側を正しく糾弾する以外に選択肢はないし、それ以外の手段や選択肢を容認するような事は、今回本来黒塗りとする根拠が存在しないにも関わらず情報開示を拒否した政府のような「正しくない事を平然と行う」という悪質な行為を自ら行う事であり、同じレベルの人間であると宣言するようなものだと思う。

 

私はそういった人間でありたいとは思わない。