何気ない記録

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スーパーリッチ層は所得格差により生まれているのではないと思う

格差社会であることが国にもたらすコスト(ブレイディみかこ) - 個人 - Yahoo!ニュース

そもそもスーパーリッチ層は所得により生まれているのではなく、資産継承により生まれているのが多いからね。本来は一般層からニューリッチ層をより生まれやすく(つまりのぼれる階段を作る)する方がいいんだけどなぁ

 

読んだ。

 

個人的にスーパーリッチ層というのは、所得格差により生まれているものではなくて、資産継承による生まれているので、所得に対する制限を加える事や、それらに対する税金による分配を図る方法では改善できない。

効果がゼロではないけど、おそらく抜け道があるのであまり効果はないかと

例えば、大きな所得を得るためには良い条件の職業に就く必要があるわけだが、そのためには良い学歴がそれなりに必要で、そしてさらには良いネットワークも必要となる。

既に研究結果が発表されているように、親の収入や資産状況というのは、子供の学歴や職歴に大きく影響する。

結局のところ、スーパーリッチ層というのは生まれるべくして生まれ、一般市民とはそもそも生い立ちが異なるのだ。

鶏卵の話ではあるんですが、既に鶏がいる状況なので、そこを議論しても無意

で、国の制度で所得の再分配を行う云々の話があるんだけど、これは税金でどんなに行っても限界がある。

極論いえば、相続という制度をなくさない限りは無理だし、相続が行えない制度を準備しても、結局抜け穴(法人の継承等)により回避されるだろう。

 

私的には、コメントに書いた通り、本来はちゃんと所得が上がる仕組みを準備することが大事で、いわゆるニューリッチ層(年収1000万から上の層)を生み出す土壌を整備することが大事だと思う。

結局、我々一般市民の気持ちなんてスーパーリッチ層には簡単には理解できないのだから、わかる人を増やす方が早い。

で、スーパーリッチ層も税金として接収されるよりも、投資という観点であったり、何らかの優遇措置によりニューリッチ層を生み出すことに寄与させるようにした方が協力はするだろう(もともと今の大口投資家の結構な数はそういった人たちだし)。

 

なにより一番閉塞的な状況を生み出すのは、『抜け出せない』という感覚が蔓延することだと思う。

 

ちゃんと抜け出す仕組みや、成長させる仕組み、新しい構造を生み出せる仕組みを準備して、社会に新陳代謝をもたらせるようにする方が健全だと思う。

 

スーパーリッチ層がなくなる事なんてないし、彼らが既存の利権を放棄することは確実にない。そして、彼らの方が政治であったり権力であったりには近いわけで、そこと全面戦争して勝てるほどの力があるなら、既に問題は解決できるわけなので、そんなたやすいものでない事は周知の事実なのだから。

 

これは『諦める』のではなく、『ちゃんと戦略を練る』という事だと思う。

やみくもに対立しても何も解決しないし、問題は問題として向き合って、その中で最も現実的な選択肢を順番に選択実行するしかない。

 

もっとも、この提案が正しいわけでもないので、現実的で良いものがあれば当然それを選択すべきだとは思う。

 

この発想は、学歴社会をいかになくすかであったり、出生や国籍による差別をいかになくすかという事も含まれる。

大学の派閥による出世の違いであったり、大学のランクによるフィルタリングであったりと、本当に何の役にも立たない事は多い。

その上、一度社会人になり特定の企業に属すると、その段階で運命の半分程度は決まってしまうようなものはナンセンスだ。

当然、そういったしがらみから抜け出せる人や職業はあるんだが、それができる人だけが救われるというのは、声の大きな人の意見だけが通るという状況と同じで、まさにスーパリッチ層だけが救われるのと同じだと思う。

というか、そういう人は特別救わなくてもだいたい何とか自分でする人たちなのでほっておいても全然問題ない。

 

この部分は社会システムとしてもう一度デザインしなおして、年功序列ではないんだが、働く事であったり生きることについて光を持てるような制度設計にするべきだと思う。

 

そうすると、将来に希望や安定が見えるわけで、それは安定的な消費拡大であったり子供を持つ家庭が増えることによる少子化の改善であったりと、様々な波及効果を及ぼすと思う。

 

ただ、このような仕組みに反対するのも市民であるというのが非常に悲しい。

自分ではない誰かが報われても自分には恩恵がないから許せない。社会とかしらないので自分をどうにかしてほしい。とか。

気持ちは分かるが、どこからか手を付けていかないと、1億人が全員『私が』と言っていると結局は『誰も救われない』という状況に陥ってしまう。

 

持たざる者が持っているものに対して『それを寄こすのがあるべき姿だ』といっても通じないし、大体の所、有名どころで一般市民の味方のようにふるまっている人の大半は持ち家であったり、なかなか良い所得をお持ちの方だったりするのでそこも注意したい。

大学教授であったり、何かの団体の責任者だったりね