パクリにケチをつける行為は社会全体の損失 - lestructure's blog
ビジネスというならRocketInternetのやり口を含め評価するというスタンスはいいけど、一方で、パクリを糾弾することは別に社会の損失にはならない。本来得るべき富の配分先が転換されているにすぎず損失なんておきないよ
id:lestructure氏より以下の指摘がありましたのでその点について回答します。
例えば販路を整備してないのに「本来得るべき」という話にはならないでしょ。一般論として。
うーん。
これビジネスレイヤーの話が前提よね?
金銭的な価値を現実の貨幣に転換されたものしかはからないという前提に限定すればその議論も可能ですが、それは一般論ではないですよ。少なくともビジネスレベルでは。
そもそも販路の整備を行うと決めた時点で、そのものには価値があるとみなしたプレイヤーがおり、そのプレイヤーはそれに価値を付けたわけです。
販路の有無にかかわらず価値は存在しており、それを貨幣に変換された価値に変換する行為の着手をだれが行ったかに過ぎません。
価値の変換を行った人の行為(行為の価値ね)とその価値を否定はしませんが、それそのものは価値の形態を変換したに過ぎないので、その行為が行われなかったとしても社会的損失という事にはなりませんよ。
そもそも、潜在的価値があるから販路を整備して出版したわけで、その価値がすでにある時点で、「本来得るべき」利益は存在していたと私は考えます。
それにこの事案では、元ネタはすでにプロダクトとして成立しているわけで、それを出版という別な手段で形態を変化させただけです。
Aさんが販路を整備しなければ、世の中に唯一だれも販路を開拓できない、とするならばそうでしょうが、少なくとも販路の整備をAさんがやっても、Bさんがやってもいいわけで、その可能性は、実際に出版が行われたという行為を持って否定されるものではありませんよ。
アーリーの投資にしてもそんなものです。
もっとも、投資の場合は、価値の変換そのものを目的としている部分もありますから、比較例としては微妙ですが。
貨幣に変換された価値のみが全てっていうのはどっちかというと消費者の思考でビジネスレイヤーでの話ではないですよね?
ビジネスレイヤーで考えれば、潜在的な価値が大きいものほど興味がわきますし、投資を行いたくなるものですから。
もっとも、冷静にビジネスとして考えるならば、ネガティブな話がでるのは嫌ですから、微妙な案件はリスクはヘッジするべきで、この案件の場合、出版の担当者が甘かったかだけの話だと思います。
本来失わなくてもよい価値を自ら失ったみたいな。
本件をビジネスとしてではなく、消費者からすれば、という次元で議論するならば、貨幣に変換された価値のみで議論することになりますから、おっしゃる通り、「本来得るべき価値」なんてものはありませんね。
消費者にとってビジネスレイヤーで論じられる潜在的価値なんて「それおいしいの?」レベルのものでしかありません。
食卓に並ばないどんな豪華な料理よりも、食卓に並んでいる今日の晩御飯の方が消費者にとっては価値がありますから。
その場合、元ブログにて「ビジネスパーソンとしての経験上」云々という部分を削除して「あくまでも一消費者の観点でいえば」としていただければ幸いです。
読み手としても誤認しなくて済みますので。
おそらく、あのエントリーの書き方ですと、消費者の視点での指摘をつぶす為だけにあえてビジネスパーソンの経験上云々という記述をしているように受け取れるので、ビジネスレイヤーの議論としては稚拙ですし、消費者の視点の議論としては一般論ではないので、微妙な記事になっているんだと感じます。
仕事中の立ち居振る舞いを家庭でやらないのと同じようなものです。
いずれかの視点に寄せてしまえば誤認はないかと思います。
私の突っ込みはあくまでもビジネスレイヤーでの議論ですから。
もしも私の読解力のなさから筋違いな指摘になっているようであればお詫びいたします。
取り急ぎ。
<追記>
どうも出版社が確認に入ったぽいですね。
案の定担当者の見切り発車だったぽい。
無期延期ってことは断念ではないと思うんでまぁどうなるかは知りませんが。
まぁ、その点は質疑のやり取りには一切関係ないですが念のため。