何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

その環境を作っているのは、その子供を持つ親であったり、その親を相手に商売をする人達であると言うこと

 

堀江貴文(Takafumi Horie)さんのツイート: "誰でもできる仕事だからです 「なんで保育士の給料は低いと思う?」低賃金で負の循環 (朝日新聞デジタル) - https://t.co/EuidhabdJ1"

ようは、多くの子供を持つ親であったり、そういった親を相手にした環境を作る会社というのは子供を扱うという事について専門性も重要性も感じておらず、その結果が低賃金や環境投資の欠落を招いているという主張かと

 

相変わらず言葉が雑なんで、コミュ障なのかなぁと思うような発言なんですが、意図としてはこういう所かと。

 

上記のとおりであれば、まぁ、それはそうなんだろうと。

 

当然、全ての親であったり、その親や子供を相手に商売をする人達が、子供の相手は誰でも簡単にできると思っているわけではないでしょうが、ただ、恐らくは多くの人が専門的な知識や経験というものを軽んじてはいるだろうなと、私も思う。

 

というのも、例えば、子供をもった事がある親からすると、そもそも子供を相手にするというのは、大変さはあれど、自分自身もやってきたことであるので、その点、専門性という点にしっかりと視点がむかない、つまり、子供は放っておいても成長する、という考えや、緊急時に正しく対応するような知識が必要になる事などないだろうという思い込みで生きているという事は想像できます。

 

例えば、先日起きた学校給食の問題であったり、教員の労働時間の問題もそうですね。

給食というのは、回数を考えれば子供成長に大きな影響を及ぼすもので、そういった所について配慮が足りない環境が提供されているという事や、あの問題となった企業は実は小学校向けの給食以外についても、広く事業として展開しているという事実を考えると、なかなか日本のそういった環境の闇を感じます。

また、教員の労働時間についても、先生の負担が増えると言うことは、結局は子供の環境の悪化につながるという事が考えられないような状況なわけで、結局は、これもしわ寄せは子供に来るわけです。

 

当然、現場ではそれぞれの方が、それぞれ可能な範囲で頑張るわけでしょうが、個人で頑張れる事にはそもそも限界はありますし、それ以前に、なぜその方々が頑張らないと行けないのかというジレンマもあります。

 

老人福祉施設における悪質な介護環境という問題も恐らくは同様で、安くどこかに預けたい(預ける必要がある)子供や周辺の考えを、上手く取りまとめて金にするという業者の相思相愛があるからこそ成り立つわけです。

 

もっとも、預ける側は「ちゃんとしていると思っていた」わけなので、必ずしもそうではないとは思いますが、現実的にお金はないけど親の面倒を見れないという事はありうるわけで、そういったものも、結果としては同じなのかなと。

若干、老後の親の面倒を見るという点については、核家族化と少子化の影響での介護環境の変化も考えれば、今は変わりつつある状況でもあるので変化に環境がついて行けていないというのが事実かなとも思いますが。

 

本来、大人を相手にするビジネスの方が、こちらの意図を理解し、お互い現実的な会話ができるので容易であり、子供の場合は、そもそも自由であるだけでなく、免疫力であったり、それ以前に親以外の関係者が手を出せない領域や取り決めもあり、そういった問題を複数の子供を相手に同時にみつつ、そして、幼児教育を施すという事の大変差は本来は子を持つ親や、子を持った事のある大人、そしてそういった大人を相手にする人達が一番理解しなければならず、そういった理解があれば、自ずと専門職として、いわゆる「先生」と呼ぶべき人に対して、気持ちもそうでしょうが、適切な対価が支払わなければならない、支払われることにより自分の子供に適切なサービスが提供されるという事を理解すべきなんですがね。

 

教育も無償化と叫ぶのは良いのですが、無償化した先について質の取り決めはどの程度定義されているのでしょうかね。

 

予算が伴わない無償化は、単純に教育の質を下げ、ただ、教育を受けたというだけの事実のみをもって「無償化」の対価としかねません。

 

今の子供が育ち、生きていく社会は我々の時代より、恐らくはもう少し複雑で、恐らくはより勝者と敗者が明確になる社会ではないかなと私は考えています。

そう考えると、子供達の将来の負担や不安を軽減するという意味でも、しっかりとした教育や、しっかりと学べ、成長できる環境を提供するというのは、親であったり、その親を支える人間の勤めなのではないかと思います。

 

個人的には、中身も無く、ただ票集めの為に「無償化」「子供のための社会」のような言葉を並べる人は、まぁ、無責任ですと宣言しているような人なので、何党であろうが一票を投じる事はありません。

 

子供のために何をするのか、無償化するのであれば何を無償化するのか、その先になにがあるのか、それが語れて初めて無償化や子供のための環境の価値が決まるわけです。

 

「誰でもできる仕事」と考えている人がいるという事は、そういった事を思われるような環境に我々大人がしていると言うことで、であれば、そう考えている人や、そういった雑な考えを持っている人に対して、ちゃんと対応し、変えていかなければならないと思います。

 

「親はなくとも子は育つ」

 

この言葉の意味を取り違えてはいけません。

これは、親がいなくとも、子供というのは周囲の人間が皆で育てていくもので、子供というのはそうして社会全体で育てていくものという意味であって、親がいなくても勝手に子供は育つんだ、という意味ではありません。

 

親がなくとも子が育つ事ができる環境にするのは、今を生きる大人であって、子供が力強く生きればなんとかなるわけではありません。

 

言い換えれば、親がなくとも子が育つような社会であれば、それは社会全体が子供というものと向き合い、育てる事に向き合っている社会なわけで、それこそが正しい環境なのではないかと思います。

 

まぁ、元ネタの話しは、彼の相変わらずな雑な発言であるので恐らくは真意が伝わっていないのだろうな、と思ってはいますが、私の認識通りであれば、まぁ、社会の負の一面は正しく表現しているのではないかと考えます。