何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

他の人の「正しい」に追い込まれる必要はない

 

中田敦彦インタビューで実感。家事をフローで理解せず、イベント実行する男たち - エモの名は。

いや、仕事でも遊びでも進め方・やり方、それに対する感想というのは人それぞれだと思うが。彼のやり方・考え方がよいとは思わんが、それに対して自分の考えが正しく他人の家族のあり方を全否定するとかちと異常では

 

中田氏の意見よりも、正直このブログの記事の意見がちょっと怖い。

 

というのも、まず、私の持論として、夫婦に限らず、上司と部下、友達、恋人、親子、あらゆる関係は、その人達の置かれている環境、性格、年齢などあらゆる事により多用であるべきで、基本的にはそれに善し悪しをつける事はあまり良い事ではないという持論があります。

 

もっとも、例えば暴力を振るったとか、違反であるとかそういった類いの事は第三者であっても放置するという事は難しいですが、何でも感でも「モラハラだ!」と叫んでしまうと、世の中の男性だけでなく、女性も追い込まれる事になります。

 

例えば、女性の家事一つとっても、他の家庭であるやり方で上手にできていたとして、そのやり方をまねたとします。結果としてそのように上手くいかないとしても気に病むことはありませんし、他の方法を試しても上手くいかないなら、もういっその事「その状況が自分達の普通」と割り切ってしまって良いと僕は思うんですよ。

 

そこで夫や妻が「他の家庭では」等と言い始めると、地獄でしか有りません。

 

隣の子供はちゃんと奥さんがしつけているじゃないかとか、隣の旦那さんはこれもしてくれるとか、あの家庭はこんなに旅行にいってるのにとか、なんでうちは、なんであなたは、なんでお前は・・・他人の「正しい」と比較すると、もうそれは本当に地獄でしかありません。

 

良いところはまねればいい、でも、それは決して同じ結果を生むわけではありません。

人はひとりひとり個性があります、器用な人にとっては当然できる事が、私にはどんなに努力してもできないかもしれない、でもそれを責められても私にはどうすることもおそらくできません。

 

できない事は、おそらくその夫婦ではできないのですよ。

逆に、他の夫婦にはできないことが私たち夫婦ではできているかもしれない。

 

全てが良い形ではないでしょう。

でも、同じように全てが悪い形であるわけでもありません。

 

 

ある所は短所で、ある所は長所で、人も夫婦もそんなもんじゃないかなと思うんですよ。

 

完璧な妻でなくてもいいし、完璧な夫でなくてもいいし、完璧な親でなくてもいいし、完璧な子供でなくてもいい。

 

有るところではダメな夫だったとして、そこが旨くできないならそれ以外のところで普通以上に頑張ってダメな部分をパートナーに補って貰う分の働きをして返せばいいんじゃないんですかね?

 

それができているのか、できていないのか、夫婦間でどのような形である事がよいのかそこまで判る記事だとは私は思わないですが。

 

記事主の理想の形の男女、夫婦の形ではなかったと思います。

ただ、それを理由に「ダメ夫」と罵るのはあまり正当な評価とは思いませんし、おそらく評価された側の夫だけでなく、その夫を持つ妻もあまりよい気持ちではないかもしれません。

 

少なくともあの記事からはわかりませんよ。

 

この話しは今回夫婦の話しとして記事になっていますが、妻がうつ病になる理由の一つに他人ができる事が自分はできない、という事が切っ掛けになるものがあります。

責任感が強い人が「あの奥さんはできるのに私はできていない」とか「となりの夫婦では上手くいっているのにうちでは上手くいかない」とか、子供の事や家庭の事を他の家庭と比べてしまう事で自分を追い込んでしまう事があります。

 

これは当然女性だけがなるものではありません。

男性も、夫もなるのです。

 

ですから、私は夫や妻が何か逃げる事を選択であったり、他の夫婦や家庭ではできる事を自分達夫婦では諦めたとしても、それは全体の中で、夫婦がちゃんとバランスをとっていけているのであれば、多少歪でもいいじゃないか、と思っています。

 

理想的な形ではない、完璧ではない、隣の家庭とは違う。

 

でも、私たちは私たちの形があって、隣の夫婦は隣の夫婦の形がある。

幸せの形も違うし、幸せの評価軸も違う、それでいいと思うんですよ。

 

当然、モラハラとの線引きは必要です。

ですから何か判断を下すとき、夫婦内で上手に判断できないのであれば第三者の判断を仰ぐというのは凄く大切な事です。

それを「お墨付き」と表現する事はよいとは思いませんが、私は夫婦だけで議論するよりも他の人、それもより客観的に、そういった事情を受け止められる人であるカウンセラーやセラピストに間に入って貰う事は、夫にとっても、妻にとっても良い事だと思います。

 

なお、日本ではまだまだ夫婦や家庭の問題にそういった第三者を加える事は珍しいとは思いますが、海外ではむしろ裁判や別居に至る前にはそういった手続きをとることは決して少なくありません。

 

日本では「家庭が一つのあつまり」として捉えがちですが、基本的には家庭は「個人の集まりの一つの形に過ぎない」と考える海外では、夫婦であっても「別な尊重される個人同士」ですから、そういった意味でもどちらが正しいではなく「夫婦にとってどうするべきか」を第三者に入ってもらって調整するというのは離婚に至らない夫婦でも普通にあります。

 

ある考え方に夫または妻が固執してしまっているときはそれを諭す事もありますし、当然と思っている事がもう一人には当然でない事もあります。

そういった「違い」をどうすれば双方受け止められるのか、という事は夫婦だけで、その「違い」を持つもの同士だけで話すのではなく、客観的に「違う」という事をまずは理解させてもらい、その上でその「違い」を夫婦としてどう受け止めるか、どのように受け止めれば「夫婦」にとって一番よい形であるかとするわけです。

 

昨今では人によってはそもそも最初から毎月カウンセラーと会話する事を決めている夫婦もおり、それは仲が悪かったり、問題を抱えているから行うわけでは無く、自分達が潜在的に不満や悩みを抱えてしまい、その結果夫婦の中が壊れないように、という前向きな取り組みをしている夫婦もいます。

 

ですので、第三者の意見を求めた行為自体は私は問題だったとは思いません。

 

いろいろ意見はあってよいですが、記事の前提が「この夫はダメ」という定義からスタートしているように感じます。

 

 

ですので、見えていないような部分も「こうだろう」と自分の中の一つの答え、自分の中の「正しい」とは違うという事により否定しているように思えます。

 

その考えは、家庭に限らず、組織の中でも危険ですし、他人を追い込みかねません。

 

潜在的ニーズ」の話しがでてきましたが、部下や同僚に「当然のことをできているだけではダメなんだよ!」とは決していってはなりません。

 

基本的に会社は全ての社員が経営者ではありません。

「当然のことをしている」という状況は、評価する必要もありませんが、批判する事も必要ない普通の状況です。

会社や上司としてはもっとその先の結果が欲しくなるものですが、それは「付加された結果」であって「普通」ではありません。

その「潜在的ニーズ」に気付けなかったというだけで「だからお前はだめなんだ」などと言われては流石に同僚も部下もたまったものではありません。

 

また「私は気付くけど?」という表現も危険です。

「気づき」とは人により全く違う感性です。男女でも違うでしょうが、それ以前に同じ性別でも、年齢、環境、状況、経験あらゆるものの影響で「気付く人」もいれば「気付けない人」もいます。

それは「気付ける人」を褒める事はあっても「気付けない人」を罵ってよいわけではありません。

「気付けない人」がいた場合は、なぜ気付けないのかという事を考え事こそが上司の役割であり「なんでお前は気付けないんだ!」などと追い込む事は上司の仕事ではありません。

 

日本の社会は多くの場合で減点方式です。

 

ですが、減点方式では多くの場合、人や組織を追い込む事が多く、時と場合を考えなければ危険です。

 

夫婦や親子でも同じです。

気付けない夫、気付けない妻がいれば、それはきっとその夫や妻には苦手な事なのかもしれません。

もしもそれを妻または夫が補えるならその事は補ってあげればいいのです、そしてその他の部分では逆の事が起きているかもしれません、その時は逆にその部分は補って貰えばいいのです。

 

もしかすると一方的に補い続ける事になるかもしれません。

家庭内の負担も、経済的な負担も全てどちらかに頼りっきり担ってしまっている状況がきてしまっている場合もなくはないでしょう。

 

その時は、まずは第三者を入れて話し合いましょう。

 

人間はそれほど精神的にも肉体的にも強くありませんから「自分が頑張れば」などというのは大抵の場合「自分が壊れなければ」と同様の意味を持ちます。

 

そんな危険な賭をする必要はありません。

 

そういった状況では素直に第三者(可能な限り親や友達ではなく専門家がよいです。なぜなら大抵の関係者は利害関係者であり客観的な結果にはならないので)へ相談する方が、大抵の場合で夫婦によってはよい結果になると私は思います。

 

なお、そういった状況にも関わらず第三者への相談も拒まれた場合は、もう諦めて離婚なり逃げるなりする方がよいかもしれません。

 

自分が我慢すれば、ではいつか必ず自分の限界が到来し、結果としてその関係は崩れますから。

ですのでまだ自分だけでも冷静な判断ができる段階で自分を守る為にどうするかを考え行動しましょう。

 

これも『他の人の「正しい」に追い込まれる必要はない』という事です。