いろんな意味で微妙な話題を提供している家入氏ですが、思いのほかネットでも話題に乏しい。
ネットぐらいは独壇場であってもよいように思うが。
なぜかと考えてみると、1つは敵が多いこと。
ただ、これだけだと、普通は炎上案件も含めて盛り上がる。
今回の出馬が決まってから一番びっくりしたのは、家入氏の発言がいままでのそれとは全然変わったこと。
以前であれば、巻き込まなくていい人まで巻き込んで、小さな騒動が大きな騒動になる凄腕のエンターティナーだったが、出馬表明後はひっそりとなりを潜めた。
そういう意味では、政治家の素質はあるかもしれない。
でも、せっかくのそれがやはり生きていない。
むしろこれじゃ、依然のスタンスでイケイケガンガンの方が伸びたんじゃないかとも思える。
ではなぜこんなにスルーされるのか、隊長と支援者以外は触れてくれないのかと考えた。
考えた結果、おそらく支援者層の問題だと思った。
現状のやり方だと、どうしても偏った支援者層になる。
政治にあまり興味のなかった層や、興味はあっても偏っている層。
政治に興味のない層が参加するようになったのは、それはそれで多少の意味はあるが、一方で、政策リストを見てもわかるように、実際の内容は既存の政治家のこれまで数十年間に挙げてきた内容や、すでに対応済みの内容と変わりはない。
ICTの活用や教育の高度化の話題なんてもう何年も前から何百何千と議論され、予算付けもされたが、市民団体の反対や、もろもろの政治的な影響により実現できていない自治体が多い。
Windows時代に入ったころのPC配布なんて、それこそ今のタブレット時代と同じ議論が毎回論じられ、贅沢という一言や市民の負担増という事で否決されている。
その他もだいたいそんな感じ。
なぜそうなるかというと、これまで政治に興味がなかったから、そういう取組がすでに実施されている、または、実施しようとしたけど様々な問題から実施に移せていないという事実を知らない。
なので、それらの人には目新しいと感じても、実際に政治に関心のある層から見ると、それって既出では?なんでいまさらそんな古い話題をわざわざ、と、なってしまう。
結果的に、不思議な集団として認識されてしまう。
興味はあっても偏った層の場合は、これまた周囲からは理解を得づらい。
まぁこれは仕方ないんだけど、政治は基本調和や融和が前提なので、偏ってしまうと支援が広がらない。
その上、偏った人は自分が偏っているという認識がないことも多いので、相手を見ると「何その偏見、時代遅れだよ」というような、突然好戦的になる。
この間取り上げたような、いつの間にか、若者と高齢者の一騎打ちみたいな発言をする人とかね。
結果的に、「こんな集団なのかよ…」と誤解を受ける。
実際のところ、家入氏はそれほど明確なスタンスは示していない。
極論いうと、色なんてない。
あえて発信しているのは「みんなでやろう」「みんなで考えよう」であって、それ以上でもそれ以下でもない。
にもかかわらず、支援者が独自の色で独自の情報発信をするものだから、いらぬ対立や誤解を受けてしまう。
もっとも、本人がそれでよいと思っているっぽいのであれだが、ちょっと残念。
私は彼を支持しないけど、あのやり方はあのやり方で一つの事例としては興味深いし、いいところは吸収推進すべきと思っている。
だが、このままだと、負の遺産ともなりかねない。
「いや、そのやり方全然うけなかったよね?」と。
せめて黒歴史とならない程度の着地は見せてほしい。