何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

共学、男女別学のそれぞれの功罪について知りたいね

男女別学が少子化対策になるという素晴らしい提案がなされていたようです - いつか朝日が昇るまで

それにより少子化が解消という事にはならないだろうけど、一方で結婚というもの以外の個人の幸せはどうなんだろうか。学生時代の同級生の男子校の友達はなんだかんだ共学の僕より相当自由な雰囲気だった感は否めない

 

よんだ。

 

僕は共学出身なので、何の参考データも提示できないのですが、一方で、同級生や周囲に男子校出身者がいたので、その時の思い出からちょっと考えてみる。

 

当時覚えているのは、彼らは文化祭の時も女子をいかにゲットするかという事を真剣に考えていた。

というのも、当然共学ではないし、普段は部活や補習等スポーツや勉強に追われ、現実問題として合コンなんてそもそもそんなメジャーではなかったし、セッティングするようなスキルもなかっただろうし。

なので、文化祭、吹奏楽演奏会のような学校行事で学外の人と触れ合う機会は結構重要だったようだ。

 

なので、まぁ、草食系とよばれる男性が多い近年ではあまり参考にならないだろうが、おそらく、どんな環境でも異性を求める人は積極的に求めるし、それ以外に没頭できる人は結局は恋愛よりもそれ以外を選択するのだろうな、と、思う。

 

一方で、彼らとの話題の中でかなり我々と違ったことは、やはり、恋愛以外の何かが何気に存在していたことだと思う。

それはスポーツであったり、趣味であったり、勉強であったり何か打ち込むもの(好き、嫌いは別として)のことが話題に上るのだ。

 

一方共学の我々が提供していた多くの話題は、中学の○○は今××と付き合ってるんだよとか、今の彼女とは云々とか、相手の求めるものでもあったとはいえ、色恋的な話題が多かったように思う。

というか、高校生なんてほとんどサルみたいな時期だと思うし、それに違和感を感じることはなかったし。

 

ただ、冷静にこうやって振り返ると、彼らは僕らが異性にうつつをぬかしている間に、それ以外の何かに時間を使っていたのかな、と考えると、結局人生において(少なくともこの少子化高齢化時代)自分の学生時代というものは、大人になってどれくらい有用だったのかなと思わなくもないし、というか、社会人になって思うことは、学生時代にもっといろいろやっておけばよかった(色恋以外で)と後悔することが少なからずあるわけで。

 

環境により人は全く違った人生を歩むと思う。

 

そう考えると、少子化対策としてどうなんだろうかとはおもうが、記事中にあった、自由にというキーワードであったり、その延長線上にある、自分らしさというものだったりというものが育つためには、もしかすると共学というのは多少なりとも害があるのかもしれないとは思った。

 

まぁ、サルのような時期に、女子の意見を無視して自分の本音で生きるなんてできないし、自分の本能も、社会性という点においても無視をするという選択肢はなかっただろうし。

 

そこが、もし、本気で自分の本音と向き合って過ごした場合、それが、吉と出るか凶と出るかという点はすごく興味深い。

 

単純に社会性の欠如につながるんじゃないですかね、みたいな話ではないと思うし。

 

男子校・女子高出身者と、共学出身者が結果的にどういった人生を歩んでいるのかという事は興味があるし一度知りたいと思う。

 

ちなみに、僕らの地域には有名な男子校、女子高があって、男子校はおいておくとして、女子高の女子は相当人気があったわけで、男子校はあれですが、女子高というのは少なくとも僕らの頃は大人気で、ある意味、ブランドのようなものだったように思える。

 

というか、女子の方が、「○○高の子紹介できるけど」的な、なんだろう、私は持ってる、お前は私のこの情報に対して何をだせるんだ、的な、高度な交渉を持ちかけてきたように思える。

 

この時点で、サルである男子高校生という生き物は、すでに尻に敷かれていたのだろうと、我ながら思わずにはいられない。

 

書いておいてなんですでが、振り返って読んでも、ほんとこの自分の記事はなんの価値もないな。

 

なんだこの記事は…まぁ、いいか。