何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

なんかもう全部主語でかい案件なんだろうか

 

エンジニアの働き方とかについてのエモい記事 | κeenのHappy Hacκing Blog

冒頭の"ある程度客観的になるように気をつけてますがあくまで私個人の意見です"をすっ飛ばして主語がでかいとか言われると、もう何も個人的な意見表明なんてできないんだけど。正直個人の意見を批判する意味とは何?

 

恐らくは冒頭の文章や文中の表現を見るに、本人はこれが自分の我が儘も含まれており、一般的でない部分も少なからず入っている事、つまりは主観によって多少のバイアスがかかっている事は理解して、それについて予め断っている。

 

且つ、一応、某記事への一意見として書かれているものではあるが、表現は別として大抵は「理解して欲しい」という程度のものであって、それほど攻撃的なものでもない。

 

だが人は、この程度の文章を読んでも、冒頭や文中で繰り返しお断りが記載されているにもかかわらず、これを「主語がでかい」といってしまう。

 

恐ろしい・・・。

 

この文章が「主語でかい」案件だったとすると、もう人は、自分の意見をネットにさらす事などできないだろう。

 

あの有名なブロガーなんて、個人の意見の塊だし、きっと「このお店女子受けするよねー」なんて意見すら「主語でかい」案件なんだろう。

 

「主語がでかい」というのは、ある自分の意見を、さも全ての同一属性の意見として誇張し、それを押しつける事を言う。

 

そもそも意見が属性により定まるなんてことはなく、大抵はたまたまそういう人が近くにいる、というか、そもそも人間は自己の主張と近い人や自分が理解できる人を探すようにできているものなので、大抵の場合は都合の良い「同意してくれる他人」を求めてネットをさまよう。

 

結果として、勝手にその意見が特定属性の意見の代表や象徴であるかのような物言いとなり、炎上・批判されることとなる。

 

では元記事はどうだろうか。

 

確かに"エンジニア"としてある属性を挙げてはいるが、それは、彼自身がその属性である事を表しており、そして、その一部である事を表明しているに過ぎない。

 

いや、確かに記事中で"エンジニアは"とあるが、それは「私は」に近い表現であって決して"一般的なエンジニアは"とは書かれていない。

 

つまり、読み手の読解力のなさにより、批判されていると言っても過言ではない。

 

もう人は、意見を述べるときには、主観を一切入れず、感情は押し殺し、公共の利益、人類の最大幸福となるべく自己の幸せは全て封印し、あらゆる煩悩、欲望、主張、お願いは声に出してはならず、そして、それですら他人から「主語がでかい」と言われた場合は「誠に私の至らない発言で皆様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」といわなければならないのだろう。

 

僕は、3年目のエンジニアが、このように文章として自己の意見をアウトプットする事は大いに評価するし、これをただ「主語でかい」などといってしまう、そしてそれに「いいね!」するような環境では、良いエンジニアも、良い非エンジニアもそだたないだろうと思う。

 

意見も考え方も受け取り方も、十人十色。

 

文章の何が主題で、何を伝えたいのか、その本質が読み取れずに表層的な理解だけで若者の意見を殺していくような日本は、本当に滅びてしまえばいいと思う月曜日の朝でした。