何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

同性愛者という話よりも、これはヒーローの新しい在り方を再定義するよという話かと

 

黒人、アジア人、LGBTのキャラがいたとき「あえて入れてる」「ポリコレを感じてうんざり」と思うなら

個人的にはあまり良い手法とは思わないけどね。結局それらを受け入れない人達ってのは結果としてそういった存在をより嫌悪するようになり対立構造はより激化するわけで。時間で解決できるとは思わんがどうするのかと

個人的にはそのような展開があっても特段気にすることはないし、結局作品として成立しているのか、面白いのかとしてしか考えない(例えば、私自身はアニメ作品で作画崩壊していたとしても最終話まで見てから判断するタイプなので、ぶっちゃけ面白ければ/作品として価値があれば正義と考えている)ので、どうでもいいとは思いますし、DC系って結構ねじれてるから今更感はありますし。

 

一方で、とはいえ波風が立たないかと言えばそれはないだろうなと。

個人的にはちゃんと伏線とか方向性の整理とかした上でそういった事が起きるという点には特段問題はないと思いますが、今回の件が唐突でないという話なのかは私にはわかりません。もしも唐突なのであれば恐らくそれなりの反発は、単純にそういった事に理解がある人からも出てくる(根本的に作品としてどうよという話)でしょうし、そういった点で元記事にある「市場が求めていると感じたからそうした」というなんというか、我々は市場の求めに応じたのだ、というちょっと逃げ口上的な前置きをするというのは危ないのではないかと思わなくもない。

 

ただ、全文読んでみると実は同性愛者云々は実は些細な話で、むしろこれ文末の方にちゃんと意図した展開の事が書かれているのだけど、あのまとめや関係者はなぜそこに触れないのかと。

寧ろ、ジェンダー戦争をより激化させるために意図的に読み落としているのでは?と思う程度の話だと思うが。

 

参考:https://www.ign.com/articles/superman-bisexual-lgbt-jon-kent-dc

 

作品の中で、同性愛者という立場は一つの象徴ではあるものの、そもそもヒーローとそのパートナーの関係性やあり方という点にも大きく変化を付けていると書かれています。

で、それは今までのヒーローとそれを支えるパートナーという単純な構図ではなく、それぞれの立場からの戦い方との向き合う姿勢だったり、また、その相手自体(つまりヒーローとはなにと戦うのかという点)も今の時代に即したものである必要がると述べられています。

 

つまり、この変化で重要な事は、ヒーローが戦うという立場から、ヒーロー以外の存在もまた重要な役割があり、それぞれの立場で戦い、そのあり方そのものが今までのヒーロー作品中のキャラクターの役割から変化して、より現代的になった、与えられた、決まった役割をただ演じるだけの存在ではなくなったという事を意味しています。

 

私は同記事を読んだとき、いや、言いたいことは実はこっちで、むしろ同性愛者とした点ばかりを取り上げるというのは、結局その事だけに目が向いてしまう、つまりは、それを衝撃的な事として受け取ってしまう人々なのだと思うのですが。

 

何というか、まとめというのはそのまとめ主の考え方や見方でその記事が伝えたい事の意味がズレてしまうのですが、このまとめも結構酷いまとめだと思います。

恐らく記事で言いたいことの大半は伝えておらず、ただただ受け入れない人を罵る為だけに、その部分だけ、実際にはそれは冒頭の話でしかなく、その部分だけを取り上げて「な、お前らはクズだ」とばかりに相手を罵る道具にしているわけで、結構酷いまとめだと思いますが。

 

書き手としては、同性愛者という点も含め、様々な点で新しいヒーローの形を描く事にチャレンジするという事を宣言しているわけですから、ちゃんとそういった大事な事を理解した上で、まとめてほしいなと思いますが。

 

 

 

 

人類はまた同じ歴史を繰り返すのかもしれない・・・

 

大宮駅の停電で電光掲示板の組み込みOSがWindows2000と発覚しざわつく皆さん→実は古いOSである理由がある?

閉域網内なので安全的な話しをしているのは若いエンジニアかなとも思わなくも。一昔前その認識でいた沢山の企業がウィルスやマルウェアをUSBデバイス経由やゲートウェイ経由で感染させ閉域網内が完全死亡した事例がね

コメントのとおりで、少し年老いたエンジニアの場合、2000頃の事件を覚えていると思うのでこの手の安全神話が文字通りほぼ神話で、大抵の現場では実際には外部からの何らかの情報交換を行った結果、たった一瞬で崩壊する事を知っている。

 

具体的には、2000年序盤には立て続けにウィルス/ワームによる攻撃が激化し、国内でも顕著にその影響がでた。

「Code Red」を皮切りに、「SirCam」や「Nimda」等、その後も様々な攻撃を受け、この頃から閉域網神話は結構あっさり崩壊していった。

 

当時影響が出始めた時に困った事は2つ。

1つめは、当時音声通話のIP化が進んでおり、この当時から音声用の半閉域網や、ハイブリッドな仕組みを活用して大手を中心にこの対応が積極的に進められていたが、この攻撃の激化により、大手で内線電話、一部では外線も含め電話が使えないという事態に陥った。パソコンが使えないという事態も大変だが、電話が使えないというのもなかなか大変な事態で、国内大手でもその影響は出たため、それまでとは違う社会影響を及ぼす事となった。

2つめは、この感染拡大の一つの原因に安全と思われていた閉域網が関与している事例も少なくなかった。

当時はUSBデバイスがまさに普及した時で、USBメモリーによるデータ交換というのは社内外問わず、非常にメジャーな仕組みとして用いられていた。

当然閉域網内でも領域を超える時に使う事もあり、最大限の配慮はされていたが、この頃からウィルス対策ソフトや検出ソフトを如何にかいくぐるかという事も考えられており、USBデバイスを特定のシステム専用に使っていれば影響は回避できたであろうが、まだまだ当時はUSBデバイスは部署で兼用されていたり、個人がカジュアルに使うという状況も多少残っていた事もあり、結果として閉域網内にも侵入をゆるしてしまった。

閉域網なので外部への影響は限定的(業務が滞るという傾向のものに限定)ではあったが、厄介だったのが閉域網内の端末の類いが軒並み古いOSであったという事。

例えば金融系であればお客様とのコールセンターの仕組みやサービス提供用の業務システムが何れも古いOSで構築されていたなどという事例も多く、また、内部サーバにIISがつかわれていた状況下で対策ソフトの導入が行われていなかったという事例も多数あった。

 

結果として閉域網内のシステムを復旧させる事にとても苦労した。

特に当時猛威を振るったものの中に自己増殖型のワームが含まれていた点は対応に苦労した点の一つだった。

OSが古い為、市販されている対策ソフトのサポート対象外であったり、そもそもパッチが提供されなかったりと、様々な壁があった。

特にワームの場合、極論言えば1台でも閉域網内に影響を受けた端末が残っている場合、一旦復旧しても再度ダウンする(感染が拡大しネットワークが落ちる等)という事例も散見された。

 

当時はまだセキュリティ対策や事故対策の専門家もすくなく、当時私も幾つか復旧の支援に関わった事があるが、それこそ物理的な隔離から始まり、潰せる端末は完全に初期化して機材の再利用の可否の判断を行うとして、潰せない端末はデータのサルベージと2次感染を防止する為に、何重ものチェックや、同データを一時的に隔離する環境、その環境のデータを持ち出す場合の仕組み、持ち出したデータが利用される環境の把握、その後のモニタリングと多大なコストを払い臨時対応する事となった。

それでも私の周りは、まだ、エンジニアがそれなりに知識や経験を持っていたので影響は限定的で、復旧も早かったと思う。

 

その後、閉鎖網/閉鎖域なら安全であるという神話は基本的には崩壊している。

当然、万全な運用体制を構築すれば多少のリスクを飲み込んだ上で使うという選択肢はあるが、物理的に一切の外部とのアクセスを遮断しているようなケース(例えば、某省庁向けPCのように物理的に全てのポートが封鎖され使えない)を除けば、大抵の仕組みは閉鎖網というネットワークを構築しており、当然その閉鎖網には何かしらのデータが外部デバイスから提供される事が大半なわけで、そのリスクを完全に排除できるわけもなく、多くの企業ではそれは2000年初頭の事例を教訓に原則として回避するというのが普通の判断ではあると思う。

 

JRの件はちょっと自分の領域ではないのでわからないが、単純に古い環境からリプレイスできていない(例えばJR東日本単体では対応できないとか)だけで、別にわざわざ古いOSを意図して使っているのではないと思う。

なお、コメントにもあるように既に延長サポートフェーズも終わっているので、そもそも通常であれば新しいライセンスの発行が行われないという状況のため、例えば設備交換時にどうやってライセンスを提供しているのかという疑問はある。

絶対数を上回らないような運用をしているのだろうと思うが、なかなかその管理だけでも大変そうではあるが。

 

何れにせよ、その当時を経験したエンジニアであれば、閉域網なら安全という神話は基本信用していないと思う。

 

なお、一部のコメントでウィルスやワームへの感染は新しいOSでも結局起きるのでかわらないというコメントがあったが、まったく違う。

新しいOSでは基本的には標準サポートフェーズ段階であれば基本的にセキュリティパッチも不具合に関する修正パッチも提供され、認知されたリスクは塞がれる。その上、各種対策ソフトもサポート期間内であれば、そういったものへの対応や必要に応じて技術的サポートを提供する為、そもそも感染が予防できる可能性も高く、また、仮に感染しても復旧させる事ができる可能性も高い。

一方で、古いOSの場合、そもそもパッチの提供が行われない事から、サポート期限を超過して発見されたリスクに対しては原則無防備となる。当然各種対策ソフトも動作が補償されないし、仮に外部のサポートを受けようとしたときも環境上の理由で対応が難しいまたは拒否される事が一般的。

少なくとも感染するリスクへの強度も全く異なる(世界で最初の方に感染する数パーセントの人間に限ればリスクに対する強度は変わらないとは言えるが、それ以外の大半の人間はパッチの提供でリスクを回避可能/これは知識も経験も不要で単純にアップデートすればいいだけ)し、その後の対応レベルも全くことなるわけで、双方を比較する次元にはまったくない。

 

というわけで、使うケースがないとは言わないが、今はあえて古いOSを使うというのは、閉域網だから安全なのでというよりも、リプレイスできない事情であたったりと、恐らくは何かしらリスクをとってでも使わざるを得ない事情があるからだろうという話しで、あまり閉域網の安全性とは関係がないと私は思うが。

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば、貴方の家族や親族の結婚に対して無関係な第三者が勝手に反対デモをする事が普通な事だと?

眞子さまと小室圭さんの「結婚反対!」異例の行進デモが銀座で開催(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

「反対」と意見することが憲法違反や人権侵害のわけがない。言論の自由基本的人権。私はご結婚を祝す論者だが、一部のはてブコメントには強く疑問。現にお二人はご結婚予定で反対運動に強制力がないのは自明。

確かに、誰であれ自由に意見を述べる事も表明する事もできる。

が、同時に、他人の権利や自由を侵害する権利はない。

 

でだ、皇族に人権を適用すべきなのかという議論はあるが、ここではそもそも「憲法」や「人権」前提の話なわけですから、それは無視するものとしますが、で、その時、それが普通なのかという事はそれを一般的な事例に当てはめればわかりやすいかと。

 

例えば、貴方自身や貴方の家族、親族、まぁそういった方が結婚するとなった時、家族や親族は前向きであれ後ろ向きであれ、結果的に結婚に同意している状態であるとします。

一方で、何の関係があるかわかりませんが、その結婚を聞きつけた赤の他人が、いや、その結婚は不当なもので、周りを不幸にするものだからやめるべきだと、周囲への裏切りだと本人に罵声を連日浴びせたり、それに反対をデモとして大々的に行う事が普通の行為だと?

 

なお、その切っ掛けですら、家族の不祥事であるとして、で、それって本人に何の関係があるの?

何ですか、親族、家族に仮に何かしら不祥事がある人は、結婚の自由の権利が失われるべきだと?

つまり、何かしら血統であったり、関係者に不祥事を抱えた人間は、当然の権利すら失う事が正しく、それを公然と本人に関係のない理由で不当に奪われる事が当然の権利であると?

 

そんなわけがあるわけがないし、あっていいわけがない。

仮に、結果として本人達が不幸になったとしても、それは本人達の決断によるものであって、その決断について他人がどうのという権利はない。

 

税金が投入されている云々の議論もアホな話で、彼らに対して国として強いている負担を考えれば、むしろもっと支払ってもよいと私は思うが。

 

自分たちの行動が産まれたときから全てが駄々洩れで、個人の自由も制限され、職業の自由すら半分奪われている状況で、そういった状況であっても不平不満を公にする事も許されず、弟に至ってはごくごく当たり前の反抗期云々の事すら週刊誌から全国紙まで取り上げる始末。

 

そういった特別な環境下で、ある意味国民の奴隷のように扱われている人間に対して、一定の支援を行う事が「お前たちは私たちの税金で生かされている」とかいう事が当然だと?

 

そんなわけあるか。

馬鹿も休み休み言え。

 

仮にそこまで言うならば、それこそ皇族にもっと自由を与えるべきで、その中で義務と権利のバランスを取って、初めて税金云々の話をすべきだろ。

彼らには選択の自由どころか、権利すらほぼ与えられないわけで、その代償として一定の支援を得ているわけに過ぎない。

それもだ、そもそも警護を付けるのも別に彼らが例えば何か問題を抱えているからなわけでもない。

単純に彼らに何かあった場合、それは日本という国の問題として扱われるからであって、彼らが「警備付けてもらえませんか?」と言ったわけでもないだろ。

 

当然、小室氏についても警備が必要なのかどうかの議論はあるだろうが、それこそ彼を取り巻く人間の非常識な行動の結果がそういったものを必要としたわけであって、普通に理性的な行動を取っていれば、特別な警備を必要としたとも思わんよ。

 

反対運動によって影響がないわけがない。

強制力云々がないというならば、ストーカー行為によって恐怖を感じ事もないだろうよ。

そんなわけあるか。

自分の結婚相手やその結婚に対して一部の国民がさも当然のように声高に罵声を浴びせる状況で、危険や恐怖感じない人間がいるなら、それこそ異常であって、もし本気でそれが何ら影響を及ぼさないと思っているなら「普通」というカテゴリから既に逸脱しているわけであって、もう少し「普通」の思考を理解すべき。

 

それらが普通でないから、ストーカーであったり、付きまといであったりと、自分にとっては普通の行為で、正当な行為と勘違いした人間に対して、法律でダメだとしているわけであって。

 

デモにより意思を示す権利はある。

が、当然その権利は正当な主張に基づく必要がある。

関係のない第三者が赤の他人の結婚に対して、さも当然のように罵声を浴びせる行為にどのような正当性があるのか私には全く理解できない。

 

日本には少なくとも連座制は既に存在しないし、そんなものを現代国家で維持している国は、それこそ一部の独裁国家のようなものだけであって、普通ではない。

 

仮に母親や親族に何か問題があったとしても、それは本人には関係のない事だし、本人の結婚に影響を及ぼすものでもない。

 

ここで税金云々を言い出す人間というのは、つまり、例えば生活保護により生活する人間に対しても「お前は俺のおかげで生かされているんだ」とか「お前たちは生かされている人間なんだからつつましく生きろ」とか言い出す人間なんじゃないのかと思うが。

 

それぐらい卑劣な認識がないと、なかなか「俺たちの税金で」なんて、他人の結婚に対していわんだろ。

 

デモをするなとは言わない、が、せめてまっとうなロジックで批判すべきだし、結婚と家族の不始末がどう関係するのか日本の法律の範疇でその正当性を立証した上でやるべきだろ。

 

それができないとただの言い掛かりだし、単なるストーカーや付きまといの迷惑行為と同じでしかない。

 

他人の権利を侵害するだけの正当な理由があるなら表明すればいい。

あるのであればね。

 

 

 

負けるべくして負けたし、おそらく今後も負けるだろうなと

今日の代表選。

まぁ、見所無し。

 

柴崎のミスは多かったが、どちらかというと攻撃陣でボールが収まらないパスを通せない、流れを作れないで、ディフェンスが辛すぎてそりゃミスも重なる。

個人的には柴崎が悪かった云々よりも、全体的に状態が悪く、鎌田も上手く捌けてなかったし、あれはどうにもならないかなと。

彼個人の問題じゃなくて、チーム、監督の戦術の問題だったと思う。

 

正直南野と浅野を変える前に大迫を変えるべきだったし、そもそも前半の時点で大迫が全く機能していないのは明らかだったので変えるべきだった。

その上で攻撃が機能しないのであれば、攻撃としては柴崎は機能していたものの、守備という面では完全に狙われていたので早めに変えるべきだったかなと。ただ、大迫の代わりに若手いれてればもう少し動きがあって、柴崎の負担も減ってたと思うし、結果は多少違ったのかなとは思うが。

まぁ、それでも柴崎の状態は悪かったけどね。

 

あと長友もあまり機能していなかった。

完全に狙われてたし、その上で攻撃の起点にもなってなかった。

相手がサイドから広めに使ってきっちり攻めてくるのに対して、日本はサイドも使えていないし、ボールも動かせてなかったし、その上で相手の圧に押されてミスを連発しているわけで、ちょっと先発できる状態ではなかったのではないかという感じはする。

長友はやっぱり万全の状態でないと、ディフェンスとしては身長的にも不利なので、年齢的にもそこは監督がちゃんと考えないとダメかと。万全の状態なら走り負けないと思うけど、ちょっと今日の状態だと穴でしかなかったかなと。

 

とはいえ選手個人というか、冷静に考えて監督に戦術がないのでどうにもならないかと。

なんというか、攻め方についてアイデアがなさ過ぎてどうにもならないかな。

単純に圧を強められただけでパスが回せないというのは致命的で、正直今日の圧自体はそれ程でもない。

後半の出だしでも何もアイデアがなかったわけで、相手の戦術について全く対応できてなかったから、まぁ、何も起こらないよなと。

結局パスの出し先が見つけられない点や、そもそもボールロストが多すぎるし、それ以上にスタッツみてないけど50:50のボール、これ、全敗じゃない?それぐらい競り負けてた。

 

個としても、組織として、完全に負けてたね。

勝てる要素がほぼ皆無だった。

 

まぁ、最終予選だめだろうね。

ネットでも既にでているけど、今季は早めに諦めて、真面目にチーム作りから監督とサポートチーム含め、ちゃんとゼロから作らないと次もダメじゃないかな。

 

まぁ、何というか、最後の10分ぐらい多少チャンスはあったように思うけど、それって単純に相手が疲れていただけで、こちらも疲れていたので、仮にあと90分時間があっても、やっぱり負けだっただろうなと。

 

それぐらい完敗で、どうにもならない試合だったと思う。

机を叩くモラハラ夫という点はあれだがそもそも会話が成り立ってないのもどうかと

 

夫と私で説明の仕方が違うらしい

全体のやり取り(夫婦間での普段のコミュニケーションの在り方)や状況が分からないので何とも言えないかな。「じゃない方」というのは厳密にはA以外の全てを指すのであまり適切とは思わないが机をたたくのは論外。

 

前提として夫婦間の会話で机を叩く状況というのが理解できないので、それの点は論外として、ただ一方で、相手がモラハラ夫というだけで妻側の説明の不備というか、そもそもコミュニケーションが成立していない問題についてなかった事になるのもどうかと思う。

 

文章でみても、後半の説明がなければ「何言ってるの?」となる。

恐らく僕も。

 

僕だったら「ごめん。牛乳の開け方間違っちゃった。次から気を付けるね」という言い方から入るかな。

 

そもそも「気を付けて」と言われても、何を?となる。

コメントを読むとそれぐらいわかれよ、というコメントがあるが、それこそ牛乳の開け口を間違うとか普通にあるので「気を付けて」と注意される程の事でもない。

そこに「気を付けて」と突然言われていきなり「あぁ牛乳の開け口を間違ったのね」という発想はいきなりは出てこないし、例えば状況がまだ牛乳の開け口に触れてすらいなかったら僕も全く理解できないと思うが。

 

その上「じゃない方」という言い方も一瞬「何のこと?」と思う。

 

夫婦間に限らず相手に意図を伝える事は、相手との関係性や状況、話し方等いろいろ配慮が必要だと思う。

 

僕だったら、まず自分がやらかした時は、最初に「ゴメンね」から入る。

その上で、何について謝罪しているのか説明する。

今回で言えば、牛乳の開け口を間違った事について説明する必要があるので、ごめんと誤った上で、開け口を間違った、と伝える。

この時点で基本的には相手にはこちらの意図が全て伝わっているので「気を付けて」は不要かと。

 

例えば子供に対して過剰に子ども扱いする事は実は適切ではない。

それと同じで「気を付けて」というのは、相手を慮っている言葉のようで、その事に注意が払えないと私は感じたので気を付けてくださいね、という意図になる。

当然そんな意図では言っていないと思うのだろうが、言葉は結局受け手の感じ方次第という事で、過剰に子ども扱いされる子供は、親から信頼されていないと感じたり、自分は子供なのだという意識が強くなり親離れが遅れたり、自立の目がでなかったりする。

 

その上で僕は失敗したときは「どうするか」という点を加えておけば、相手の理解も得られると思っているので「次はどうする」とかそういった言葉で締める。

 

例えば、我が家ではちょっとの汚れの度合いの違いで入れるゴミ袋が違う。

この汚れの度合いの判断が結構難しい。

僕からすると蓋の類は中身がついている事もあり汚れているものとして扱うが、妻の中ではそれは汚れていないものになる。

例えば牛乳の容器は汚れているものとして扱う。

包装の類は汚れているものとして扱うものが多く、一部例外がある。

 

で、僕はこの基準が僕の中の判断と違っていた為、おっとこれはどっちだろうか、といつも悩んでいた。

 

なので妻に「ゴメンね。XXXは汚れているものに入るんだっけか?」と聞きつつ、「何度も聞いてゴメンね。これ次から聞かないようにした方がいいからメモ用紙に汚れているものに含むものを書き足してもらえると嬉しいな」とお願いしたわけです。

いや、お前が書けよ、と思われるだろうが、そもそも汚れているものの判断基準が分からないので、最初は書いてもらわないとどうにもならない。

 

この話も、どっちの基準が正しいという話でもないと思う。

僕の感覚では蓋は汚れているものだよね、と思うし、それに同意する人もいるだろうけど、同様に妻の感覚ではそれは汚れていないものという判断で、それに同意する人もいると思う。

別な定義があればそれも参考にするが、夫婦間での整理で言えば、結局どちらかの意見にすり合わせるしかない。

で、どうやったら円滑なコミュニケーションを図れるかという話で、僕はメモに書いてもらえる方がありがたいのでそれをお願いして、妻もそうだねそうしようとメモに書いてくれる。

だから我が家のキッチンには容器のゴミも何も基本的には残らない。乾かす必要のあるものが置かれる事はあるが、ペットボトルも飲み終えたら自分で綺麗にして、ペットボトル用の袋に入れるし、牛乳やコーヒーポーション等のゴミ、その他のゴミ類も妻と決めたルールで自分で処理をする。

 

ルールやコミュニケーションは結局夫婦間でそれぞれ文化を作るしかないと思う。

 

机を叩く程の事では僕はないと思う。

が、もしかするとそこに至るまでいつもそういった言い方をされたら僕も嫌になるかなとは思う。

何時も「気を付けて」「気を付けて」と言われるのは正直あまりよい気もしないし、自分もそんな言い方は妻に対してしない。

 

妻からすれば「いや、気を付けるのはお前だろ?」となるだろうし。

 

だから僕なら「ゴメンね」から始まるし、次は気を付けると、絶対守れるわけではないが、頑張る意思も見せる。

 

そんな小さい事の積み重ねなんじゃないかなと思うのだけど。

 

レジ袋のポイ捨ては減ったように個人的に感じる

 

小泉進次郎氏肝いり「有料レジ袋」廃止か 桜田義孝議員が新環境相に相談 – 東京スポーツ新聞社

レジ袋が環境問題(マイクロプラスティック含め)に効果的かは僕も疑問は持っているのだけど、ただ、実際問題町中に飛び交うレジ袋のゴミは減ったと思うのよ。環境以外の面でも効果なかったか調べて欲しいとは思う。

この話、実は社内向けの説明で効果面でも疑問があるという話しを今年丁度記事にしていて、そういった意味でも僕もそれなりに調べて、実際問題あまり効果はないのではないかとは思っています。

 

一方で、本質的でない部分で、雰囲気に過ぎないのかもしれませんが、町中で風に飛ばされているレジ袋はあまり見かけなく無かった気もします。

 

あくまでも個人的な感触に過ぎませんが。

 

以前はコンビニ前とかですと、私の会社の周りでは駅近くという事も会って、極論言えばレジ後に直ぐにゴミ箱にレジ袋毎捨てる人(例えば飲み物を買って、無駄にレジ袋を貰ってしまい、実際には入らないみたいな人)や、駅近くの公園であれば、食べ終えた後のゴミがレジ袋に入れられてそのまま捨てられているという事もありました。

 

実際問題捨てるヤツはどんな状況でも捨てるし、ましてや、弁当を公園で食べてゴミをポイ捨てするような人がわざわざマイバックを持ち歩いているのかという疑問もあり、関係なさそうな気もするのですが、やっぱり以前よりは見かけなくなったなと。

 

ただ、コロナ過もあり、最近は自宅近郊の状況しかわからないのですが、そこも以前に比べるとゴミは減っている気もします。

とはいえ、これもまた単純にコロナ過の影響もあるかもしれませんが。

 

例えば、そういった本質的でない部分でも効果があるのであれば、僕は続けてもよいと考えています。

当然、いや、それ勘違いよね、という事であれば、無駄なコストを負担する必要もない(無料化されたとして結局誰かがコストを負担するわけではありますが・・・)とは思いますが。

 

正直今さらどっちでもいいというのが本音ではあるものの、それでも色々な面でどういったメリットがあったのか、デメリットがあったのかは検証すべきですし、その上で、判断を下して頂ければどちらでも良いかなというのが私の感想ですかね。

 

 

いちいち「女性だけ」と宣言する事や客観性のないTPOを基準とする事への不快感

石川優実11/22「もう空気なんて読まない」🇯🇵🌈🥺👞👠 on Twitter: "なんかよく分かんないんだけどさ、そんなにみんな仕事中に自分の服装の自由を行使するっけ?表現として。 その場その場でふさわしい格好をすることと、関係ないところで自由に好きな格好をすることは両立するやろと思うんだけど。 https://t.co/2m1PlygZom"

石川氏は葬式で露出させろとかそういう自由を求めた訳じゃなくて、靴擦れ起こしやすかったり歩きにくい靴を女性だけに強制するなって言ってるんだから別に矛盾してないのでは。痛くない靴でもTPOに合わせられるし

『石川優実11/22「もう空気なんて読まない」🇯🇵🌈🥺👞👠 on Twitter: "なんかよく分かんないんだけどさ、そんなにみんな仕事中に自分の服装の自由を行使するっけ?表現として。 その場その場でふさわしい格好をすることと、関係ないところで自由に好きな格好をすることは両立するやろと思うんだけど。 https://t.co/2m1PlygZom"』へのコメント

当時もだったが女性だけとなぜ勝手に宣言するのか謎。男性だって革靴スーツが強要されておりTPO云々なら男性だって社会的常識という名のもとに制限は受けている。いちいち「女性は」とか誇張はいらないと私は思うが。

上手くコメント部分が引用されなかったので2段で。

上はid:tvxqqqq氏の意見で、下がそれに対する私のコメント。


僕も仕事をヒールでやる事に意味はないだろうし、合理性もないだろうなとは思う。

が、その話と、意見を表明するときに、特に社会的な問題と向き合うときに正しい認識と正しい意見表明をする事の大事さは両立すると思う。

 

少なくとも服装規定というものについて日本は面倒が多いのは男女共通していて、以前から述べているように、ヒール問題を除けば圧倒的に男性の方が制約は多い。

多くの企業でスーツ着用はほぼ強要されている上、仮に社内で許可されていても相手先(訪問先や常駐先)の事情に合わせるよう強要される事も多く、インターネットベンチャー等の特定の業種を除くと、スーツ又は指定の服以外での勤務というのは中々選択できない。

靴についても革靴がほぼ一択で、他の選択肢はなく、ヒールよりは楽でしょ?と思うだろうが、明らかに快適ではないし機能性も低く、ヒール同様に合理性はない。

 

で、私は別に女性が男性の問題や事情まで踏み込む必要はないと思う。

女性が女性の課題に向き合う、それで十分だと思うし、そんなに問題を広く論じる余裕はないだろうなと思うし。

 

その一方で、そういった問題があるとき、それがさも女性固有の問題のように論じる人については「社会的な問題に向き合いたいのではないのだろうな」とは思う。

 

論じるのであれば、単純に女性はヒールで勤務する事について合理的ではないと感じているという事を強く述べればよいだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

で、この話題、石川氏に対して突っ込んだ人もいたと思うけど、たしか当時も「男の事なんてしらねーよ、勝手に自分達でやれよ」的なリアクションが大半だった。

 

いや、そういう話じゃないよ。

社会的な問題をさも女性固有の問題とする事が問題で、そういった問題のすり替えをしてしまうと、今後もそういった議論の時に偏った整理や誤った対応がでるわけで、そういった2次的な問題を起こさない意味でも、何が問題なのか、どのような背景があるのかは正しく発する必要があるわけで。

 

例えばVTuberの件も、もしもTPOを満たしていればよいという話であれば、そもそもヒールを履くという事自体は別にTPOを満たしていないわけでもないし、むしろそれ自体は社会的に常識として広く認知されていた。少なくとも就活本にもそういった記載がされる程度には。

当然それに意味はなかっただろうし、合理性もないが、TPOの議論に合理性はそもそもない。

極論TPOなんてものは、誰かがそれが適切なものであると認識しており、それが広く合意形成を計れていればTPOを満たしていると認知される程度のもので、それ以上でもそれ以下でもない。

 

なのでTPO云々で批判・肯定をしようとするとそもそも話がおかしな事になる。

 

結局TPO云々で否定するというのは、どのように言いつくろっても、大多数は否定的ですから、その大多数の意見に従うべきという話を正しいとしているわけで、それであれば別にヒールを履くという事に合理性がなくとも、大多数の常識として認知されていた事を覆す必要もなかったと私は思う。

 

ヒールを履く事について、これまで常識とされていても、冷静に考えればそれに意味はないし、むしろ非効率的であると。

その上そうである事自体にも意味はなく、靴自体は他にもビジネスの場面では使われているわけだから、他の選択肢に切り替える事を考えるべきと、つまりは今までの常識を否定して、正しい認識にあらためたのがあの活動だったのではないかと私は思うのだが。

 

それを、いやいや、常識ってありますよね、とか言い始めて、それが多くの人の認識において、つまりTPOとしてという多数決のような判断基準で正しい正しくないを論じるとかは客観性は少なくともない。

 

なお、そういった意味でいえば、いくつかの記事で意見を募っている限り、多くの人は女性も含め、別に問題にするほどのものでもないと意見しているわけで、それでもTPO云々というのは、結局私の基準には合わないと宣下しているだけで、基準が自分に合うものがTPOであって、それ以外は認めないと言っているだけなのですが。

 

もしもTPO云々で議論したいのであれば、それが社会的に本当に否定されるものなのか、非常識であると思われているのか客観的に判断できるようにするのが正しい在り方なのではないかと思うが。

だからこそ、いくつかの記事では特に女性に対して意見を募っていたのだと私は思うし、その上で不快感を示す人が多数を占めたのであればそれは仕方ないのだと思う。

実際にはそれらの記事では特に不快感を示す人は限定的で、基本的には気にしない人が大半であったわけだが、それでもTPO的に不適切であるというのは、具体的に何が基準になっているのだろうか。

ヒールが正装であるとした旧来の常識を、無意味なルールや定義とした事と、社会的には特段それが不適切だと思われていないのであれば、それがTPO的に即していないとは言えないとする事にどのような違いがあるのか僕にはわからない。

 

なお、この手の調査は当然バイアスがかからないようにする必要があるので、Twitter等で行う意味はない。

というのも、当然だが、誰かがTwitterでアンケートを取れば、その人の意見に同調する人が集まりやすいわけで、偏った結果がでる事は言うまでもない。

 

インターネットアンケートサイト等で無記名式の全世代向けのアンケートを行うか、第三者的な客観的な意見を出せる人がやる以外に確認する術はないとは思うが。

 

いずれにせよ、社会的問題を「女性固有の問題」のように殊更宣言する人や、TPOといいつつ、その基準を自分の判断に基づくものとする人というのは僕は不快感を覚えるし、余り信用するに値しないとは思う。