じと(7)さて、自分のことをふり返ってみると、私は、偏差値入試のあり方や、新卒一括採用、連帯保証人制度などの日本の「現状」に対して一貫して「変えよう」と言い続けている、どちらかと言えば現状維持派というより改革派である。そして、過去の選挙をふり返ると、「満足」より「落胆」が多かった
2014-02-03 07:23:38 via web
部分だけの抜き出しですが、ちょっと気になったので。
今回の連続ツイートについては、部分的に理解できる点もあり、特段違和感はないのですが、一方で「落胆」という部分の解釈について気になりました。
おそらく、過去の投票で有権者が落胆していたのは、当落の結果は当たり前として、それ以上に、選挙活動時に思っていたような変化が、選挙後に起きなったまたは選挙後に起きた変化は自分たちにとって良いものではなかったと感じたからだと思う。
で、その大きな原動力は基本的には社会を維持するためにかかるコストよりも自分たちの生活を維持するコストにかかわる部分に向けられていて、この点は年齢層を問わないもっとも大きな関心事であるわけです。
社会的に意義のあることをなすべきと思っている人は、おそらく有権者の半数程度はいるでしょう。
一方で、現状の日本の状態では、そんなきれいごとだけを言っていると、何も実現しないという現実を見ている人が、その半分のうち大半を占めているんじゃないかと思うんですよね。
根拠となる数値はないんだけど、肌で感じる今の日本ってそんな感じ。
おそらく、家入氏の言っていることのうち、まったく賛同できないって人はすごく少なくて、何かしら意義があるとか、共感する部分はあると思う。
結構内容をよく見ると、昔から地方議員が言っていることと同じだしね。地域密着とか時代に対応したってのをよりわかりやすい言葉にしているだけだとおもう。
で、なんで既存の政治家はそこを主戦場にしないかというと、前述したとおり、有権者がその部分の議論に興味はあるけど、最優先として感じていないという事を理解しているからだと思う。
例えば、原発問題についても、社会的な経済基盤云々を抜きにすると、前提条件がなければある方がいいか、ない方がいいかと問われれば、おそらくそれだったらないほうがいいに決まってるという人が大半だと思う。
で、当然そこに、発電コストや変革にかかる社会的コストについて有権者負担となるとわかると、そこから大半の人が意見を改めることとなる。
それが悪いことかというとそんなことはない。
子供の未来の為に原発を廃止すべきという意見と、子供の未来の為に原発と共生するべきという意見はそれぞれ理由があるし、どっちが正義ではないと思う。
結局、その辺のしがらみが多すぎて、当落にかかわらず落胆することが多いのだと思う。
変えるべきは選挙のあり方もそうなんだけど、有権者自身が社会維持のコストについてどう向き合うかとか、政府の責任は国民の責任でもあるという事実とそろそろ向き合って、その上で、日本の未来ってどういう姿であるべきかという事を議論し実現に向けて動くことじゃないのかな。
仮に、家入氏が当選したとしても今のままの有権者ではおそらくすぐに辞することになるでしょう。それは志が高いか否かではなく、有権者がそのコストを負担するだけの決断がまだできていないから。
このコストは金銭的なものだけじゃなくて、精神的なものも含む。
その変革ができない限りはいつまでたっても、政治に対して落胆し続けるんじゃないですかね。