何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

一番の失策は「3密」というキーワードを独り歩きさせた事

私が思うに、今回の対策で一番の愚策は「アベノマスク」ではなく「3密」を回避するというあくまでも一つの対策だけがあたかも守るべき唯一の事として吹聴したことだと思う。

 

「3密」は、あくまでも飛沫感染を回避する為であったり、接触感染の可能性を下げる為の一つの手段であって、「手洗いの徹底」と基本的には何ら変わらない。

 

にも拘わらず「3密」を回避すれば問題ない、というような誤認を広げた結果「密でないのになぜ問題なのか?」という基本的な問題すら理解できない人が本当に多く、感染経路は飛沫感染だけでなく、接触感染によるものもあり、その影響は飛沫感染と比較して決して少なくない。

 

具体的には、例えば新幹線は通常時よりも明らかに空いており、隣接する席にわざわざ家族や知人以外と座る必要もない程度の乗車率もあった。

乗車した人からすれば「これだけ少なければ【3密】ではないから、安心ですよね」となるわけだが、実際には3密である事は一つの要素に過ぎないので、結果的に感染者が手すりや公共設備を使い、そこを素手で触る等した手をそのまま使ってしまえば感染のリスクは飛沫感染と変わらない。

 

「3密」はわかりやすさとしては非常に有効であったが、そのデメリットとして他の対策が忘れ去られているように思える。

 

幾つかのシミュレーションで感染しない人も媒介者となってしまう事があり、それは感染者によって汚染されたものに触れるなどした人がそれを広げてしまう事で起きるわけで、これは本人の感染に限定されない。

 

当然、本人から発せられる飛沫と違い、媒介されるモノはウイルスの影響は時限的ではあるが、それは飛沫感染の可能性とさほど変わらない。

具体的には、感染者がマスクをせず、一定の距離で、非感染者に対してくしゃみをする等の行為で飛沫を飛ばし、その飛沫が非感染者の粘膜等からウイルスの侵入を許す、この確率と、感染者がくしゃみであったり、またはウイルスが含まれる分泌物に触れた手やモノで第三者が触れる可能性のある部分に接する可能性等、私からすれば確率上の差を論じる意味はないものだと思う。

 

「3密」というキーワードが一人歩きした結果「パチンコ店は3密ではない」とか、「距離を確保すれば問題ない」とか、中途半端な安全神話が生まれる。

 

そうではない。

別に「3密」だけを守るのではダメで、接触感染も回避する必要もあるわけなので「3密」か否かは可能性を下げるだけに過ぎない、だから基本的には自身が管理する以外のエリアに外出するという事は、感染リスクは常にあるという前提でいるべきで、その前提で外出してね、という話にすべきだった。

 

と考えれば、外だからみんなでバーベキューしても大丈夫、なわけはなく、それ完全に接触感染のリスクが最大ですし、距離を保っても長時間同じ空間を共有する移動手段等(例えば飛行機や新幹線、長距離バス等)は接触感染のリスクを常に回避する最大の努力を行う必要がある事はわかるし、パチンコ店がどんなに正面には台という壁しかないとか、同一方向しかみてないとか、間隔を開ければとか関係なく、台を複数の人間が共有する、玉を複数の人間で共有する、設備を複数の人間で共有するという行動が制限できない限りは「3密か否かに関わらず感染のリスクは常にそこにある」事に変わりはない。

 

私はそもそも東京や大阪等一部の地域だけをロックダウンレベルの規制をすれば、それ以外の地域は移動手段であったり、生活方式の違いによって著しい感染の広がりは起きないと考えていたので、当初から兎に角東京のような大都市圏だけをロックダウンし、それ以外の地域は注意のみで全く問題なかったと考えている。

 

それは「地方では精々バスや電車が最大の混雑であるものの、東京のような混雑はまれである」、そして「自動車やバイク(原付含む)のような個別の移動手段の利用が比較的見込まれる」という状況も大都市圏とは違い効果があり、その上で「家庭や職場、公共設備や商業施設など、管理・監督者が明示的に存在するところで徹底した安全措置を講じる事」を前提に特段の宣言も制限も不要だったと思う。

 

そのためには「3密」ではなく「飛沫と接触による感染は同じだけのリスクがあり、同一空間や設備を利用するだけで感染の恐れがある」事をもっとちゃんと理解させるべきだったと思う。

 

過剰な自粛や制限を行わない為にも「なぜ感染するのか?」「どうやって感染するのか?」「どのような状況を回避するのか?」という視点でちゃんと理解させ、基本的には管理・監督者不在の環境は感染リスクが最大である点や、密集しているか否かは土合の違いでしかなく、密集していない場合でも普通に感染するルートは多数存在しているので、そのための備えを十分してほしいというメッセ―ジこそ最大限に発信すべきだった。

 

自粛反対派の人も多数いるが、そういった人は「3密でなければ」ではなく、「3密に限らず、正しい対策や管理を徹底すれば大丈夫」であったり、「徹底するとはつまりどのような管理を行う事なのか」等、具体的な情報を広める事が必要なのだが、多くの意見は「3密じゃないじゃん!」であったり、「いつまでも自粛なんてできんよ」等の結果だけの話ばかりが繰り広げらている。

 

自粛派も自粛反対派も未来を見るのであれば、空想や絵空事ではなく、現実に何を、どうすべきかを論じるべきだし、そのためには「3密」という限定的なキーワードに踊らされないようにしてほしい。

 

「アベノマスク」は、目的として考えられたことは私は間違いではないと思うし、それはいろいろな団体や企業も同様の発想で、独自の再利用可能なマスクの販売や配布と共に使い捨てマスクの消費低減について言及しているとおり、目的は正しかったが手段と行動の結果がお粗末すぎただけの事だと思う。

 

だが、この「3密」というキーワードは完全に誤認する原因を作ってしまい、これが一番の愚策、失策であったと思うし、これがもっと違うモノであれば「無責任」と批判されてしまった人達にも誤解を与える事はもっとすくなかったのではと思えてならない。

 

当然どんなメッセージやリスクを提示しても従わない人は一定数いるが、恐らく今回のケースでいえば「誤認」により誤った行動や発言をした人も一定数いるのではないかと思うし、それは責められるべきではないと思う。

 

誰かが何処かで修正してくれればと思わずにはいられない。