何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

地球Bもないが、人生Bもないんだけど?

 

マクロン氏「プランBはない。地球Bはないからだ」:朝日新聞デジタル

マジで最低な表現。地球Bはないだろうが人生Bはないんだよ?で、その選択は少なくとも公平に行われるべき。同調圧力で成しえるものではない。温暖化対策は大事だしやるべきだが、だからといて全てを正当化はできんよ

2017/06/03 02:47

 

彼には人生Bがあるのかもしれんが、私にはないらしい。

 

温暖化の取り組みは個人的には進めるべきだと思うし、こういった事の結果は残念ながら私が生きている間に結果は出づらく、何に対する投資であるかという事を自身で理解し納得しながら進めるしかない。

 

トランプ氏の公約もその実行も賛同はしない。

が、私はマクロン氏のこの物言いにも賛同はしない。

むしろマクロン氏のこの物言いの方が個人的には怒りを覚える。

 

何かを判断、選択するというのは、これは一人ひとりが行う事で、他人の意見は参考にはするとしても、最後はその人の事情や環境によって、その人自身が行う事でしかない。

 

少なくともトランプ氏の支持者というのは、現状の枠組みについて否定的な人達であり、将来の投資よりも今の生活をどうにかしてほしいという人達なわけで、そこは理解しなければならない。

 

もっとも、だいぶトランプ氏の支持率も下がっているので、その支持者がどの程度いるのか、というのは多少疑問は残るが。

 

温暖化対策の為に、政府や企業は何かしらの負担をしているわけで、その影響は少なくともわれわれにも何らかの形で影を落とす。

ただ、少なくとも温暖化対策が必要であると考え、その負担を許容できる人であったり、そういった事よりも極端に優先順位が高くない人にとってはそれは容易に受けいれられるだろうし、それ以上に、むしろ受け入れる事が当然であるとすら考えていると思う。

 

が、中には将来の地球の事よりも、今日の自分の生活の方が深刻である人もいる。

そういった人が、少なくともわれわれとは違う決断をしたとして、それを受け入れる事は難しいとしても、だからといって全てを否定してよいわけではない。

 

特に、選挙によって選ばれるという事は、選挙公約であったりあらかじめ定めている方針であったりに大して一定の信任を得ているわけで、それが仮にクレイジーな公約であったとしても、それを望む人達が一定数いるという事は事実であって、どんな綺麗ごとを並べてもなかった事にはならない。

 

先進国の貧困層と、発展途上国の一般層ではどちらが幸せなのだろうか。

 

私は、精神的には先進国の貧困層の方が辛く、肉体的には発展途上国の一般層の方がつらいのだと思う。

 

しかし、実際には発展途上国の人はわれわれが思うような事には辛さを感じていないという事もありますがね。

 

精神的な負担と、肉体的な負担はどちらを優先すべきだろうか。

 

実際問題、アメリカの富の配分状況を見れば、そもそもアメリカ経済で潤っているというのはかなりの偏りがあり、単純に先進国という言葉で括ってはならない事は明らかだ。

 

日本も同じで、ただ「日本」というだけで誰しもが幸せな生活をおくっているわけではないし、貧困問題も残念ながら未だに解決をみずそこに当然のように存在する。

 

富の偏りが顕著になるほど、こういったクレイジーな意見が当然のように受け入れられるようになる。

それは至極当然な事で、そのことを理解しないとこの状況はより深刻な状態となる。

 

「プランBはない。地球Bはないからだ」

 

一見すると非常にすばらしく、そのとおり、と勘違いしてしまいそうなフレーズだ。

 

だが、それはわれわれの人生も同じだ。

誰かの為に自分が犠牲になるというのは非常にすばらしい事であるかもしれない。

その犠牲も、誰かにとってはさほど負担ともならず気にする事がない程度のものかもしれない。

 

だから?

 

それはあなたにとっての解釈・理解であり、私であったり、誰かの理解ではない。

 

私は大抵の負担は耐えうる。

経済的にもそれなりに潤っており、年齢もまだ限界を感じる年でもないため、肉体的な負担にもまだ耐えうる。

 

が、全ての人がそうではない。

その人にとって、これ以上誰かの為に自分の人生を犠牲にすることができない、と感じた人がいたならば、それはその人の限界なのであって、それを無理強いする事はできない。

 

確かに、共有財産である地球というものや、環境というものをどうするのか?という問題は残る。

さらに言えば、アメリカという大国が行き過ぎた保護主義をより表立って主張し始めたとき、そのほかの国がそれに同調する危険性もある。

 

が、それであっても、これはダメ。

 

本当に将来に投資すると考えるなら「犠牲はみんな等しく」ではなく、「負担できる人から負担する」としなければ絶対に続かない。

 

俺も負担しているのだから、お前も負担するのは当然だ、というのはもはやただの強制でしかない。

 

私は、既に国という単位でこういった問題と取り組む事に限界があるのだと思う。

個人の所得や資産といった経済的耐性であったり、場合によっては発展途上国であれば生活の違いから先進国とは異なる負担が可能であったりする。

そういった、もっと個の違い、環境・境遇の違い、ストレスの受け方の違い、そういったものとちゃんと向き合わないと、これだけ格差が進行した世界が、同じ目的に投資するというのは難しいと思う。

 

私だっていろいろな場面で「それは不公平だ」と思う事はあるし、実際言葉にすることもあるし、ブコメにもそういったことは述べる事もある。

 

が、ただ、不公平である、と率直にいうことと、尤もらしい言葉で相手を全否定することは違うし、それは流石にアウトだと思う。

 

そういった意見がでている背景であったり、なぜそういった事になったのかを考える必要は、少なくとも犠牲を強いる側である政治家はより真剣に考えるべきだと思う。

 

それができないのであれば、ただの理想主義者でしかないよ。