何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

この記事に対して批判的な人は理数系の仕事には向かない

 

「検査で陽性だった人が実際に病気である確率は数%程度」とかいうやつ、何? - アジマティクス

残念だけど今の日本人に基礎的な数学的素養はほぼ皆無なのでこれだけ懇切丁寧に話しをしても理解もされないし政治的な話しは別にしてという注釈があってすらそれを無視して政治的主張で事実をねじ曲げるのが今の日本

 

ただのロジックを図解しただけの話しなのにこれほど批判がある事にびっくり。

というか、前提として特定の事象についての是非ではない事や、政治的な話題についての是非でも無いことを述べており、単純に「事実としてのあるロジックを図解した」だけの話しであって、これはただの解説に過ぎないわけだが、それでも人は特定の話題の自分が信じる事実について結びつけ、事実をねじ曲げる。

 

そもそも現場の議論で言えば、試薬の感度や精度、オペレーション方法、検体の状態等その他の要因も含め様々な影響で結果の妥当性に誤差は生まれる。そんな事は当然であってそれですら「集団の中の一要素」として受け入れる事が必要なわけで。

 

ただ、現実のそういった話しと、計算式やロジックというものは関係なく存在し、逆にそれを事実として理解できないと、そこから応用は出来ない。

 

数学に関わらず、プログラムであってもこれは同様で、我々がどんなに望む形や結果があっても関数や式というものはそれに寄り添ってはくれない。

我々が望む結果や期待する結果があるのであれば、その期待する結果が正しく導き出されるように我々が式を構築し、そこに不確定要素があるならば逸れすらも式に織り込む必要がある。

 

当然、期待する結果自体がそもそも正しいのかという検証も忘れてはならない。

期待する結果=正しい結果ではないわけで、道のりが正しい=結果が正しいわけでもない。

 

少なくとも理数系の仕事とは、事実を事実として受け入れる事は最低限の素養であって、それができないとそもそも成立しない。

 

結果として事実が期待するモノで無かったときは・・・仕方が無い。

ビジネスであればピボットするのかクロージングするのかを検討する必要があるし、プログラミングであれば仕様変更について検討が必要となるわけで、事実をねじ曲げて進む事などありえない。

 

結局この記事で言及しているのはただの数式でしかない。

これはある事がらの一つの検証手法についてその技法の基礎を提示してくれているものの、それをどのように使うのか、そこにどのような部分が補われるべきなのかは、この記事を読んだ1人1人が自分で導き出し、またそれを記事にすればよいだけの事だ。

 

数式が誤っているのであれば別だが、これは特定の事柄の特定の事象の妥当性を検証しているわけではなく、ただの一つの基礎的な計算に関する式の考え方を示しているに過ぎないと考えれば特段の違和感はない。

 

それを自己のお門違いな政治的な主張の正しさの為に批判するというのは、控えめに言って異常だと私は思うが。

 

なぜならば「私の意に添わぬ事実は全て虚偽である」と宣言しているようなもので、どこの絶対君主制なのかとすら突っ込みたくなるわけで。

 

特定の事象の特定の事実の検証結果を発表したいのであれば自身で式を組み立てて公表すれば良いだけの事で、他人がただの数式について事実を述べた事を批判するとは非常に情けない状態だと思うし、むしろ自身が望む結果があるのであればこういった情報がでてくる事について感謝し、ここからより複数の現実的なパラメータを自分で組み込んで情報を公開する切っ掛けとすればよいわけで、なぜそこに到らないのか不思議でならない。