何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

「美白とはそういう意味ではない」が通じる世界はおそらくない

 

BLM運動から1年がたった今も、アジアの美容業界にはまだ美白化粧品があふれている。白人の方が社会的地位が高いという信念に毒され続けている。

歴史的云々は基本的に無意味かと。そもそも昔は外国人が鬼と呼ばれても許される時もあったが、現代では外国人も当然国内に多数おられるだけでなくミックスの子供も普通にいる。白を求めるのが当然という価値観が古い

少なくとも現代では。

 

以前もこの話しは書いたが、日本人がどう思っているか、という話しではない。

基本的に差別という議論においては、そこに関わる被害、加害という視点でそういった原因を排除したり、または誤解を招かないようにする必要が生じる。

 

美白という表現も同様で、メーカーや消費者も当然の事ながら白人・黒人の論争に関わっているわけでもなければ、そういった意図も全くない事は当然の事だと思う。

 

が、問題なのは以前も書いたように、既に日本人の肌の色は?という問いに対して様々な正解が存在するという事であって、その何れも正解であるという事が問題の本質なんですよ。

 

黒人とのミックスの子供からすれば、美白という意味は全くわからないだろう。

そもそも白くするという発想がわからないし、下手をすれば透き通る肌という表現ですらわからないかもしれない。

それはごくごく自然な事で、自分が生まれた時からそうであるわけで、突然自分だけが「異なる価値観を持つ人間」として孤立する事はおそらくその他大勢にはわからないだろう。

 

虐めや差別と同じで、虐められている側や差別される側にしかこれは判らない。

それが理解できないのは貴方がおかしいからというのは、所謂虐める側、差別する側の言い分であって、冷静に考えてそれは普通ではない。

 

こういった意見がでると「日本人には当然の事」のように反論する人間がいるが、ミックスの子供だって「普通の日本人」であり、何も差はない。

 

そう、もう日本人の肌の色は様々な色があり、どれも正解で、肌色はこれ、というのはそれぞれの自分の中にしかない。

 

一部のスポーツで代表選出にミックスの方が選ばれていると「応援できない」という人がいたが、あれと基本は同じなのだと思う。

つまり「日本人とは」という勝手な固定概念があり、その結果「自分が理解する日本人以外は日本人ではない」としてしまうのだ。

 

もうそんな時代ではない。

どこかの団体が言うような純粋な日本人のような謎なものはないし、もともと日本人なんて歴史的にも様々な文化や人種が混ざっているものであって、結果的にその時、大多数がそういった「見栄え」であったから、それが普通だと思っているに過ぎない。

 

この歴史は白人対黒人の歴史と全く同じだ。

彼らにしても、そもそも白人しかいない土地にあるとき黒人がやってきた(連れてきた/場合によっては白人の側が黒人の土地に入植し)結果として、徐々に社会の中に白人と黒人というものが混ざり始めた。

最初は白人が多かっただろうが、労働力としての黒人という存在のあり方から、徐々に黒人の人口も増え、実際には混血も含め、白人という存在が優位ではなくなった。

結果として社会とは白人と黒人というものが存在している事が当然でどちらが正しいとかそういった話しではなく、その二つが存在するのが当然で普通の社会であるという事に過ぎない。

 

日本も同じだ。

今までは島国であった事や、国際化の遅れなどもあり、地域毎に一部特殊な事情(工場などの存在により外国人比率が高い等)を除けば、いわゆる外国人やミックスの存在というのは珍しいものだった。

 

が、それはどんどんかわるのが当然で確定している未来だ。

 

何れは肌の色をみても、日本人なのか外国人なのかなんて事はわからなくなる。

日本人の代表選手や著名人にミックスの人が半数ほど含まれるのも何れ訪れる確定している未来なわけで、その時「美白」という表現が社会として受け入れられるわけがない。

 

今、日本人は歴史的に云々といっている人は、ハッキリ言えば白人が抗弁しているそれと全く同じ事を言っている事に気づかないといけない。

 

正しさは歴史と共に代わる必要がある。

セクハラに対する社会の対応と同じで、一昔前に相手が泣き寝入りしてくれたからといって令和の今も泣き寝入りしてくれるわけではない。

肌の色による区別や、美白を理解できるのは日本人として当然の事、という一方的な正しさの定義はもう通じるものでもないし、今までもその表現に傷ついたミックスの人は多数いたわけで、少なくとも時代の移り変わりに合わせて私たちの常識もアップデートする必要がある。

 

私も美白や肌色の定義についてそういった意見を聞くまでは理解できていなかったが、一度その話しを聞けば、確かにそうだな、と言わざるを得ない。

 

正しい肌色なんてないし、白を求める事が正しいわけでもない。

 

当然個人として美白という行為を求める事自体が批難されるわけではない。

が、社会的に共通した当然の価値観としてそれを表明する事は、むしろ社会として否定しなければならないし、そういった事が許される時代では既に無い。

だからこそ、商品名や説明に於いて「美しさ=白」という定義を当然のように表明してはならないし、そういった事を当然のように受け入れる事に無頓着になってはいけない。

 

もしそれが嫌なのであれば、日本は世界中から避難されても、日本人の定義を作り、この定義に沿わないものは日本人ではないと宣言すべきだ。

 

その結果として、その日本人と呼ばれるものが世界中からどういった扱いをうけるかという事は言うまでも無いが。

そういった事もあるだろうし、そうでない事も同様に多数あるだけの話

 

家族全体から反対される結婚をした妹は、離婚後に「あの時みんなが反対していた理由がやっとわかった」と言った

その事例ではそうだっただろうし、そういった事例は他にもあるでしょうね。同様に反対されたが幸せに暮らしている人も沢山いるだろうし、逆に祝福されたが離婚した事例も多いでしょう。なお、日本の大多数は後者です

ですか、とだけ言う話で、それ以上でもそれ以下でもないかと。

 

冷静に考えれば、それはその事例がそうであっただけで、もっと言えば、その事例ですら、そうならない可能性もあったわけです。

家族には判っていた、というのは結果的にそれと同じ結末に至っただけの事で、それが事前に想定の結果であったかはさらに微妙な話です。

 

冷静に考えてみてください。

反対された、反対されなかった、何れの事例が多いか考えると、普通は反対されず祝福された事例が多いわけです。

つまり、離婚する理由などというのは、別に結婚時点でわかっている事実により決まるものではなく、結局はその後の二人の努力、場合によっては環境のような二人の努力にすらよらないものの影響すら受けて結果がでるわけです。

 

こういった話は、結果がでれば何とでも言える話で、一方で、親族のような近親者からすれば「言ったじゃないか」と言ってしまいがちです。

 

が、人生や世の中は大抵そんな単純な話ではないです。

様々な条件や事情が綿密に絡み合って、タイミングや感情のような一時的な条件も含め、本当に複雑で判断し辛い結果の連続に過ぎません。

 

そもそも普通の場合、結婚なんてのは個人同士の問題で周囲に反対されるという事自体があまり意味がありません。

資産家だったり相続が絡むような家庭であれば、その権利に対して敏感になる事も考える必要が多少あるでしょうが、その場合ですら、結局だれと結婚しても、前述のとおり至る結果は「わからない」というのが実情です。

 

精々周りができる事は、注意すべき事や、困ったときは直ぐに相談するようにむしろ壁を作らない事であったり、家族や近親者として温かく見守っていくことだけで、あとは信じる事や、定期的にコミュニケーションを図る事、そして何かあれば助けてあげる、それだけの事ではないかと。

 

ネットでは「私の周りでもありました!」みたいなものがこういった話では集まりがちで、そうすると「家族の反対があった場合は辞めるべき」みたいな空気を作ってしまう事がありますが、前述のとおり実際には家族の賛成・反対なんてもものは、凡そその後の夫婦の関係には「マイナスの影響」程度はあるとしても、微々たるものだと思います。

逆に「望まれて結婚した場合」に、毎週のように実家に通わされたり、その行為に夫・妻がつかれるようなケースの方が地獄で、望まれた結婚も、望まれない結婚も、結局そういった環境に対して夫婦でコミュニケーションを図って乗り越えられるかどうか、ただそれだけの事だと思います。

 

まぁ、そういった事も当然あるでしょうし、そうでない事も同様に多数ありますよね、というだけの事ですね。

 

 

そもそも国は診断キットの審査承認手続きを行っているわけですが・・・

 

市販検査キットで3回「陰性」、受診見送った30代男性死亡…死後に感染判明(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

未だにPCR検査が受けられないものであると発言する人はどこから情報を仕入れているのだろう。普通に相談したら普通に検査を受けられるし仮にそれが上手くいかない(症状的に)場合ですら民間で簡単に受けられるのだが

 

みんな雰囲気でコメントしているのでアレですが、コメントの中には国がそういった製品の流通を管理すべきだったとの意見があったり、承認制にすべきだったとの意見があったりと、幾つか国の責任を問うコメントが見られます。

 

が、そもそも国は医療用途の診断キットについては、審査を行っており、且つ、現時点で医療用の診断キットが市販される事について許可されてはいません。

先日から報道されているように、今後幾つかの条件付きで許可するとの方針になったわけで、審査手続きを行っていないわけでもなければ、流通に対して無責任であったわけでもありません。

 

且つ、この事はニュースを見ていたり新聞を見ていれば、以前から何度も記事になっており、昨年まだPCR検査の体制が不十分な時に民間検査の利用や一部で取扱いのあった市販の検査キットについては精度が十分ではないため、基本的には信用してはいけないと、都度話題に上がっていましたし、その際も医療用途の製品はでまわっておらず、あくまでも研究用途向けであり医療用途で利用される製品とは信頼性が異なり、それを罹患の判断に対する利用について国が認めているわけではないという話しは繰り返し報道されていました。

 

また、その後の流れで言えば、PCR検査自体はかなりのペースで一定の症状があれば受ける事が可能なまで状況は改善しており、検査数が圧倒的に多かった東京都ですら、私もそうでしたが普通に受ける事ができました。

その他、民間でも企業側からの利用に関する需要もあり、簡易キットではなく所定の設備により診断する方法も含め、極論言えば当日依頼も可能な程度に体制は改善していました。

 

結局記事の方もそうですし、それにコメントする方もそうですが、情報を掴むという事について明らかにコストを負担しないという姿勢が、こういった結果であったり、誤った情報に基づいた判断をしてしまうという結果を生み、場合によってはそれが深刻な影響を及ぼすという事になるわけです。

 

確かに国も都も私から見ても不十分な事が多いとは思いますが、その中でも情報は発信されており、そういった情報を生かすも殺すも情報を活用する側の態度や姿勢というものに大きく影響されます。

 

例えば、東京に限らず幾つかの大都市では自治体が臨時の検査場を設けている等、PCR検査や抗原検査について利用できる体制も構築されていました。

少なくとも東京で言えば数カ所に設置されており、予約や面倒な手続きも必要なく、現場に行くだけで基本的には検査を受ける事も可能でした。

 

結局、そういったサービスを国や都が準備しても、使う側のわれわれがそういったものを生かそうとしなければ、いくらコストをかけて設備やサービスを整備してもいかされる事はありません。

 

私も含め、多くの人は国のコロナ対応や都のコロナ対応に不平や不満を漏らしています。

私も都の対応については無責任であり、何でも国の責任にする小池氏のやり方には明らかに怒りを覚えています。

 

が、だからと言ってそこに準備されている情報や設備、サービスがなかった事や何も手段がなかったというデマを発信する事が許されるわけではありません。

 

相手が自分が望まない相手であれ、事実は事実として受け入れて、理解し、その上で足りない部分や納得できない部分は批判すればよいですが、その為には情報を受け取る姿勢であったり、情報を探す努力であったりは必要です。

 

そういった努力や行動を行って、初めて相手に対して足りない事を指摘する権利を得る事ができるのではないかと思いますが。

 

当然、国や都の情報の発信方法、わかりやすさ、そういった点にも落ち度はあります。

受け手のリテラシーや理解力次第で正しく受け取れないという事もありますから、そういった点への配慮、努力は続けられるべきです。

が、それは同様に受け手である我々の側も同じで、情報を理解する為の努力、情報を見つける為の努力、そういった行動、それらが必要なのではないかと思います。

 

起きた事は仮にどのような事情があれ不幸な事で、起きるべきでは無かった事だと思います。

 

が、だからと言って、その事実を見たときに我々がデマや虚偽の事実を吹聴するというのは、さらにそういった不幸な人を生みだすだけです。

我々がすべきことは、そういった間違った情報や誤った認識に対して、それは間違っているという事を指摘し、そういった誤解が広がらないようにする事だと私は思います。

 

コメントする時も少しでよいので検索をしてみましょう。

 

この手の情報は単語を並べるだけで、大抵は厚生労働省をはじめ必要な機関の情報が上位に来るようある程度コントロールされています。

また、現在では2次、3次となる配信が行われるケースでも、警告の表示や参照先に掲示などによりだいぶ情報に対して配慮が行われるように改善されてきています。

 

そういった事を少し心がけるだけで、だいぶ誤った情報を避ける事は可能ですから、新聞やニュースを読まないとしても、ちょっと検索してみようと数秒手を動かす、その努力や行動だけしてみてはどうかと思います。

 

誰が言ったかではなく、何を言っているのかでしか考えない。

 

アオイ模型 on Twitter: "フェミの人たち、今度はゆるキャンを燃やそうとしているのか……"

"オタクが"云々の意見を並べる人は根底に"オタクとは自分とは異なった別の何か"という差別が根底にある。普通の発想は逆。普通の人にオタクにカテゴライズされる趣味や感性があるだけで、それは普通の事に過ぎない。

私の観測範囲でもこんな事実はないかな。

私が知らない=嘘とは断定できないが、続報として何かでてこないのであれば嘘で、そういった行為は当然私は容認しない。

 

相手がオタクであれ、フェミニストであれ、そういったスタンスは当然同じ。

 

なぜそうなるかという根拠は至って単純。

どちらもそもそも普通の人で、その普通の人の何かしらの理由で付加された属性のひとつが"オタク"と呼称される事があるものなのか、それとも"フェミニスト"であったり"ミサンドリスト"と呼称されるものなのかの違いに過ぎず、結局何れも、ただの人に過ぎない。

 

であれば、評価の基準も評価の仕方も何も変わる事はなく、どちらかを優遇する事も、どちらかを冷遇する事もない。

 

仲間意識とか、同族とかそういったものを持たないのか?という指摘はあるのかもしれない。

自分の好きなものに対して否定的な人と肯定的な人を同列にする事が理解できない人もいるかもしれない。

 

が、私からすると、それ自体は自分の一部、つまり"アニメを見る"事というのは、読書をする事とも、プログラムを書く事とも、ご飯を食べる事とも違いはない。

時や状況が違えば、フェミニストの誰かがアニメが好きでオタクと呼ばれていたかもしれないし、逆に僕がフェミニストと呼ばれる可能性も当然ゼロではない。

 

単純に今そういった結果になっているだけで、その可能性、つまり今の自分とそうであったかもしれない自分の二つは結果的に異なるだけで、本質の部分、つまり自分というものとしては何も違いが無い。

 

であれば、そういった状況、影響に左右されて自分の軸がブレるという事はない。

 

どちらに優位とか不利とかそういった事で意見がブレる事もない。

正当性のない意見であれば、誰が発信したかではなく、それが正当性のある意見なのかどうかで判断するだけの事。

 

私はそういった考えでいるので、そもそも"オタクが"とか"オタクは"という表現で批判する人がただの差別主義者にしか見えていない。

 

例えばフェミニストとオタクという集団はそもそもイコールではない。

フェミニストとは活動を行う集団に対しての総称であって、フェミニスト的活動をする人間に対して"フェミニストは"というのは私は自分でも使うし、その場合でも可能な限り"ミサンドリスト"との違いは明確化するようにしている。

一方で、オタクというカテゴライズは広すぎるし、明らかに集団を指してはいない。

例えば、同じような侮蔑的な意図を持って使う人がいる"表現の自由戦士"というものがあるが、こちらは侮蔑的な意図がある事に対して私は発している人間をくそ野郎だとは思うが、オタクという集団を十把一絡げにしない分、まだ多少の理解がある。

批判したいのは特定の意図を持って行動している誰かなわけで、それ自体は、侮蔑的意図を投げつける行動を除けば、用法としての間違いはない。

 

だが「オタクは」という表現は明らかに異常だ。

おそらく放っている相手は「アニメを好んでみる人は」とか、「2次元趣向者は」という表現を使う事の問題を理解している。

それはつまり、何かしらの属性や趣向に対して差別的な意見を投じる事であり、そのまま属性差別をしているからだ。

つまり、わざわざ何かに付けて「オタクは」とか「オタクが」と枕詞を付ける人間というのは、単純に「自分は差別主義者と見られたくない、小心者な差別主義者です」と吹聴しているわけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

その問題は言うまでも無い、例えば「アニメを好んでみる人」の中にもフェミニストはいるし、同様に「アニメを好んでみる人」の中にもミサンドリストはいる。

この人達の行動は全く別だし、例えばアニメに対する評価や行動も異なってくる。つまり同一視する事はできない。

もっと言えば、オタクと表現される趣味はいくらでもある、というか、何かしらの趣味を突き詰めている人は多くの場合でオタクと総称される。

つまり「オタクは」という表現を使う人は、そういったそもそも価値観も考え方も全く違う集合を十把一絡げに批判、否定するわけであり、そもそもその基準や価値観を理解する事は私にはできない。

 

自分が差別主義であったり、誰かを侮蔑したいのであれば、せめてその対象は誰なのか冷静に考えて欲しい。

 

結局、私から見れば、そういった人が言う「オタク」の中にも馬鹿な行動を取る人間、発言する人間はいるし、同様にフェミニストミサンドリストの中にも馬鹿な行動や発言をする人間がいる。

 

結局、どちらの陣営もそういった愚かな人間が無駄な対立や対話を阻害しており、結果として双方の愚かな人間同士が、そういった一部の行動を全体の行動として、延々と罵り合うだけで、何も変わらない、というか何も変えようとしない。

何も変える努力、理解する努力をしない人間のくせに、まず一言目には侮蔑する事を目指すし、その侮蔑の言葉を浴びせる為に、必死にネタを探す。

 

日本が生きづらくなるのは単純にそういった、侮蔑する事を目標にしている、理由はわかりませんが、何か日常でストレスを抱え、それをネットで発散しようとする人間の行動の結果ではあると思う。

 

全く私には理解できませんがね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえずAniuta/アニュータを解約した

契約している人は判ると思うが、私も不具合直撃で、暫く運営サイドの対応を待っていましたが、ちょっと状況が改善しそうにないので解約しました。

 

個人的には在宅での仕事ですし、余り影響はない(他にも代替手段はある)ので、トラブル発生時から暫くは様子見をしており、先週時点で個別の対応がでた際、自分の事象を確認した上で、当てはまるものがない(又は、私の読解力では判断できない)為、その他の場合という事で、所定の窓口(Googleフォーム)からまずは連絡していました。

 

しかし、週を明けても特に連絡はなく、その後のアップデートでもやはり事象が改善しなかった為、改めて今度はキャプチャなども添付した上で、今度は公開されているメールアドレス宛に、1.例示されている事例には該当しない不具合がでているので、いずれかの対応でよいのか、それとも何れにも該当しないかの判断が欲しい(今回は引継ぎデータの不具合や契約情報の紐づけが解除されるなどの不具合もあり、適当に操作するのは適切ではないと認識)、2.先日指定された問合せ窓口から連絡したが音沙汰がなく、そもそもちゃんとサポートが受け取っているのかわからないので、せめて受け取ったとの通知だけでも欲しい(アプリ内の問合せも不具合があり動いていない事も影響)との点をメールに記載し送信しました。

 

それからさらに数日待ち、どちらのリアクション(問合せ窓口への通知の回答なのか、それともメールへの回答なのか)かわかりませんが、なんとも言えない返答がきました。

 

内容としては、迷惑かけています、多数の問合せがあって時間がかかってごめんなさい、以下の記事を読んで該当する事象に応じて対応してもらえますか、それでもダメならそれぞれの窓口に問合せて欲しい、というものでした。

 

いや、そもそもその記事で記載された対応について、該当する事象がないからその他の事例という事で指定の窓口から問合せたよね、僕。

その回答に対して、なんで重ねて同じ記事を紹介した上で、何の追加情報も無くまた試せといっているのか、ちょっと理解できないよ・・・。

 

仮に問合せ窓口の対応だったらその窓口のフォームなんだからその回答は明らかに異常だし、問合せメールへの回答だとしてもそのメールにその旨(問合せ窓口にも問合せ済みで、該当する事象がないから具体的な事象連絡するね、と)書いたよね?

 

私自身サービスやアプリの開発運営に関わる人間ですから、こういったトラブル発生時に現場が混乱する事も、期待されたところで直ぐに問題解決が難しい事も理解しています。

 

ですから、事象発生から問合せまでも時間をおき、指定された方法を試し、その上で、該当する事象がないので、その状況を記述して所定の窓口に連絡し、それでも特段回答も通知も来ないのでメールアドレス宛に改めて現象のスクリーンキャプチャを添付し、且つ、回答ができない事はわかるから、せめて受け取ったというリアクションでよいよという内容で改めてメールでご連絡したわけですが、その回答として「記事読んでためせ」というのは流石に理解ができないかな。

 

まぁ「二度と使ってやるか!」という話しでもなく、落ち着いたら使うとは思うけど、少なくとも今は使うレベルではないかなと。

 

と、そんな事を妻にも話していたら、妻が「例えば『Spotify Premium Duo』というサービスをご存じで?」とプレゼンを始められ、「JUNNAさんの新曲(はじまりの唄)もありましたよ(夫婦で応援中)」「B'zのお二人のプレイリストもありますよ」と。

 

ふむ、安全地帯もある、SING LIKE TALKINGもある。

 

アニソンは何があるかわからないけど、いろいろな人の記事を読むと、昔より(aniutaがサービスインした頃と比較すると)はだいぶ良くなったとの事。

 

他のサービスもいつかは使ってみようかと思っていたし、そもそも1ヶ月は無料だし、使い続けてもaniutaと個人負担はそれ程変わらない(二人で1,280円、一人640円/aniutaは600円)ので、試してみてもいいなと。

 

とりあえず、アプリやサービスがトラブルと言うことは止むを得ないし、私も理解はある方だと思いますが、窓口で雑な対応されちゃうと、待つ意味も無いし、待つ事でよりサービスを使いたくなくなるという負の連鎖に入ってしまうと思うのですよ。

 

今の最善の選択としては、一旦解約して、暫く状況を外から見守った上で、トラブルが落ち着いた後にサービスの評価がそれなりのものであれば利用を再開する方が、お互いの為かなと。

 

そんな感じで長い間契約し利用させて頂きましたが、今日でお別れです。

またご縁があったらいつかご一緒できればと。

 

それではさようなら。

基本的にURLやリンクをSMSで通知は無視するので使わないで欲しい

個人的な取り組みというか判断として、SMSは通知としては閲覧しますが、SMSを起点とした行動はとらない派の人間です。

 

例えば、様々なサービスで再配達に関わる通知だったり、利用料金の通知だったり、認証コードの通知であったりと使われており、それ自体を否定するものではありません。

 

が、基本的にSMSで通知されたURLはクリックしません。

ドメインやURLを厳格に確認すれば良いでしょうが、少なくともパソコンとは違いスマホではクリックされてしまった場合のリスクが高く、わざわざリスクのある行動を取る必要がないからです。

 

特に短縮URLを記載されている場合等は、フィッシングでない場合でもそういった送信をしてくる事業者自体を常識の無い業者として個人的なブラックリストに放り込む程度の認識でいます。

 

例えば、本日とある事業者からSMSでサポートセンターの利用結果に関するアンケートが届き、そのSMSにはおそらくサーベイサービス/アプリへのリンクの為と思われる短縮URLが記載されておりました。

危なくてとてもではありませんがクリックする事は当然ありません。

 

まずSMSでURLを送る行為のリスクを理解していないという時点で信頼性ががた落ちなわけですが、スマホという環境を理解していないという消費者への理解のなさや、商環境への配慮のなさという点も減点対象です。

 

スマホの場合、リンクというものは単純なブラウザがアクセスするURLというだけでなく、アプリケーションの起動であったり、その他様々な事に対応するものです。つまり、送った側はただ単純に特定サイトへの誘導のつもりでしょうが、受け取る側はそれが本当に正当なサイトへの誘導であるかどうかを判断する必要が有りますが、パソコンとは違い、それを正当なものであると判断する術は限定的である上、とてつもなく面倒です。

さらにそれが短縮URLとなっている場合は最悪で、文字列から妥当性の判断を行う事すらできず、結局そのURLをパソコンに打ち込んで妥当性の確認をする事が必要となります。

 

SMSを使って良い状況とは、基本的には一時的な文字列の通知のみであると考えており、その文字列もあくまでも「文字列」として読ませるものであって、それがアクションの起点になるというのは明らかにスマホというデバイスを使う環境への理解がなさ過ぎて、それがアンケートのような調査であったり、例えば支払や決済サービスのようなものであったりすると「いや、そんな程度のリスク管理をしてくる事業者つかわないでしょ・・・」と個人的には思うのですが。

 

最低限発信者が判断できる状況であれば、と考える人もいそうですが、それもそれ程効果がある予防策ではなく、個人的にはないよりは有った方がマシ程度のもので、正直せめてメールで送って欲しいと思います。

 

メールの場合、発信者を信頼する方法が発信側にも受信側にも幾つかの手段がある上、SMSとは違いスマホでもパソコンでも見れる上、必要であれば転送すればスマホ専用のメールアドレスであってもパソコン側で確認する事も可能です。

手間はかかりますが、それでもリスクをとる事の影響に比べれば圧倒的に選択する価値が高く、その選択肢が利用者/受け手に残されているという事は非常に重要です。

 

逆を言えば、SMSであれば電話番号さえ判れば遅れるから便利ですね、という短絡的な思考をしている人や事業者というのは、単純に自己の利益/利便性しか考えていないとも言えます。

 

唯一ギリギリ使えるかな、と思えるものとしては、その瞬間に消化/消費できるもの、という事で、例えば対面で何かしらの情報を伝える時、番号だけで入力が済むという利便性を生かし、登録用URLの送付に使う、そういった利用はギリギリ許容範囲ではあると思います。

この場合、受け手はそれが届く事が判っていますし、それは今まさに目の前で自分が切っ掛けとして行われた事であり、判断する為の情報は、突然送られてくるものとは異なります。

それでもリスクは多少は残りますが、少なくともそれが妥当なものであるかどうかは判りますし、それを使うかどうか(面倒でもメールアドレスを記入/入力する)の判断も受け手にありますからね。

 

せいぜいSMSによる通知でURLを用いてもよいのはその程度であって、現時点のSMSを使う状況下での安全性を考えれば、少なくとも基本的にURLのような起点となる類いのものには使わないというのが常識的な判断であり、それができない、つまり自己の利益しか考えない事業者というのは、基本的に消費者に関心が無いと判断しても問題はないかと。

また、同様に、そういったサービスをそういった事を目的(つまり、消費者の電話番号さえ判れば使えますよ)としたうたい文句としている事業者もまた、消費者の安全性やリスクに晒す事への関心は全くない事業者であると言えるでしょう。

 

令和にも入って、SMS経由でのリスクはいくらでも事例がある中で、未だにそういったものを送りつけてくるとか本当に止めて欲しいし、そういったサービスを自慢げに販売する事業者とか滅びてくれないかなと心の底から思います。

イタリアGPにおけるフェルスタッペンとハミルトンのインシデントに関する個人的な考察

スプリント予選から含め、想定していない結果が続き、決勝レースでも本インシデントを含め、予想外の事が続いたイタリアGPだったと思います。

(追記)

今正式な結果がドキュメントとして公開されましたね。

結論としてはフェルスタッペンの責任であると。

私の予想で上げたエントリー時点の審議はしていないようですね。

だとするとコーナー中の進路に関する審議のみとなりますので、そうなるだろうなと。

ただ、これは遺恨を残しそうな結果ではありますね。

結局事故を起こしてもコースに留まれば影響は限定的で、グリッド降格ペナルティは受けず(イギリスGPのハミルトン)、一方でレースをリタイアした場合は、レース内でのペナルティを科すことができないので事故の原因を作った側が次のレースでその責任を取るというモノ。

ちょっとこれはルール改訂しないと、今後もファンの対立を生みそうな気がします。

今年若手に押されれていたリカルドが満面の笑みで表彰台に上がった姿や、明らかにやりたくないシューイをのリスクも笑顔で受け(その後、後ろを向いて吐き出す…)、ザクも振りだけで済まそうとしたところを、リカルドに口元までシューズを近づけられ、逃げられなくなった事も含め、唯一の救いだった気もします。

 

さて、26週目に発生したターン2でのインシデントですが、現在FIAによる聞き取りが行われており、この後結果が発表されるとは思いますが、個人的な意見を先に述べたいなと。

 

まず、結果だけを見れば、非常に危険な結果であり、私のようにフェルスタッペンを応援する人間から見ても、兎に角ハミルトンに怪我がなく(今のところ入ってきている情報では、痛みはあるが、特に大きなケガはないとの事)、大事に至らなかったことは何よりですし、イギリスGPの件含め、こういった事は起こるべきではないと考えています。

 

その上で、インシデントの原因について自分なりに整理したいと思います。

 

まず、整理すべきポイントはターンエントリー前とターン中の二つがあります。

 

まず、ターンエントリー前について整理します。

ピットレーンからアウトし本戦合流を行うハミルトンに対して、ノリス及びフェルスタッペンはホームストレートから本線を駆け抜けている状況でした。

ポジション的には、ハミルトンがピットレーン出口のホワイトラインエンドの時点で若干前にいました。

一方で、映像を見てもわかりますが、ハミルトンに対してブルーフラッグが振られており、これは同コースではピットレーン出口とターン1の関係から、本線合流を安全に行う為に行われており措置だと思われ、最高速を出している車の前にピットアウトした車が合流する際、安全が確保できない状況ではブルーフラッグにより安全を確保する為の行為だと思われます。

実際映像を見ると分かりますが、ハミルトンはホワイトラインエンドから急激にフェルスタッペンに幅寄せしており、この行為は非常に危険です。

ターン1の入り口時点でハミルトンが前で優先権があるという意見はわかりますが、それが正当化されるためには、そもそも合流時のハミルトンの行為が正当な行為であったのかという点についての審議の影響は大きいかと思われます。

仮に、あのブルーフラッグは関係ない、又は本線合流の仕方についてなんら問題はなかったとされればターン内での整理に単純に移りますが、もしもあのブルーフラッグをハミルトンが見落としていた、又は確認していたが結果として対応しなかったという事であれば、事故の責任はハミルトン側にある事がおそらく認定されることとなります。

 

ただ、個人的な意見で言えば、争うライバル同士がピットアウト時にラインを締めるという行為は、今回に限らず結構頻繁に行われており、今回だけが明らかに悪質であるかと問われるとそこまでの行為とは思いませんが、ただ、本コースの特性(ターン1に対して最高速で突っ込む危険なポイント)を考えると、少なくともクリーンな対応でもなかったですし、恐らくドライバー視点で見るとあれは結構悪意のある行動(少なくとも意図的に閉めにいっている)と直ぐにわかりますから、あまり心証は良くないかと思います。

いずれにせよ、ちょっと判断しかねますが、ブルーフラッグが出ている状況であの寄せ方は審議の中で印象は悪く、ハミルトンが不利な状況かなと思います。

 

次に、ターン中、つまりターン1からターン2の間のラインで言えば、結論としてはハミルトンに優先権はあります。

その為、前述のターンエントリー時点での整理が問題なかったとすると、少なくともフェルスタッペンは遅れてターンインしている事から、ちょっと状況としては不利かなと思います。

ただ、フェルスタッペンの言うスペースがなかったという言い分自体はその通りで、ハミルトンファンからすれば、フェルスタッペンはさらにイン側に入る(つまり一度コースアウト)余地があったというでしょうし、その理屈であれば、インに入られたハミルトンもまだアウトに進路をとる余裕はあった事になります。

少なくともラインだけで言えば、フェルスタッペンはターンインした時点では並んでおり、その時点で1車体分のスペースを残す努力は双方(レギュレーション上、優先権は有りますが、それはスペースを残さなくてよいという話ではない)に必要となりますから、その点で言えば、フェルスタッペンの言うスペースを残してくれなかったという言い分はわかります。

 

が、その後の結果を見ると明らかに心証は悪いでしょう。

結果として危険なクラッシュとなった原因はハミルトンとフェルスタッペンの後輪同士が接触した結果、後輪がバウンドしあの体制になった(DAZNでは縁石に接触した為とありましたが、恐らくそれ自体は進路への影響はあったと思いますが、バウンドした原因自体は縁石ではなく後輪同士の接触ですね)わけで、故意に行った事はないでしょう。しかし、一歩間違えば明らかに大事故につながるインシデントである事は事実ですから、その点で言っても、結果的にターン中のインシデント自体の原因については基本的にはレーシングインシデントであるものの、おとがめなしとできるレベルであるかというとなかなか難しい事ではあります。

恐らく、ターン中のインシデントだけを議論すればフェルスタッペンに対してペナルティがでる(つまりインシデントの責任はフェルスタッペンにある)事になるかなと思います。

 

結局、この審議のポイントはコーナーエントリー時点でのポジションとエントリーの仕方についてFIAがどう審議するのかという点かなと思います。

コーナー中の点自体で言えば、正直映像や結果はショッキングですが、接触事故であるにすぎないですので、事故の危険性だけで言えば、イギリスGPの行為の方が危険性は高いです。

 

あの高速コーナーで接触すれば、明らかに生死にかかわる事故に至る事はドライバーであればわかる話です、流石にそれはハミルトンも否定はできません。単純にハミルトンはフェルスタッペンを自分は抜いたのでフェルスタッペンが引くと思った、と言っているだけなので、あのコーナーでの事故の危険性自体は理解しています。

一方で、このターン1自体は大事故になるというポイントではなく、そもそも急激なブレーキングでオーバーランするような事はあったりしても、ターン中は既に減速後の状況ですから、今回のような特別な事情が発生するのは、運がわるかったとしか言えないでしょう。

もっとも、運が悪かったとしても、当然の事として結果として生死にかかわる事故が起きてよいわけではありませんが。

 

私的には、この事故の一番の問題は、イギリスGPでのFIAの対応だったかなと思います。

あのような事故を起こした上、さらに次のハンガリーGPでもあのような事故が発生しているわけで、本来はハミルトンもグリッド降格ペナルティやより重い裁定が下されるべきものでした。

結果として、単純なタイムペナルティのみしか科さなかった為、争うドライバーからすると相手も引かない、ひかない事に対してFIAは特段問題としないとすれば、こういった接触が発生する事は言うまでもありません。

 

なお、一部はフェルスタッペンのドライビングが荒いからだという人もいますが、ペナルティポイント含め、フェルスタッペンは全ドライバーの中で非常に少ないペナルティポイントでドライブしており、昔と今では全く違う状況です。

イメージだけで誰が悪いというのは簡単ですが、この事故や事故が起きる状況は、そんな単純な話ではなく、もう少し複雑で、且つ、ドライバーにとって引けない状況もあるわけで、そこも含め、危険行為に対して明確な意思を示していないFIAの責任は大きいと私は思います。

 

結果がどうなるかはわかりませんが、個人的にはちょっとハミルトンの分がわるそうな気もしなくはありません。

40%程度がレーシングインシデント、35%がハミルトンの合流に関する行為が問題視される、25%がフェルスタッペンのコーナー中の進路が問題だった、という感じでしょうか。

 

いずれにせよ、あまりにも危ない結果に至る前に、FIAはもう少し真面目に対応を考えるべきだと私は思います。