何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

完璧にできるならそりゃやるでしょうね

 

岩田 健太郎先生の動画(コメント欄にリンク)を拝見して、まあ、「岩田先生らしいなぁ」と思いつつ、あまり気にしていなかったんですが、しっかり炎上しているようです。 岩田先生をご存じない方々には、ちょっと刺激が強すぎたのかもしれません。ただ、下船していく乗客の方々、現場で頑張っている方々を追い詰めかねない内容なので、事実は事実と認めつつも、動画のなかに登場する当事者として、勘違いされていること、抜けているところは修正させていただきたいと思います。 >1日で追い出されてしまいました。 事実です。正確には、

"「現場は頑張ってるのに正論ばかり言うな」ってお気持ち表明と、実態として感染症対策のセオリーが実施できていないことの白状"いや違うでしょ。ちゃんとやってるよ、レッド/グリーンもわかれてるよ、とかいてある

 

これね。

僕は、指摘があったことは別に良かったのでは(やり方は良くなかったと思うが)と思うが、それと同時に「現実は理論通りにはいかないだろうな」という考え方です。

 

当然、完璧に理想通りにできるなら100%、なんなら120%を目指すべきだし、さらにより万全にと常に改善と完璧を目指して欲しいのは当然ですが、その話しは「担当者で解決できる限界を理解した上で議論すべき話し」であるわけです。

 

私が以前やっていた仕事で言えば、GISと呼ばれるクソ高いシステムをまだスマホがない時代に触っていたわけですが、それで経路探索と行動計画をシミュレートする仕組みを作っていたわけです、イメージとしては、構内に火災のような災害が発生した場合に、どの拠点からどの機器をどのような経路で現場に移動させ、どのように行動すれば安全に対応できるか、みたいなものです。

 

で、当然ですが、安全管理において、批難経路を複数確保であったり、活動拠点として選定される場所は云々かんぬんと規定やルールはあるわけですが、当然様々なケースを例としてテストをすると全てを満たす事は難しいわけです。

 

例えば、構内で古い設備がある場所ですと、そもそも行き止まりのような箇所はあり、それがずっと奥まで続くような地形ですと消化設備や機材の配置上、どうしても一定の距離複数経路の確保ができない状況で拠点検討をする必要がでてきます。

 

当然「無理だから消化を諦めろ」という選択肢もあるわけですが、そんな選択はありませんし「いや、建物を破壊すれば複数経路ができるだろ?」などと言う人もいるかもしれませな、簡単に建物を破壊するなど許可がおりるわけもなく、現実解としては「安全を確保でき、且つ、退避可能な地点までは進む事を許容する」見たいな運用ルールが作られるわけです。

 

そんな簡単にいわれても当時の情報システムの処理レベルで莫大な情報をリアルタイム処理するなんてできませんでしたから、そうなるとシステムというよりもリスクがあるエリア毎の運用ルールを作るという方法で回避せざるを得ないわけです。

 

これはつまり「決められたレベルを確保できない」わけではあるわけですが、「解決すべき事象」と「それを解決しない結果に起きるリスク(物的、人的損失)」を客観的に評価し、特に人命が掛かる場合は発生するリスクを最小化した上で、可能な範囲で「努力」する事が必要になるわけです。

 

ここで「完璧でなければならない」とするならば、まずは建物の建て替えや、設備の再配置(工場の解体、移設による新たな経路の確保等)を目指す事になるわけですが、その期間中に災害のリスクがゼロになるわけでもありません。結局、その工事自体が一定のエリアを対象に行う関係から、工期中のリスクは下がらず、その点も含め、期間中の対応策という事を考え、実践する事になるわけです(というか、そもそも工事を行う場合、それがどのみち必要になりますからね)。

 

つまり、完璧を目指さないわけではないが、かと言って「完璧でないならやるな」という選択肢がとれるのか、とれないのかという判断が必要で、おそらく「船舶」という特殊な環境であれば、必ずしもエリアを分ける事が可能とは限らない事もあるのだとは思います(水回りを含め、船舶は設計上代案に限界があるので)。

 

且つ、世論は好き勝手いいますが、上陸をおいそれと許可すればそれこそ大変な事です。

 

となると、結局はどのラインは超えてはならないのか、そのモニタリングはどうするのか、等と最善の中で人命をどうやって救うべきなのか、という事を検討し、一つずつ実践するしかないわけです。

 

また、政府を批判するのは良いですが、記事にあるように「専門家はいなかった」などと軽々しく言うべきではありません。

 

専門家がいることと、専門家の知識が発揮できる事は別物です。

 

当然「発揮できない状況」は問題があるわけですが、仮に発揮できる裁量権を与えたとしても、環境がそれを許さないケースもあります。

 

我々が情報と接するときは、Aの意見はAの意見として客観的に見つめるし、Bの意見はBの意見として客観的に見つめる必要があります。

 

私は問題がなかったとは思いませんが、それは誰が入っても解決できない問題はあったのであろうとも思っています。

 

それを理解する事は、別に政府の不手際を肯定するというわけではありません。

 

所詮は政府などというのは、あれをやれ、これをやれというだけであって、あとは医療関係者や自衛隊、その他臨時のスタッフ等、そういった現場の方が必死になっているわけであって、政府を批判したいが為に、それにそう意見だけを盲目的に信じ、それをネタにするというのは私は流石に横暴過ぎると感じますね。

 

完璧では無かったことはそうであろうと思いますが、それであっても「完璧でないならやらない」という選択肢がなかったという点は少なくとも理解するべきですし、私たちひとりひとりだって「完璧で無ければ死ね」等と言われても困りますから。

 

非常時で、単純な比較はできないとしても、そういった考え方は大事ではないかと思うのですが。