何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

はぁちゅう氏と考えるハラスメントの線引き

 

はぁちゅう氏が書いている事は、結論として今回の騒動の原因を理解できていないのでこういった方向の発言になっていると思います。

先日の謝罪に批判的な意見を述べた方の多くの突っ込み内容とこの意見の集約結果は同じものですね。

 

ご自身が認識しているように、今はまだわからないのだと思います。

ですので、少し私も考えてみたいと思います。

 

なお、以下の文章では意図的に性的な属性を男女に限定しているなど特定のケースに焦点をあてている点ご容赦ください。

 

例えば、私がある人に「肌とっても白いね」と言ったとします。 

これはハラスメントでしょうか?

 

では同様に「肌とっても黒いね」と言ったらこれはハラスメントでしょうか?

 

少し変えてみます。

私が部署の女性に「○○さんの肌はとっても白いね」といったらこれはハラスメントでしょうか?

 

同様に「○○さんの肌はとっても黒いね」といったらこれはハラスメントでしょうか?

 

まず、1つの「肌とっても白いね」はおそらくそれほど騒動にはならないでしょう。但し、相手が黒人の方や、発言者が白人でそれ以外の人に向けた発言でなければ。

 

次に2つめの「肌とっても黒いね」といった場合、相手が黒人の方に向けて発した場合は、限りなくハラスメントとして解釈される可能がありますね。

 

ところで、そもそも白人の方の肌が白いのは当たり前ですし、黒人の方の肌が黒い事は当然で何もおかしくありません、どちらも当然のことなのになぜハラスメントなのでしょうか?

 

前提として、こういった場合はその言葉が意図する事、つまり社会がその言葉や表現をどのように解釈するのか?という所がポイントとなります。

歴史的に見ても「黒い」という表現を意図的に悪意をもって使っている事があります。

例えば「ブラック企業」というのは、少なくとも好意的な表現ではなく、所謂従業員を酷使する企業や悪質な就労環境の企業を指すモノです。

これに限らず、明確に差別の意図は無くとも「黒い」や「ブラック」という表現が、社会的に「悪い」「劣る」「劣悪」のようなイメージで語られることがあります(ありました/今は差別用語としてだいぶ認識され言葉の定義の変更が随時行われています)。

 

その為、「黒い」という言葉を使う場合、使う場面であったり聞き手と話し手がその意図をずれる事なく理解できていない場合は少なくとも聞き手や周囲の人間にはハラスメントとして誤認される場合もあります。

 

では「○○さんの肌はとっても白いね」や「○○さんの肌はとっても黒いね」はどうでしょうか。

これはどちらもハラスメントとなる可能性が高いです。

当然、シチュエーションと聞き手と話し手の関係にもよりますが、前提として職場の女性に向けてという事にしていますので、これはセクハラとして訴えられるケースは否定できません。

 

そもそも、仕事の関係において肌の色は問題とはなりません。仮に外見上制約のある仕事であった場合も、採用の制限として肌の色を規定する事自体が問題です。

例外としてあげるならば、例えば俳優や女優が撮影期間中に休暇をとり、肌を焼いてしまった場合などは仕事に支障がでますので、そういったケースであれば許容されるでしょうが、そういった事情も無いときに、肌の色を話題にするというのは非常に危険です。

 

では「○○さんの肌はとっても白いね」であってもなぜダメなのでしょうか?

前述のとおり、話し手である自分と聞き手である相手(女性)の間で、話すべき事情(ここでは仕事)において、「肌の色」は本来不要な話題です。

当然人と人が関係を持つ上で、仕事とはいえ、業務に関係のない話しを一切しないという事はありませんので、それだけでは「肌の色」の話題がハラスメントになるわけではありません。

但し、社会的に男性が女性に向けて「肌の色」の話しを振るというのは、これは外見についての話題をするという事であり、外見=容姿についての話題を異性にふるということになるわけで、その結果、場合によってはハラスメントとなるわけですね。

わかりやすく言えば「○○さんはとってもかわいいね」と言うことと、「○○さんの肌はとっても白いね」という事に話しの目的としての違いはありませんし、さらに踏み込むと「○○さんのおっぱいはとっても大きいね」という言葉と受け手によっては同じ話題として受け取られかねません(かなり極論ですが・・・)。

 

当然、「肌が白い」という言葉を褒め言葉として使うケースもあります。

それでもハラスメントとなる理由は上記のように「それが容姿に関する話題」である為、聞き手と話し手の関係によってはハラスメントになるというわけです。

 

ハラスメントとは、自分の意図する言葉の意味で判断されるものではありません。

社会的にその言葉やその言葉の使われる状況や、多くの方がどのように考えているのかという社会的に共有される意味や目的によって評価されます。

 

では「おっぱい」という言葉を連呼している場合はどうでしょうか。

まず「おっぱい」という言葉は、性的な意味でも使われますし、一方でそうでない場合にも使われます。

ただ「黒い」という言葉の目的と同じく、少なくとも性的な意味が含まれるケースが少なくないというのもありますので、言葉自体は使用する場合に注意が必要です。

はぁちゅう氏は「おっぱい」という単語について思考されていますが、ハラスメントとして単語のみで成立させるのは、かなり状況が限定されます。

ただ、はぁちゅう氏の「嫌」という意見は、少なくとも事実でありそう感じるという事には私も理解できますし、はぁちゅう氏に限らず女性が「おっぱい」という言葉に男性とは異なる意見を持つ事は当然だと思います。

ただ、前述のとおり「おっぱい」自体は実はただの部位の名称に過ぎませんので、その言葉がどのような目的で、例えばどのような流れで発せられたのかがある程度特定されないとなかなかハラスメントとして取り扱う事は難しいでしょう。

 

例えば「童貞」という言葉ですが、はぁちゅう氏がただ一言「童貞」とひたすらつぶやいていたのであればそれ自体はハラスメントとしてクレームをつける事はなかなか難しいでしょう。

なぜなら「童貞」とは造語でもなんでもなく、一般的に存在する言葉であるからです。

一方で、誰か特定のフォロワーに「童貞」とだけ書かれたメッセージを毎日おくりつけるような事をすれば、これはハラスメントになるでしょう。

さらに考えると「童貞って最高だよね!」と言った場合、これは受け手に誤解されればよりハラスメントと解釈される可能性は高くなります。

 

基本的に、異性間では同性間のコミュニケーションとは異なり、様々な点でハラスメントとして解釈されてしまう恐れがあります。

 

当然、「異性間では」という前提に限られません。あくまでもそのケースでは同性間よりもよりそう解釈される可能性が高いというだけであって、同性間でも普通にハラスメントとなる場合もありますね。

 

例えば女性が女性に向けて「おっぱい大きいよね!うらやましい!」と言った場合は多くのケースでハラスメントとはならないでしょうが、男性が女性に向けて「おっぱい大きいよね!うらやましい!」と言った場合は大抵アウトです。

これは、言葉の解釈が同性間と異性間では受け取られ方や使われる目的が一般的には異なる為です。

 

つまり「黒い」や「ブラック」と同じで、社会的に「童貞」という言葉にそれほどポジティブな意味が少なくとも広くは浸透していないと思われる事もあり、その点を考えても女性が男性に対して「童貞って最高だよね!」という言葉を送りつけた場合、それが嫌みや差別でないとするのは難しいでしょう。

特に、はぁちゅう氏自身は「童貞は欠陥だから」という主旨の発言もしていたので、さすがに「褒め言葉として」というのは難しいものがあります。

 

このように「童貞」という言葉をつかった表現は、少なくとも異性間で使う場合は、細心の注意を払わないと、つまり場所や関係性が特定されない限りはハラスメントとして認識される可能性が高いでしょう。

同様に「おっぱい」という言葉についても、「童貞」どうようにどのようなメッセージとして誰に送ったかという内容次第ではハラスメントとして解釈されるでしょう。

 

ネットでは「貴方に向けていったわけではない」という意見もあるり、見に来た側が悪いという意見も少なくなく、それはそれでそのような事をいいたくなる気持ちはわかります。

が、それはネットビジネスに関わらない人であれば多少はその言い訳も通じますが、ブロガーやメディアの人間、少なくとも仕事や公の手段としてその場(TwitterFacebook等の手段)を利用している人が、公開メッセージをプライベートな関係の人間との会話ですというのは難しいものがあります。

 

また、ハラスメント行為や差別というものは、公にならなければ問題ではない、というものではありません。

 

例えば、政治家の不謹慎な発言というのは、公になった事が問題なのではなく、そのような考えを持っている事自体が問題なのです。

 

彼らも冗談で言っていることもあるでしょうし、その場の勢いで言ってしまったというものもあるでしょうが「雰囲気」という言葉や「身内」という言葉だけで許されるような時代ではありません。

そのような発言が出てしまうという事は、自分の内側でそういった事について何かしらの差別意識を持っているという事を疑わなければなりません。

 

線引きが曖昧であるというのは事実で、私もその意見には同意します。

 

が、ネットは特別、という意見は持っておらず、ネットで差別と解釈される表現をしているという事は、誤認であったとしても町中で多くの人が聞いている前でその言葉やメッセージを発信している事と基本は同じです。

 

むしろネットは駅前で叫ぶよりもより多くの方に言葉を届けます。

勘違いしてはいけないのは、ネットの方が多種多様な価値観、人々にその言葉が届くという事です。

 

駅前であれば、時間帯、駅、出口の選択、発言のタイミング、声の大きさなどで伝えるべき相手をコントロールする事ができます。

 

ですが、ネットではそれができません。

 

基本的にはネットに向けて情報を発信するというのは、テレビ中継にのせてメッセージを発信するのと同じぐらい視聴者(聞き手)がいるという事です。

 

自身の発信力をビジネスに使うという事は、意図しない人へも自分のメッセージが届く可能性が高いという事ですので、その点はビジネスとしてネットを活用されるのであれば注意すべきポイントでもあると思います。

 

なお、それはフォローワーの数が多い、少ないという話しではありません。

ネット上にながされる情報とは、2次的な手段を用いて、自分の意思にそわずに勝手に拡散されます。

例えフォロワーが5人であっても、検索エンジンであったり、リツィートされる等の手段により、そのメッセージに触れる人はその数倍、数百倍と膨れ上がり、国さえこえて時には翻訳されて広く発信される事もあります。

 

ネットに情報を流すという事、ネットにメッセージを発信するという事は、誰にもコントロールはできず、聞き手も選別する事はできないという事を理解すれば、その言葉は誰かに誤解されることはないのかという少しだけ考えてから発信する事ができると思います。

 

ハラスメントの線引きは本当に難しく、会社の中でもAさんは許されてもBさんは許されないというなかなか悩ましい状況とも遭遇します。

こういったものも、今回はぁちゅう氏が「おっぱい」はいいのか?という意見と同じで、誰が誰に向けて発した言葉はNGとされるのか?という結局は聞き手/受け手次第の状況という非常に曖昧な線引きの象徴でもあると思います。

 

明確になるもの、明確にならないもの、人によって解釈が分かれるモノ、いろいろなモノがあるのが現状である点は気持ち悪さがありますが、それを理解して付き合うしかないのが現代の主流ですので、そこは止むを得ないと考えます。

 

私も社会や時代の変化に合わせて自分の考え方も変えていかなければならないと思っていますしね。

 

なお、上記は私の理解の範疇であって正しいものではありません、もしも「それはおかしいよね?」という意見があれば是非ご指摘いただければと思います。